令和2年2月11日、茅野市運動公園国際スケートセンターにおいて第69回諏訪地方スケート大会が開催されました。
私達夫婦は、孫娘が参加するわずか1分のために、東京からはるばる応援にいきました。この大会は今年で69回目を迎える伝統ある大会です。第1回は、昭和27年2月3日に下諏訪町高浜沖で開かれました。その時優勝したのは宮川村です。孫娘は今宮川小学校に通っています。その後、蓼科湖や白樺湖で開催されていたこともあると聞くと、やはり近年の気候温暖化を実感します。孫娘は今4年生です。小学校に入学する年に長野県茅野市に移住しました。そしてすぐにスケートクラブに入りました。東京から来て何も知らずに入りましたが、同級生で入部したのはただ一人でした。真冬の夜の練習は、零下7度位にもなるリンクに送って行って世話をする親の方が大変です。シーズンは11月から2月の4か月間です。6月から10月までは陸上トレーニングです。シーズンになると毎週のように大会があり、朝4時起きで長野まで行くこともありました。孫娘は今スケート靴をシーズン中ずっとレンタルしています。レンタル料は1年生の時に借りていた靴の3倍位します。買うとその10倍以上するそうです。それに毎週エッジの手入れをしてもらわなければならないそうです。フィギャースケートは衣装代やら何やらでお金がかかるということは知っていましたが、華やかな衣装も着ないスピードが同じとは思いませんでした。
大会は朝早くから始まります。私達も4日前から蓼科の山小屋に泊まりました。久しぶりの冬季滞在です。ちっぽけな山小屋は冷え切っていましたが、手作りのプラスティック製二重窓が功を奏し、また本当にちっぽけなのですぐに温かくなりました。それでも朝の外気温はマイナス8度まで下がりました。滞在中毎日散歩をしましたが、顔に当たるピリッとした冷気がドイツを思い出させてくれました。夏は木々が茂り、家々はその間に隠れてしまいますが、冬はすべての葉が落ち、遠くの家々までもがよく見えて景色が全く変わります。我が家からも遠くに連なる雪をかぶった山々を見ることが出来ます。
私は蓼科で必ずやることがあります。それはクリスマスボール作りです。2011年3月11日の東日本大震災以来ささやかですが岩手県の児童養護施設「藤の園」をサポートしています。寄付をしてくださった方々に、私のお礼の気持ちとして着物の生地で作ったクリスマスボールを差し上げています。東京にいるとなかなか忙しく、ゆっくり作るヒマがありません。ですから蓼科に行くときには大荷物を持って行き、そこで集中して作ります。今回も沢山できました。
さて大会は8時から始まり、12時過ぎには終わる予定でしたが、孫娘の出番がいつなのかはわかりませんでした。
私達は時間に余裕を持って山を下りて行きました。このために東京から厳冬の地に来たのですから見逃すわけにはいきません。まず最初に高校生の男子・女子。そのあと一般男子・女子。そして中学男子・女子が終わった後に小学6年から順々に出番が来ました。孫娘は小学4年女子500mに参加しました。大きな声で応援しました。あっという間に私たちの前を通り過ぎて行きました。そしてタイムは58秒54。1分を切り自己ベストを更新しました。こうしてわずか1分間のレースは終りました。この大会は市町村対抗で各種目の合計点で順位を決めます。過去24年間ずっと茅野市が優勝していて今年も優勝は茅野市でした。
4日後に行われた長野県ジュニアスピードスケート競技会東北信大会では1000mのタイムは1分57秒97、500mは57秒46で両方とも自己ベストを更新したそうです。
その2日後、2月16日の茅野市総合体育大会スケート競技会でシーズン最後を締めくくるはずだったのですが、残念ながら雨天のため流れてしまいました。これに未就学児の部で出場するつもりだった5歳の弟は、一生懸命練習して楽しみにしていたようですが、流れちゃって本当にかわいそうでした。来年ぜひ頑張って欲しいです。