カテゴリ:斎藤隆夫( 55 )

 

歴史学者 磯田道史氏が涙した古文書

昨年11月22日(水)TBSテレビで「1番だけが知っている 魂震えるスゴイ日本人」という番組が放映されました。この中で「武士の家計簿」などで知られる歴史学者の磯田道史さんが、一枚の色紙との出会いを語られました。「大戦直前…たった一人で戦争を止めようとした男がいた」彼の魂を最も震わせた古文書とは…それは今から20年ほど前、当時大学院生だった磯田さんは露店の骨董市をのぞくのが趣味だったそうです。そこに、すごく変わった格好の骨董屋さんがパイプ椅子に座って物を売っていました。真っ黒なイギリス紳士のような帽子をかぶり、黒いマントのようなものを着て、ひげを生やした立派な顔つきの人だったようです。まるで大正時代からタイムスリップしてきたような露天商に吸い寄せられるように近づくと、段ボール箱の中には500円均一の色紙が何枚も入っていました。その中の一枚になぜか心惹かれ買って帰ったそうです。
そこには、「第75帝国議会 去っての感想『去感』」と書かれていました。

この色紙を書いたのは「斎藤隆夫」という政治家だということがわかり、斎藤隆夫とは一体どのような人物なのかを調べました。太平洋戦争に突入するきっかけとなった真珠湾攻撃の一年前、その頃の日本は軍部が暴走、政治にも介入し、議会を牛耳ろうとしていました。政府の要人たちが青年将校によって暗殺された226事件が起きる中、斎藤は危険を顧みず軍部を徹底批判した本「軍部に告ぐ」を出版しました。戦争へ突き進もうとする日本を何とか止めようとしていました。しかし軍部を真っ向から批判して、斎藤は護衛という名目で軍に四六時中監視される生活がはじまりました。昭和12年(1937年)支那事変(日中戦争)勃発。斎藤の力だけではどうすることも出来ず戦争へ突き進んで行く日本。その犠牲となるのは国民でした。戦死者は6万人を越え、国民は疲弊していました。更に議会の承認なくして国民を戦争に動員できる国家総動員法が昭和13年(1938年)成立してしまいます。兵士を送っても送っても解決がつかない状況になり戦死者が増えていく。庶民の負担は増すばかり。日中戦争で疲弊している国民を何とか救わねばならない。

そして昭和15年(1940年)2月2日、運命の第75帝国議会が開かれました。国民の声を届けるために斎藤はたちあがりました。当時の大臣は国家主義者で固められ、軍部の思いのままに動く政府、批判すれば殺されるかもしれない中で、斎藤は国民を守るため決死の行動に出ます。

番組では実際の音源も放映されました。「一体支那事変はどうなるものであるか?いつ済むのであるか?いつまで続くものであるのか?我々が支那事変の処理を考えうるにあたりましては、寸時も忘れてはならぬものがあるのであります。それは何であるか。他のことではない。二年有半の長きにわたって我が国家国民が払いたるところの絶大なる犠牲であるのであります。」戦争の犠牲になるのは国民。そして斎藤は日本の未来を守るために禁忌の言葉を国家につきつけます。「ただいたずらに聖戦の美名に隠れて国家百年の大計を誤まるようなことがありましたならば、これは現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない。」

太平洋戦争の一年前、斎藤は決死の覚悟で日本の未来を案じていました。斎藤のこの発言は問題視され、議長により議事録から削除されてしまいます。演説の三分の二が抹消されました。そして斎藤は聖戦を冒瀆したとして懲罰委員会にかけられ最も思い議員除名処分となります。斎藤の自宅には脅迫を意味する短刀が送りつけられました。「自分は一言も間違ったことは言っていない。」そして一詩を作りました。自分はこのまま殺され歴史に埋もれてしまうかもしれない。磯田さんが手にした色紙は決死の思いで書かれたものだったのです。

