カテゴリ:交流( 12 )

 

古稀を祝う会

気が付いたら今年も余すところあと三か月になってしまいました。振り返ってみると、4月に中学の5クラス合同の「古稀の祝い」、9月に高校の3クラス合同の「古稀の祝い」、そしてその2週間後にちょうどシカゴから来ていたクラスメートを囲んで小学校の「古稀クラス会」をやりました。私はそのいずれにおいても幹事でした。私自身は3月生まれですので、まだ70歳ではありません。中学の同期会はこれまでにも何回か開かれ、参加者は全員中学時代の顔写真つきの名札をつけ、過ぎ去った年月の長さを感じました。高校の同期会はこれまで一度も開かれたことはありませんでした。昨年、高校卒業50周年の記念すべき年だったのですが、何事もなく過ぎてしまいました。そこで、ちょうど一年前友人と相談して「古稀の祝い」を開くことにしました。まず各クラスのクラス委員にお話したところ、皆さん賛同してくださいました。そして、各クラス3名の実行委員をお願いし、合計12名の幹事で一年間準備してきました。ご案内状を出した人数の半数以上の方が出席してくださいました。そしてその9割の方が二次会にも参加してくださいました。全員で70名以上の集合写真が撮れるかどうか心配しましたが、最近のスマホはスゴイですね。全く問題なくきれいに撮れました。それをメールに添付して皆様にお送りしました。最後までうまく送れなかった名簿の一番最初のAちゃんと一番最後のY子。Aちゃんは最近スマホにしたばかりでまだ使いこなしていない様子。Y子はパソコンは全然使っていないようで、近々ガラケイをスマホに変えるとのこと。全員のアドレスを入力し、Y子を除く皆さんには全員の集合写真と各クラスごとの写真3枚、そして写真が趣味の友人から届いたスナップ写真をアルバムにしたものをお送り出来ました。初めて開いた同期会でしたが、皆様に楽しんでいただけたようで、何よりと思っています。そして、最後は小学校の古稀クラス会でした。こちらも20名参加の盛会でした。もともとは48名でしたが、クラス委員だった3名を含み7名が既に亡くなっているので現在は41名です。シカゴの彼は、高校卒業後アメリカにわたり、MITを卒業後ずっとアメリカで仕事をしてきたので、日本に帰るのではなく、日本に来るのです。前回彼が日本に来たのは4年前です。その時は、日にちが余りなかったことやいろいろあって声をかけて集まったのはたったの3人でした。私ともう一人の幹事、それに彼を入れて6名。これまでいろいろ幹事をやってきましたが、こんなことは初めてでした。そこで、私は考えました。「そうだ、今まで一度もクラス会に出てきたことがない人に声をかけてみよう!」そして二人のクラスメートに電話しました。二人とも喜んで来てくれました。8名だけのクラス会でしたが、とても良い会でした。それ以来4年間クラス会は開かれず、その間に二人のクラスメートが天国に旅立ちました。二人ともクラスでは目立つ存在でした。一人は、音楽プロデューサーとして業界ではその名の知れた人でした。彼のご葬儀の際には受付のお手伝いをしましたが、多くの芸能関係の方が来られました。またもう一人は、プロ並みのゴルフの腕前でしたが、突然沖縄に移住してしまい、私達の前から姿を消しました。そのわずか一年二か月後、奥様も全く予想しなかったと言われましたが、彼は奥様の腕の中で亡くなりました。その二人が欠けてしまったことは本当に寂しいです。人生100年時代と言われますが、70歳の壁は高いです。
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by mako-oma | 2018-09-26 21:16 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

6つの用事をどうこなす?

