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新聞記事掲載終了

これまで齋藤隆夫に関連する新聞記事を掲載してまいりましたが、残念ながら諸事情により終了することとなりました。
一番皆様に読んでいただきたかった二つの記事を掲載できなかったことは、本当に残念です。両紙ともほぼ新聞一面の大きさで、大きく取り上げられています。一つは1998年8月31日(月)読売新聞朝刊の《20世紀 どんな時代だったのかー昭和15年2月 齋藤隆夫の「反軍演説」》。 もう一つは2013年11月2日(土)同じ読売新聞朝刊の《昭和時代 第3部 戦前・戦中期(1926~44年)第35回-「言論」から「翼賛」の府へ》です。20年以上前、長女が高校3年の時、「齋藤隆夫にみる真の政治家」という卒業レポートを製作しました。その際、一緒に国会図書館に行き、昭和初期の古い新聞記事を多数閲覧し、コピーしたことを思いだしました。今はデジタルでも閲覧可能かもしれません。ご興味のある方はどうぞご覧いただければと思います。今後はまた別の形で「齋藤隆夫」を知っていただくことを考えたいと思います。このブログは引き続きますので、これからは音楽のこと、アンティークのこと、その他もろもろ書きたいと思ったことを載せていこうと思っています。これからも
どうぞよろしくお願いいたします。


# by mako-oma | 2015-09-09 13:46 | 齋藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

あしたのニュース(フジTV)

7月7日(火)23:30からの「あしたのニュース(フジTV)」で斎藤隆夫が取り上げられました。「みんなで考える ニッポンはなぜ戦争をしたのか」という戦後70年、シリーズ企画の初日で、短い時間ではありましたが、斎藤隆夫の存在、そしてその演説の持つ意味を視聴者の方々に知っていただけたのではないかと思います。25分番組にもかかわらず、はるばる出石までキャスターとディレクターの方々が取材に行かれました。私にも取材のお話しがありましたが、遠慮させていただきました。こういう番組を通して、斎藤隆夫の名前を知っていただけることは、”斎藤隆夫を知ってもらう会”代表の私といたしましては、この上なく嬉しいことと思っております。今後このようなことがありましたならば、会員の方々には事前に放映日等詳細をお知らせしたいと思いますので、ぜひ会員になっていただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。






# by mako-oma | 2015-07-09 20:38 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

齋藤隆夫を知ってもらう会

しばらくお休みしてしまいました。この間にも「マクーマの部屋」を訪れてくださった方々、ありがとうございます。せっかくいらしていただいたのに、ブログ更新されておらずにごめんなさい!

このたび「斎藤隆夫を知ってもらう会」を立ち上げました。

昨年12月4日、NHKBSプレミアムの「英雄たちの選択」という番組で、祖父齋藤隆夫が取り上げられました。「開戦前夜!政治家齋藤隆夫の挑戦~命をかけた名演説~」というものでした。 その後多くの方々から、「感動した!」「こんなにも気骨な政治家がいたなんてちっとも知らなかった」「言論統制されているあの時代に、命がけで国民が知りたいこと、聞きたいことを言ってくれた政治家がいたなんて、本当にすごい!」「もっと多くの人に知ってもらうべきだ」等々のお言葉をいただき、反響の大きさに大変嬉しく思っております。番組はその後、再放送され、更に4月に再々放送もされました。
戦後70年の節目の今年、両親の友人・知人から送られてきた齋藤隆夫に関連する新聞記事を皆様にご覧いただきたく、ブログを開設し半年近くが経とうとしておりますが、手元の新聞記事も残り少なくなってまいりました。国会での安全保障関連法案がどうなるのか、気になるところですが、現役国会議員の大半は戦争を知らない世代ということです。いくら法律で決められていることでも、時の権力の意向により、いかようにでもなるという歴史の事実を忘れてはいけないと思います。

齋藤隆夫が粛軍演説の中でいっています。
http://makooma.exblog.jp/21029685/
http://makooma.exblog.jp/21034920/


両親の死後、新聞記事は集まらなくなりましたが、先日は朝日新聞でかなり大きく取り上げられました。6月6日の夕刊です。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11795640.html
同じ6月6日(日)の朝刊 be のフロントランナーで歴史学者の磯田道史さんは、『「政府軍部の進める大陸政策はおかしい」と1940年2月に国会で演説し、除名された衆院議員の齋藤隆夫。こうした勇気と品格のある人の発掘も、続けていきたいです。』と言われています。
齋藤隆夫を直接知っている記者の方も、もうほとんどいらっしゃらないのではないかと思いますが、今年になってからでも1月3日の毎日新聞・余禄や、4月22日の社説等で齋藤隆夫の名前が出てきます。あいにく我が家でとっている新聞は日本経済新聞なので、その他の新聞に載っていてもわかりません。そこで広く皆様に会員になっていただき、ご協力をお願いしたいと思いました。齋藤隆夫に関連する新聞記事がありましたら、ぜひご連絡いただきたいとおもいます。会員になってくださった方々には憲政記念館等での催事、ブログ更新のお知らせ等させていただきたいと思います。ご協力いただける方はぜひご連絡ください。どうぞよろしくお願いいたします。