吾が言は即ち是れ万人の声
褒貶毀誉は世評に委す
請う百年青史の上を看ることを
正邪曲直自ずから分明

私の言ったことは国民の声である
ほめられるかけなされるかは世間に委ねるが
百年後の歴史をみて欲しい
正しいか間違っているかはおのずと明らかになる

磯田さんが最も魂が震えた一文は三行目。「百年後の歴史をみて欲しい」この色紙が書かれてからもうすぐ80年。偶然出会ったこの色紙。磯田さんは自分に託された斎藤からのメッセージだと感じたそうです。「後で多分評価してくれる、と委ねてくれている。歴史家が信用されている。これには非情に感動して泣きました。」と言われています。そんな貴重な色紙を500円で買ってしまった磯田さんは再び露天商の元を訪れその色紙を返そうとしましたが、露天商の口から出た言葉は、「この色紙はあなたの元に行く運命だったんだ」というものでした。本当に磯田さんの元にわたる運命だったんだと思います。歴史学者としての磯田さんの使命感に心をうたれました。磯田さんによって斎藤隆夫の名前が広く知られるようになればそれは嬉しいことです。私は孫としての使命感からこのブログを立ち上げました。

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by mako-oma | 2018-02-06 16:57 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

再び斎藤隆夫2

2018年がスタートして、気が付けばもう1月は終わろうとしています。今年はインフルエンザが大流行。予防接種をしたにもかかわらず、やられました。夫は後期高齢者で未接種にもかかわらず、未だ発症を免れています。昨年末から超多忙が続き、ブログの更新も出来ないまま新しい年を迎えてしまいましたが、今年も「斎藤隆夫」に関する記事を出来るだけ皆様にご紹介できたらと思っています。その第一回は、昨年末の出来事をお話したいと思います。ある日、小学校からの友人から突然電話があり、「あなたのおじい様のことがサンデー毎日の11月12日号に載っているわよ。」というのです。彼女は昔から本が大好きでした。そしてよく図書館にも出入りしているのですが、サンデー毎日の書評欄がお気に入りのようで、それを見て気に入った本があると、図書館に頼んで入れてもらうようです。最新号ではない週刊誌が図書館にあるとは知りませんでしたが、なかなか図書館に行くこともないので、彼女にコピーを頼んで送ってもらいました。記事はノンフィクション作家の保坂正康氏が書かれているもので、「日中戦争時の軍部の罪を徹底批判した斎藤隆夫反軍演説の教訓」というタイトルがついていました。与党が圧勝した昭和29年の年に、斎藤隆夫が演説した昭和15年という年を思い起こして、歴史を紐解いてくださっています。44ページから49ページまで4ページにわたり、詳しく書かれているものを読むと、日頃から私が感じていること、即ち、「人は歴史から学ばなければいけない」という思いを新たにしました。軍部が政治家を密かに採点していたこの時代に、誰も国民が本当に聞きたいことを聞いてくれる政治家はいなかったのです。泥沼化した日中戦争がいつまでつづくのか。永年犠牲を強いられてきた国民の我慢も限界に達してきているのに、政府は何も明らかにしませんでした。その時に、斎藤隆夫は国民を代表して政府に問いただしたのです。広辞苑を引くと、「代議士」とは、「国民から選ばれ、国民の意見を代表して国政をする人。衆議院議員の通称」とあります。現在の議員さんの中に、果たして本当の意味での「代議士」は一体何人いるのでしょうか。(アマゾンでサンデー毎日11月12日号、手に入れました)
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by mako-oma | 2018-01-23 14:37 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