師走の声を聞いてからはずっと忙しい日が続き、気が付いたら今年も余すところあと10日余りとなってしまいました。中でも特筆すべきは12月3日、この日に6つの用事が重なってしまいました。3つのライブに毎年恒例のクリスマスチャリティコンサートのお手伝い。そしてSt. Michael 教会の日本人コミュニティとドイツ人コミュニティの始めての交流会、Adventsfest。これは元々は10月に開催予定だったのですが、台風の為に延期されてしまい、よりにもよって3日の日に重なってしまったのです。最後に入ってきたのが緑道のお掃除です。今年は町内会のお当番の年で、いろいろお仕事があります。主なものは年4回の集金です。最近はお仕事をされている方が多いので、日中伺ってもお留守で、何度も足を運ばなければなりません。歳末助け合いの寄付の集金もやっと終わったところです。さてどのようにこなすか、散々迷った挙げ句3つ選びました。先ず10時からのSt.Michael 教会のごミサに行きました。日本語とドイツ語の両方をおりまぜたスペシャルバージョンでした。ミサ後中庭でバザーやビュッフェ、福引などのアトラクションを楽しみました。お天気にも恵まれ、大勢のドイツ人と日本人が集まり共に楽しいひと時を過ごしました。そのあと私は、友人のライブを聞きに行きました。彼はP.P.M.のコピーバンドを作っていて、最近は色々なところで演奏しています。今回は、たまたま私の家の近くにあるお店でやるというので、「これは何としても行かなくては」と思いました。懐かしいピーター・ポール&マリーの曲を何曲か演奏しましたが、ユニークなのはマリーが鍵盤ハーモニカを持っているのです。これがなかなか良い仕事をしていました。マリーのトークもやはり場数を踏んでいるなと思われました。学生時代を思い起こさせてくれた彼らの演奏が終わったのと同時に私はお店を出て次の場所に急ぎました。最後はトキワ松学園です。学生時代の先輩がつくった異業種交流会にもう何十年もずっと所属しており、会員の現役リタイアーを機に、”そろそろ社会に恩返しを”ということで、トキワ松学園とのコラボで、二か月に一回チャリティーイベントを開催しています。すべての子どもたちに教育の機会を!」を目的に、皆様から寄付を集め、「ネグロス雙葉会」「カリヨン子どもセンター」「難民を助ける会」「すずめ食道」の4団体にお送りしています。少しでも時代を願う子どもたちの教育支援につながれば嬉しいです。チャリティーコンサートはもう既に終わってしまっていましたが、その後の慰労会に出席出来たことは、また来年に向かって皆様と一緒にやって行こうという気持を新たにさせていただきました。長い一日でした。


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by mako-oma | 2017-12-16 11:21 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

園長先生学園葬

12月に入ると第一週は朝8時代に家を出て、一日中外にいた日が一週間に3日もあり、朝ドラが抜けてしまったり、新聞がたまってしまったり、開封してない郵便物があったりで、本当に忙しかったです。2日の日は幼稚園の時の園長先生の学園葬があり、学年幹事は8時45分集合でした。97歳で亡くなられたのですが、数年前迄現役の園長先生でした。今年創立70周年を迎えましたので、親子孫と三世代に渡ってお世話になった方も多くいらっしゃいます。私の頃はまだ制服もなく、幼稚園のお人形さんを家に持って帰つて母が洋服を作ってくれたりと、とても家庭的な幼稚園でした。父に手をひかれ、幼稚園に通った記憶は今でも鮮明に思い出されます。この園長先生は母の学校の先輩で、後になって、母と結婚する前の父をご存知だったと聞きびっくりしました。8時45分から3時までの予定だったので、完全防寒で行きましたが、お天気にも恵まれ受付で動いていましたし、またストーブを用意してくださったので、持参のホカロンも使わずにすみました。お天気にも恵まれ大勢の方が参列され、お手伝いさせていただきとても嬉しく思いました。創立60周年の時に同窓会組織ができ、先生もとても喜んでいらっしゃいました。この縦の繋がりが末永く続くことを先生はきっと天国からご覧になっていることでしょう。
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by mako-oma | 2017-12-08 09:48 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