# by mako-oma | 2015-07-01 21:56 | 齋藤隆夫 | Trackback | Comments(1)  

問われるべきは「政治の質」


点評               
     1992年 日付不明 新聞社不明

粟屋憲太郎立教大教授の「昭和の政党」(小学館)は、「粛群演説」などで、議会史にさん然とした地位を占めている民政党の斎藤隆夫衆院議員の活躍を冒頭に取り上げることで、軍国主義の風潮に流されていった戦前の議会人の姿を描いている。
斎藤は、政党もマスコミも軍部批判を自粛するようになった1930年代後半も節を曲げず、40年2月の「反軍演説」で除名される。しかし、斎藤を除名した議会は結局、翼賛政治への道を転がり落ちていった。この本で、特に感動的なのは粟屋教授が斎藤の選挙区、兵庫県但馬地方を歩いたフィールド・ノートを元に齋藤と支持者の関係を描いているくだりだ。斎藤の選挙はすべて法定費用内でまかなわれ、普段の政治活動は年一、二回選挙区に帰り演説会を開くだけだった。演説会といえば今も変わらぬ地元への利益誘導的内容が多かった中で、斎藤は自分の政見に熱弁を振るい、演説に感動した支持者は手弁当で斎藤のために走り回った。除名の二年後、激しい選挙干渉にもかかわらす斎藤が議会に再帰できたのは、政治信条で結び付いた支持者たちがいたためだ。同著には斎藤の政治資金の内訳は紹介されていない。が、政治姿勢、権力・右翼の干渉を考えると、資金面でも清廉でつましかったことがうかがえる。このほど自民党の「政治改革を実現する会」が発表した衆参国会議員29人の昨年一年間の政治活動集資金によると、一人平均1億3378万円のカネが出入りしたという。巨額の資金調達の方法、収支の透明性も問題だが、同時に問わなければならないのは何を「政治活動」と見るかだ。支出の36%は秘書などの人件費で、活動費30%のうちの政策活動費は9%だけ。残りは後援会活動費と冠婚葬祭費だという。そこには飲食、旅行など派手な後援会活動と、後援会の面倒を見たり、カネ集めに奔走する大勢の秘書陣の姿が浮かび上がってくる。政治活動の規制は論外だが、その質にも目を向けなければならないだろう。供応まがいの活動を支えるために、献金、パーティー、派閥から年間1億円前後の資金を調達しなければならないとしたら、議員はまず”資金源”の顔色を見るようになる。「見返りのない献金をすれば背任。見返りのある献金は贈賄」といわれるが、同会の発表した収支からはカネが議員を毒している構造が見える。議員はカネ集めの理由にカネのかかる選挙をあげ、近く国会に提案される政治資金規正法改正案でも企業・団体献金の抜本見直しは見送られる。しかし、斎藤のように政治信念で有権者をつなぎ留められない不足分をカネで補うことが当然視されてはならない。「政治活動」を問うとき、斎藤は今なお一つの手本を示している。(原文通り)



# by mako-oma | 2015-05-16 08:49 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

交友抄 東北のぬくもり

 1992年(平成4年)3月4日 日本経済新聞  矢島欽次

墨絵のような空から今にも降ってきそうな日であった。「やあ、どうも遅くなりまして」と言いつつ、草柳大蔵さんが入って来られた。その瞬間、対談のための部屋は、パァッと明るくなったような気がした。草柳スマイルのなせるわざであろうか。これは、仙台放送の毎日曜午前10時から始まる「ごきげんよう草柳です」のテレビ出演時の光景である。この番組は、始まってからかれこれ、20年、現在も続いている。東北6県と新潟県だけにしか放映されていないのが残念だ。草柳さんはこの番組に毎回、工夫をこらしている。対談中は一切CMを入れないとか、四季折々の詩歌を冒頭に掲げて季節のこころを序章とする。私は出演のたびに草柳さんの番組に対する繊細な心くばりに驚いている。草柳さんとの交友は何十年にも及ぶ。あうんの呼吸というか、リズムがよほど合うのであろう。そもそも草柳さんと私との出会いには、東北電力副社長の小林智夫さんが仲人役の任に当たった。3人そろい踏みをすると話は尽きない。確か草柳さんと晩秋の東北路を旅していたときだと記憶している。前の晩、国政の乱れを憂えていた草柳さんに、文才のない私になり代わって斎藤隆夫伝なるものを書いていただきたい、もう斎藤隆夫のことを知る日本人はほとんどいないではないかと懇請した。戦時中、軍部がわが世を謳歌していたとき、文には文の職分あり、軍には軍の職分がある、されば軍は軍の職分に専念し、政治に口出しするなという「粛軍演説」を国会で堂々とブチ上げた男がいた。それが斎藤隆夫である。今の自衛隊論議とはまったく関係ない。草柳さんは黙して語られなかったが、その後、私の期待する以上の傑作「斎藤隆夫かく戦えり」(文芸春秋)なる立派な書を公刊された。草柳さん、小林智夫さんは私の心の友である。東北は吹雪の中でも温かい。人情の古里であり、傑作を発酵させる場でもあるから。(やじま・きんじ=青山学院大学教授)




# by mako-oma | 2015-05-11 22:49 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)