斎藤隆夫にみる真の政治家(12)~粛軍演説~

『粛軍演説』の反響は大きかった。翌日の各新聞は大見出しをつけて演説の一部を掲載し、歴史的大演説だとほめあげた。東京日日(今の毎日)新聞標題。「斎藤氏熱火の大論陣、国民の総意を代表し今事件の心臓を衝く、軍部に一大英断要望」元海軍士官で評論家の水野広徳は、「誠叫ぶ舌三寸の力には弾丸もつるぎも及びこそすれ」という歌を、また尾崎行雄は、「正しきを践みて怖れす君独り時に諛る人多き世に」という歌をそれぞれ斎藤におくっている。演説がここまで国民的歓迎を受けるとは、斎藤自身全く予想していなかった。彼はその回顧録に、これが永くわが国憲政史上に残ると思えば、実に政治家としての一大責任を果たした心地がした、と書いている。演説から斎藤の人間的特徴を表すものとして、次の三つを挙げたい。
①”明晰さ”への求心力。彼の演説は、権力の行使に”明晰さ”を追求することで”鏡をおく”作業をもたらしている。②思想の設計図が鮮明に読み取れること。つまり聴く人に政治を進行形のまま理解させることができる。③アナログ型思考の人であったこと。問題を瞬間的にとらえて批判するのではなく、時間軸の上を誘導しながら、その変化と発展の意味をとらえている。以上を集約した上で、彼は「反軍家」「反戦家」というより、「正論家」であるということがわかる。「正論家」が国を動かすことは少ないが、「正論家」を無視した国の経営がうまくいったためしはない。」「正論家」とは行為者にとって前に置かれた鏡なのである。行為者はその鏡によって自分の等身大の姿を知り、ゆがんだ行為を修正し、希望的観測や情念からくる錯誤から免れることができる。彼は、その政治家としてのイメージで、現代の政治に対しても「鏡」の役割を果たしていると言えるだろう。

以上、今から20年以上も前、一人の女子高生が書いたレポートでした。国会図書館に何度も足を運び、古い新聞記事を探したり、何冊もの本を読んでまとめあげたものです。今でいうコピペ部分もかなりありますことをご了承いただきたいと思います。彼女の卒業式の折には、このレポートを読まれた来賓が祝辞の中で、「私も燃ゆる思いでこの演説を聞きました」とおっしゃってくださいました。
斉藤隆夫除名のきっかけとなった『支那事変処理に関する質問演説』については、あらためて掲載したいと思います。

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by mako-oma | 2017-06-02 20:22 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

斎藤隆夫にみる真の政治家(11)~粛軍演説~

斎藤は最後に、今回の2.26事件にたいする「国民感情」について述べた。国民的尊敬の的だった高橋大蔵大臣、斎藤実内大臣ら、誰が見ても温厚篤実な重臣が、国を守るために授けられた軍人の銃剣によって虐殺されたのだ。むろん国民は非常に憤慨し、また心を痛めている。それにもかかわらず、言論の自由が拘束されている今日の時代において、彼らは公然とこれを口にすることはできない。わずかに私語の間にこれをもらすか、あるいは目くばせで伝える。これでは、専制武断の封建時代となんの変わりがあるのか。「一部の単独意思によって、国民の総意が踏みにじられる形勢が見られるのは、はなはだ遺憾千万の至りにたえない」それでも国民は沈黙し、政党も沈黙している。しかし、人間は感情的動物。「国民の忍耐力には限りがあります。私は、その忍耐力が尽きる時の来ないことを、心から希望するのであります」  (つづく)


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by mako-oma | 2017-06-01 21:04 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

斎藤隆夫にみる真の政治家(10)~粛軍演説~

さらに、5.15事件に関係した青年将校20名のほかに、「これ以外に、より以上の軍部首脳者にしてこの事件に関係している者は一人もいないのであろうか」と追及した。山本検察官の論告の中に、この疑いの可能性を示すものがある。簡単に挙げると、①被告は、戒厳が宣告されそうになったらどこからか大きな勢力が現れて、当然これを収拾してくれるだろうと確信していた。②部下指導における上司の態度はきわめて曖昧で、彼らの行動を上司は認容していたかのようにみえる。このようにして斎藤は、軍部秘密所に言論の刃を突き刺した。以上、要約すると、5・15事件の原因は、次の二つということになる。一つは青年軍人の思想問題、もう一つは事前監督および事後に対する軍部当局の態度である。そこで一転して、それでは軍部以外の政治家はどうなのか。立憲政治家たるもの、正々堂々と国民の前に立ち、公明正大に政治上の争いをするべきである。裏で策動して陰謀を企てるなど、許すべからざること。まして、政治圏外にある軍部の一角と通謀し、自己の野心を遂げようとするに至っては、これは政治家の恥であり堕落であり、卑怯千万のふるまいである。斎藤は暗に、軍部がのさばるのは立憲政治家の側に軍部に乗せられるところがあるからだと指摘しているのだ。「私は全国民に代わって軍部の一大英断を希望する者であります」   (つづく)
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by mako-oma | 2017-05-31 21:13 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