青年会OB・OG会


今年もまた恒例のOB・OG会が開催されました。半世紀前、私達はカトリック高輪教会の青年会で共に青春時代過ごしました。その仲間達が、一年に一回、懐かしい高輪の地に集まると、あっという間に50年前にタイムスリップしたような気持ちになります。その頃青年会の皆から"ママ"と呼ばれていたおば様も、92歳になられましたが、今年もお元気で参加されました。当時聖歌隊の指導をしてくださった先生も、91歳というお歳とは思えない相変わらずの張りのあるしっかりとしたお声でご挨拶されました。例年御ミサをあげてくださるのは、当時主任司祭でいらして、青年会の活動に積極的に参加してくださったお二人の神父様でしたが、今年はそのお一人であるアメリカ人の神父様は函館にいらしてしまったので、残念ながら参加されませんでした。今回、初めてこの会に参加された私と同じ名前のM子さん。おそらく何十年とお会いしていなかったと思いますが、長い髪にクリクリっとした目は昔のままでした。この再会は驚きの再会でした。彼女の息子さんはもう20年以上もドイツ・デュッセルドルフ在住で、奥様はドイツ人。3人のお子様がいらっしゃり、M子さんは、毎年そのお孫ちゃんに会いにデュッセルドルフに行かれるとのこと!何と懐かしいデュッセルドルフ!彼女はスマホを取り出し、何枚もの写真を見せてくれました。ライン川沿いの懐かしい景色に感激です。息子さんは二十歳の時にドイツに行かれたそうです。行ってすぐに、彼は幼稚園時代にお世話になり、その後ドイツにわたられたシスターを訪ねたそうです。私とM子さんは確か同じ歳だったと記憶しています。おそらく息子さんも我が家の娘たちと同じくらいの年齢かな?と思いました。37年前、私達がドイツに旅立った時は、まだ直行便はなく、アンカレッジで一端飛行機を降りました。その時、何人かのシスターのお姿が目にとまり、お話させていただきました。皆様これからデュッセルドルフで幼稚園の運営に携われるとのことでした。何と、長女がこれからお世話になる幼稚園だったのです。あらかじめ日本で決めていたカトリックの幼稚園は、それまで運営されていた修道会がその年度で終わ
り、新たな修道会のもとに運営されることになったのです。飛行機でご一緒したシスター方は、その新しい宮崎カリタス会の皆様だったのです。不思議なご縁を感じました。長女も次女もこの聖母幼稚園で本当にお世話になりました。6年間のデュッセルドルフ在住中、4年間幼稚園の送り迎えをしました。中でもシュヴェスター(独語)・ウベルティーナとの思い出は子供たちにとって忘れられないものになっています。毎年クリスマスカードのやり取りだけですが、いつも子供たちのことを気にかけてくださいます。何と、そのシュベスター・ウベルティーナが、M子さんの息子さんが真っ先に訪ねたシスターだったのです!M子さんもデュッセルドルフに行くときには、シスターにもお会い
になるそうです。息子さんが幼稚園時代にシスターと一緒に写っている写真を見せてくださいました。37年前、子供達が幼稚園時代のお顔です!私たちがドイツから帰国して既に31年。今はケルンですが、シスターはずっとドイツです。シスターも私とほぼ同年齢だと思います。いろいろと大変だと思います。いつか、シスターとM子さん、そして私の3人でお会いしたいです。
懐かしい写真を探しました。
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     新年会ライブ
         

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by mako-oma | 2017-10-10 09:33 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

