人気ブログランキング | 話題のタグを見る

お雛様続き

お雛様続き_a0335656_12391083.jpg


先日のブログに載せられなかった私の親王飾りです。
残念ながら殿、姫それぞれの写真がなかったのですが、これで市販の糊付けの衣装と手縫いの衣装の違いがわかっていただけると思います。特にお袖のところをご覧くだされば、一目瞭然です。三人官女から下は、市販のものですが、お顔が似ているのでセットにしても全く違和感がありません。

お雛様以外にも義母の手作りのお人形さんはすべてこの時期に出してあげます。

お雛様続き_a0335656_12355186.jpg
お雛様続き_a0335656_12360875.jpg
お雛様続き_a0335656_12362593.jpg


もう今となっては作れる人がいません。義母が亡くなった後に大量に遺された及川永峰作のお頭をどうするか、解決まで3年かかりました。そのことについてはまた改めて書くことにします。

# by mako-oma | 2021-02-12 12:52 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

今年のお雛様は?

我が家では、毎年2月3月の二ヶ月間お雛様を飾ります。とにかく量が多く、押し入れを占領しています。出すのも大変、しまうのはもっと大変なので、出来るだけ皆様にご覧いただきたく二ヶ月間飾っています。お雛様については2015年3月のブログで書いているのでどうぞご覧ください。
私一人でやるこの作業もそろそろ限界かと思い始めていた時に、コロナがやってきました。昨年はどなたもおよびできませんでした。特にドイツ人の方には毎年喜んでいただいているのですが、今年もまた皆様を我が家に御招待することは出来ません。大変な思いをして飾ってもどなたにも見ていただけないのなら、今年はもう飾るのを止めようかと思っていました。ところが今朝テレビを見ていて有名な人形店が出てきました。そしてこのお店の一番高額のお雛様が385万円ということで紹介されました。一見しただけでしたが、お雛様のお着物は手縫いではなさそうでした。我が家のお雛様は、義母が古代布を使って一針一針縫ったお着物を何枚も重ねて手作りしたものです。我が家には3組の親王飾りがあり、私のお頭は及川永峰さんという人形師の作で、娘たちのは京都の人形師作のものです。お着物は古代布を使用しているので、しまいっぱなしにしておくのはやはり心配です。結局今年もお雛様は出してあげることにしました。でも段飾りはやめました。段は主人の手作りで組み立て式になっていて準備も大変です。三人官女、五人囃子、随身はリビングルームのテーブルや棚に分けて飾ることにしました。また大量のお道具類も今年はやめました。そのため作業は一日で終わりました。


今年のお雛様は?_a0335656_19443855.jpg

毎年玄関を入ったところでこの段飾りが皆様をお出迎えします。市販の段は奥行きが長すぎて置けないので、主人の手作りとなりました。左側にある3体の衣裳人形も義母の手作りです。
今年のお雛様は?_a0335656_19473327.jpg
今年のお雛様は?_a0335656_19475402.jpg
これは長女の親王飾りの殿と姫です。

今年のお雛様は?_a0335656_19490180.jpg
今年のお雛様は?_a0335656_19491884.jpg
これは次女の親王飾りの殿と姫です。

今年のお雛様は?_a0335656_19512611.jpg
この一松人形の衣装は私が縫いました。

今年のお雛様は?_a0335656_19515162.jpg
これは貝合わせです。一番左にある小さな貝は私の作品です。中に桜の絵を描きました。

今年のお雛様は?_a0335656_19542329.jpg
これは台所セットです。関西で多く飾られるようですが、関東ではあまり見かけません。



# by mako-oma | 2021-02-10 23:04 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

関口宏のもう一度!近現代史

昨年の3月11日に「あの日から9年」というタイトルでブログを更新して以来ずっとさぼっておりました。もうすぐ東日本大震災から10年になろうとしております。この間、コロナは収まることなく、今最悪の状況になりつつあります。昨年は春からずっと蓼科で田舎生活をしておりました。標高1350mで東京の猛暑から逃れ、毎日一時間の散歩は高地トレーニングのようでした。紅葉の季節も過ぎ、山は次第に冬の様相を呈してきました。寒がりの老夫婦にとってはちょっと厳しくなってきたので、山を下りることにしました。
昨日、たまたまテレビを見ておりましたら、次週予告で”粛軍演説”の文字とともに、祖父齋藤隆夫の姿が現れビックリしました。毎週土曜日の正午からBS-TBS でやっている「関口宏のもう一度!近現代史」という番組です。学校ではほとんど近現代史は習わなかったので、私にとってはとても興味深い番組なのですが、土曜日の正午からということで、つい見逃してしまうことが多かったのです。昨日は二・二六事件ということで見ておりました。祖父が粛軍演説をしたのは、昭和11年5月7日、戒厳令下の第69回特別議会においてです。番組ではほんの一瞬かもしれませんが、ご覧いただければと思います。
1月30日(土) 12:00 BS-TBS 「関口宏のもう一度!近現代史」です。