斎藤隆夫にみる真の政治家(9)~粛軍演説~

5.15事件においては、軍人が一国の総理大臣を銃殺したわけで、その罪の重大であることは言うまでもない。海軍刑法によれば、叛乱罪は死刑一点張りで、選択刑は許されていない。よって、死刑の要求が下った。ところが、その判決に反対運動が起こり、軍の上層部はこれを抑止せず、山本検察官の身に危険が迫ったため、多数の憲兵が彼を保護する、家族は遠方に避難…このような状態で、裁判の独立が維持できるはずがない。裁判の結果は、死刑の要求は13年と15年の禁固となり、軽いのは1,2年、しかも執行猶予つきとなった。ところが、同じ事件に関係した民間側被告の主犯は、無期懲役に処せられている。ある発電所に爆弾を投じたけれども未発に終わり、何の被害も出さなかった、それなのに、この極刑である。民間人であり、普通裁判所に属する者だから。一方では、実際に犬養首相の殺害に手を下したにもかかわらず、その人が軍人であり、軍事裁判所に属したため、はるかに軽い刑ですんでいる。人と場所によって、ここまで差別が生れる。天皇の御名において行われる裁判は、徹頭徹尾独立であり神聖であり、公平でなければならない。これで国家の裁判権が遺憾なく発揮されたということができるか。斎藤は、そのように軍を質し、5.15事件の主体的構造を解明することによって、2.26事件との連続性に強烈な光を当てている。 (つづく)
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by mako-oma | 2017-05-30 21:20 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

斎藤隆夫にみる真の政治家(8)~粛軍演説~

斎藤は首をふりふり核心に入る。事件のもう一つの原因として、青年軍人の直接行動に対する軍部当局の態度を挙げている。昭和6年の3月事件、10月事件は、5.15事件および今回の反乱事件(2.26事件)と性質を同じくするものだが、この両事件に対し、軍部はどう処置したかというと、少しも徹底した処置をとっていない。「寸にして断たざれば尺の憾みあり、尺にして断たざれば丈の憾みあり、たとえ一木といえども、その根が深く地中に蟠踞するに至っては、これを倒すことは容易ではない」 軍部当局が事件を「闇から闇へ葬る行為」をくり返したこと、さらに、いくつかの不祥事件を起こしながら、立憲政治への介入を継続させたこと、この二点が演説の中に展開する。    (つづく)
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by mako-oma | 2017-05-29 21:50 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

斎藤隆夫にみる真の政治家(7)~粛軍演説~5.15事件

斎藤は、自ら公判を傍聴した5.15事件に、その論点をもっていく。法廷における被告人の態度はきわめて堂々としていて、さすが青年軍人であった。彼らのしたことは、もとより国家社会を思う熱情から来たものであり、内にやましいところは一つもないのだから、それも当然のことだ。しかし、その思想はあまりに単純すぎた。彼らは22,3から30歳に満たない青年であり、軍事に関して一応の修行を積んでいるほかは、政治、外交、経済などについての知識・経験は皆無なのだ。無責任にして誇張的な言論機関の記事や、一部の不平家・陰謀家の言論が、何も知らない彼らを刺激した。今の政党、財閥、支配階級は、ことごとく腐敗堕落している、とか、このままでは国家は滅亡してしまう、とか、これを救うには、大化の改新にならって国家の改造をやるしかない、天皇親政、天皇中心の政治を行うには、軍事内閣を作らねばならぬ、とか。だれかが、今の政治は腐っている!といえば、確かな根拠もないまま、そうだそうだと信じる。ロンドン条約は統帥権の干犯だ!といえば、憲法上どこが統帥権の干犯なのか、よくわからないまま、これを信じる。国家の危機、直接行動のほかない!といえば、なんとなくそんな気がしてくる。青年将校が、革新のプログラムを持たずに、空疎な言論をもてあそんだ末、直接行動に出たのはなぜか。斎藤は、この根拠をわが国の国民性に求めている。「元来わが国民には、外国思想の影響をうけやすい分子がある」デモクラシーの思想がさかんになれば、われわれもデモクラシー。ナチス、ファッショ思想が起これば、またそろってこれに走る。「思想上において国民的自主独立の見識がないことは、お互いに戒めねばならぬことであります」軍事教育を受け、愛国の念に凝り固まった青年たちが、それらの言論をうのみにし、複雑な国家社会に対する認識を誤まったことが事件の大原因なのである、と斎藤はそのように主張した。とてもわかりやすい。 (つづく)
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by mako-oma | 2017-05-28 20:10 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