隣人の死

東京より一か月遅い蓼科の桜も終わり、今はモクレンやこぶしが満開となりました。水仙にサクラソウ、これからは一年中で一番お花の美しい季節です。それでもまだ暖房は欠かせません。朝の気温は2度とか3度、0.9度の日もありました。ここでもテニス友達やご近所の方等何人かの親しくしている友人がいます。お隣さんは定住組のご夫婦です。優しそうなご主人と元気いっぱいの奥様でした。この冬はなかなかこちらに来る機会がなく、今年になって初めてのご挨拶に行きました。実は、その前日、娘のバースデーパーティーを我が家でやったのですが、バースデーケーキが重なってしまい、その日もう一組のご夫婦と一緒にお茶会をしようと思いお誘いにあがりました。玄関のベルを鳴らすとご主人が出てこられました。半年ぶりなので「ご無沙汰しています。皆様お変わりありませんか?」とお聞きしたら、「家内が死にそうなんです」と言われ、一瞬何の事だかわからず、「えっ?」と発してしまいました。昨年12月、胃がんの末期と言われ、もう水も受けつけず、前日からは意識ももうろうとしているというお話を聞き、本当に信じられませんでした。「あんなに元気な方が…そんなばかな!」という思いだけでした。昨年は、妹夫婦も一緒に二日続けてお宅にお邪魔して麻雀をやりました。私は何年振りかだったので、とっても楽しかったです。今朝、車で出かけようとしたら見慣れないマイクロバスが止まっていました。フロントガラスには「~家」という張り紙がしてありました。「えっ!もうこんなに早く…」ショックでした。お家に電気がついた頃をみはからってお花を持ってお訪ねしました。ご主人はご不在でしたが、義理の妹さんが出てこられ、私たちがご挨拶に伺った翌日に亡くなられたということを伺いました。一緒にいただこうと思っていたケーキをお届けしたので、「あぁ、あのケーキをくださった方ですね。美味しかったですよ。」と言っていただきました。もうすぐレンゲツツジの季節になります。我が家の庭にはいろいろ植えましたがすべてシカにやられてしまいました。唯一楽しめるのが6月に咲くレンゲツツジです。庭の草刈りは大変な仕事ですが、主人はレンゲツツジを傷つけないようにと気を付けて刈ります。ですからその下草はいつも残されたままでした。でもお隣の奥様は、お宅から見えるレンゲツツジが楽しみだとおっしゃって、下草をきれいに刈ってくださいました。ありがとうございました。心から感謝です。これからは私が刈らなければならないのでしょうか。本当に人間、明日のことは全くわからないのだと実感しています。他人事とは思えません。今、余命数か月と宣告されたら、と真剣に考えています。断捨離もどんどん進めないと、と思っています。何よりも後に遺された人たちが困らないようにすることがたくさんあります。


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by mako-oma | 2017-05-03 08:29 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

幼稚園ミニミニクラス会

先日我が家で幼稚園のミニミニクラス会をしました。今回は、仲間の寿ちゃんが新春大歌舞伎の舞台を終えたので、お疲れ様会をやろうという俊ちゃんからの提案で開催することになったのですが、寿ちゃん本人は全然疲れていないということで、ミニミニクラス会となりました。皆様お忙しいのに、お返事をくださった方々12名はすべて出席でした。パーキンソン病を患っている新太ちゃんは、富山でのリハビリを調整して来てくれました。主人を入れて総勢13名。我が家のテーブルを囲める最大人数です。今回は、中華のケータリングをお願いしました。母がまだ元気な頃、よく蓼科の中華料理店に行きました。その本店が我が家のすぐ近くにあると知ったのは、母が亡くなった後のことでした。そのお店にケータリングをお願いしました。アルコール類は皆様の持ち込みです。スプマンテのマグナムをはじめとして、各種ワインに日本酒、更には前日苗場で飲んでいたというウィスキーまで豊富にそろいました。中にはお寺ブランドの珍しいワインもありました。結構飲みました。皆さんもう年だから…と思いましたが、元気元気!空いたビンを見て、まだまだこれからと再認識しました。”幼稚園のクラス会”というと、子供の幼稚園の親たちの集まりと思われる方がいますが、いえいえ、65年前に一緒に遊んだ幼稚園仲間なのです。古希を間近にした男女がお互いに”~ちゃん”と呼び合う光景は、はたから見たらきっとおかしいでしょうね。
65年前の姿は、以下のブログをご覧ください。




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by mako-oma | 2017-02-23 15:04 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