# by mako-oma | 2021-01-24 10:17 | 齋藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

あの日から9年

あの日から9年。10歳の孫娘とあの日のことを話しました。あの日、私は自転車に乗り、環七の横断歩道で信号待ちをしていました。突然地面が揺れ、一瞬めまいが起きたかと思いました。周りのビルを見ると揺らいでいました。これはただ事ではないと思い、Uターンして家に戻りました。幸い家の大きな被害はありませんでした。すぐにテレビをつけました。そして東北地方で大きな地震が起きたことを知りました。私は保育園に孫娘を迎えに行き、避難所として指定された近くの大学の体育館で娘を待ちました。しかしいくら待っても娘は来ませんでした。娘とは連絡がとれず、外も暗くなってきたので、私は孫娘を連れて帰りました。娘は職場のある京橋から5時間歩き、その夜遅くに帰ってきました。

この時、友人のドイツ人シスターが園長先生をしている岩手県一関の児童養護施設「藤の園」が大きな被害を受け、私は友人たちに寄付のお願いをしました。寄付してくださった方には、私のお礼の気持ちとして着物生地を使って作った手作りのクリスマスボールをさしあげました。これは、「クリスマスボールプロジェクト」と称し、この9年間続けてきました。年を経るにつれ、人々の記憶からだんだん薄れていく中、毎年必ず協力してくださるL組の皆さん、祥子ちゃん、利枝子さん、マリ子さん、本当にありがとうございます!心から感謝です!


# by mako-oma | 2020-03-11 20:30 | ボランティア | Trackback | Comments(0)  

たった一分間のための冬季山小屋滞在

令和2年2月11日、茅野市運動公園国際スケートセンターにおいて第69回諏訪地方スケート大会が開催されました。
私達夫婦は、孫娘が参加するわずか1分のために、東京からはるばる応援にいきました。

この大会は今年で69回目を迎える伝統ある大会です。第1回は、昭和27年2月3日に下諏訪町高浜沖で開かれました。その時優勝したのは宮川村です。孫娘は今宮川小学校に通っています。その後、蓼科湖や白樺湖で開催されていたこともあると聞くと、やはり近年の気候温暖化を実感します。孫娘は今4年生です。小学校に入学する年に長野県茅野市に移住しました。そしてすぐにスケートクラブに入りました。東京から来て何も知らずに入りましたが、同級生で入部したのはただ一人でした。真冬の夜の練習は、零下7度位にもなるリンクに送って行って世話をする親の方が大変です。シーズンは11月から2月の4か月間です。6月から10月までは陸上トレーニングです。シーズンになると毎週のように大会があり、朝4時起きで長野まで行くこともありました。孫娘は今スケート靴をシーズン中ずっとレンタルしています。レンタル料は1年生の時に借りていた靴の3倍位します。買うとその10倍以上するそうです。それに毎週エッジの手入れをしてもらわなければならないそうです。フィギャースケートは衣装代やら何やらでお金がかかるということは知っていましたが、華やかな衣装も着ないスピードが同じとは思いませんでした。

大会は朝早くから始まります。私達も4日前から蓼科の山小屋に泊まりました。久しぶりの冬季滞在です。ちっぽけな山小屋は冷え切っていましたが、手作りのプラスティック製二重窓が功を奏し、また本当にちっぽけなのですぐに温かくなりました。それでも朝の外気温はマイナス8度まで下がりました。滞在中毎日散歩をしましたが、顔に当たるピリッとした冷気がドイツを思い出させてくれました。夏は木々が茂り、家々はその間に隠れてしまいますが、冬はすべての葉が落ち、遠くの家々までもがよく見えて景色が全く変わります。我が家からも遠くに連なる雪をかぶった山々を見ることが出来ます。

私は蓼科で必ずやることがあります。それはクリスマスボール作りです。2011年3月11日の東日本大震災以来ささやかですが岩手県の児童養護施設「藤の園」をサポートしています。寄付をしてくださった方々に、私のお礼の気持ちとして着物の生地で作ったクリスマスボールを差し上げています。東京にいるとなかなか忙しく、ゆっくり作るヒマがありません。ですから蓼科に行くときには大荷物を持って行き、そこで集中して作ります。今回も沢山できました。

さて大会は8時から始まり、12時過ぎには終わる予定でしたが、孫娘の出番がいつなのかはわかりませんでした。
私達は時間に余裕を持って山を下りて行きました。このために東京から厳冬の地に来たのですから見逃すわけにはいきません。まず最初に高校生の男子・女子。そのあと一般男子・女子。そして中学男子・女子が終わった後に小学6年から順々に出番が来ました。孫娘は小学4年女子500mに参加しました。大きな声で応援しました。あっという間に私たちの前を通り過ぎて行きました。そしてタイムは58秒54。1分を切り自己ベストを更新しました。こうしてわずか1分間のレースは終りました。この大会は市町村対抗で各種目の合計点で順位を決めます。過去24年間ずっと茅野市が優勝していて今年も優勝は茅野市でした。

4日後に行われた長野県ジュニアスピードスケート競技会東北信大会では1000mのタイムは1分57秒97、500mは57秒46で両方とも自己ベストを更新したそうです。
その2日後、2月16日の茅野市総合体育大会スケート競技会でシーズン最後を締めくくる
はずだったのですが、残念ながら雨天のため流れてしまいました。これに未就学児の部で出場するつもりだった5歳の弟は、一生懸命練習して楽しみにしていたようですが、流れちゃって本当にかわいそうでした。来年ぜひ頑張って欲しいです。



# by mako-oma | 2020-02-27 09:19 | 行事 | Trackback | Comments(0)