斎藤隆夫にみる真の政治家(6)~粛軍演説~軍部の政治介入

『粛軍演説』の主調音は、政治集団と化した軍部の暗部をつくことにあった。つまり彼は、軍部そのものではなく、その「政治性」を批判したのである。明治天皇が軍人に賜った『軍人勅諭』,伊藤博文の『憲法義解』をはじめ、どの法律・規則を見ても、現役軍人に対しては、選挙権も被選挙権も認めていない。この理由は一つ、陸海軍は国防のために設けられたものだからだ。軍人はつねに天皇の統帥権に服従し、いざとなったら国家のために,身命をかけて戦争に従わなくてはならない。だから当然、軍人の教育訓練はもっぱらこの方面に集中される。政治、外交、財政、経済などは、軍人の知識経験の外にあるのだ。若し軍人に政治活動を許すと、政争の結果、武力にうったえて自己の主張を貫徹するに至るのは自然の勢い。そうなったら、立憲政治は破滅し、国家動乱、武人専制の端を開くものであるから、「軍人の政治運動は断じて厳禁せねばならぬのであります」ことに青年軍人の思想は、きわめて純真ではあるが、また単純であり、それ故に彼らが政治に参加するということは、きわめて危険性をもっている。 (つづく)
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by mako-oma | 2017-05-27 19:48 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

齋藤隆夫にみる真の政治家(5)~粛軍演説~

広田弘毅首相がその声明書の中で、「庶政一新」(各方面の政治を一新する)の決意を発表しているが、それに対して斎藤は、「申すまでもなく政治は宣言ではなくして事実である」百の宣言ありといえども、一の実行なきところにおいては政治の存在を認めることはできないのであります」要するに日本では、戦前も戦後も、行政改革の実現など内閣の宣伝だけだ、ということになるかもしれない。宣言と決意の大安売りで、どれも至難のものばかり。もちろん聞きたいのはどうやるかということだが、首相は肝心の点をぼかしたままである。当時、内閣も軍部も、又右翼や評論家、新聞雑誌等の論調も、日本に何らかの根本的「改革」が必要であり、また日本の針路を明確化した「国策」の樹立が必要だとする意見を表明していた。そうした中で、斎藤はその必要性を否定し、実際に行われている「革新案」に「理論あり、根底あり、実効性ある」ものを見ず、この種の無責任で過激な言論が、思慮の浅い一部の人々を刺激して、ここかしこに穏やかでない計画を作り出し、兇漢による反乱事件へとつながるのだ、とその危険性を指摘した。それはまさに、武力によって現状を打開しようとする政治の流れを表し、いわゆる国家改造路線へとつながるのである。首相への最後の質問は、国策について。一方で軍備の競争をしていながら、一方で外交政策は成功した、うまくいっているという、これはまったくもって偽りである。あちらが軍縮の拡張すれば我もまた拡張する、我が拡張すればあちらもまた拡張する、こういう勢いを持って進んでいったら末はどうなることか。世界の軍備拡大に歩調を合わせながら、どこに広田首相にいう「自主外交」「積極外交」があるのか、と問いただすと、斎藤は「此れより軍部大臣にお尋ねしてみたいことがあるのです」と急角度に主題曲に突入する。
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by mako-oma | 2017-05-26 20:51 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)