新年会ライブ


早いものでもう2月。1月は新年会がいくつもあり、毎日が忙しく過ぎていきました。その中での一番は、1時から6時までお店を借り切って開いた昔の仲間との新年会です。そのお店は、家の近くにあり、普段はカフェをやっているのですが、コンサートにも貸し出していて、ピアノもあり、マイクや音響設備も完備しています。マスターはキングストントリオのコピーバンドをやっています。昔の仲間の一人がPPMのコピーバンドをやっていて、お店の見学に来たことがきっかけで、ここで新年会をやろうということになりました。昨年は、高校卒業以来消息不明だった友人との半世紀ぶりの再会を果たし、お昼から夜までひたすらしゃべって歌って50年の空白を埋めました。


今は仙台に住んでいるその彼も今年の新年会を楽しみにしていて、今回は日帰りで出て来ました。
インドネシア人と結婚した友人も日本に一時帰国して参加してくれました。
今回は、楽器が出来る人は楽器持参ということで、ギターやウクレレ、それにハーモニカとそれぞれ愛用の楽器を持ってきました。私もバイオリンを持って行きましたが、或る事情から弾くことはなく、ご披露だけしました。
その代わりに、ペンダントハーモニカとボーカルで参加しました。歌詞を覚えている数少ない曲の一つをギターの友達が弾き始めたので、私はマイクに向かい、2本のギターをバックに歌いました。なんと贅沢な時間だったことでしょうか。気持ちよかったですね。素敵な仲間との素敵な時間に感謝です。









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by mako-oma | 2017-01-26 14:58 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

この一か月の出来事(2)

帰って来て3日ほど東京におりましたが、その後名古屋方面に車で出かけました。いきなり直行するときついので、途中また山小屋で1泊してから行きました。これは、夫の友人グループ結成50周年の記念旅行で、8組の夫婦とシングル二人の計18名という人数になりました。メンバーの一人が名古屋に住んでいるので、彼の近くということで、メインの宴会は鬼岩温泉になりました。その前にゴルフをやる人は一日早く行って、彼の所有する古民家で、囲炉裏を囲んで飲んだり食べたりで盛り上がりました。翌日のゴルフは、週間予報では雨だったので、もう流れると思っていました。予報通り8時半のスタート時には雨が降っていましたが、ゴルフ場のスタッフは雨雲の動きを見せながら、「9時にはやみます」と断言しました。その言葉通り、9時には雨はやみ、30分遅れでスタートしました。途中霧で何も見えないホールもありましたが、キャディーさんの言う通りに打ったら良いところに落ちてくれました。ここは彼が所有するゴルフ場なので、きっと優秀なキャディーさんがついてくれたのでしょう。一緒に回った方々は、皆さんレベルの高い方々で、私なんかが一緒に回ってはいけないのではないかと思いましたが、そんなこと全然ありませんでした。最高に楽しかったです!     (つづく)


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by mako-oma | 2016-06-05 14:17 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

横浜日独協会

そもそも東京都民の私がなぜ横浜日独協会の会員になったのかをお話したいと思います。
2011年7月2日、横浜日独協会設立記念音楽会がフェリスホールで開催されました。
その4か月前、東日本大震災が起こりました。岩手県一関市にある児童養護施設「藤の園」も建物や地面に亀裂が入り、とても住めるような状況ではなくなりました。
そこの園長先生は私の知り合いのドイツ人シスターでした。私は周りの友人・知人に呼びかけ、建物再建のためのご寄付をお願いしました。横浜日独協会でもこれにご協力をいただき、この日のコンサートの売り上げから「藤の園」へのご寄付をいただきました。その後例会にシスターをお呼びして、被災地のその後を伺う機会もあり、そんなご縁から私も横浜日独協会のお仲間に入れていただくことになりました。

横浜日独協会の活動はとても活発です。特に若い人を育てようという取り組みは、素晴らしいことだと思っています。フランクフルト独日協会との交流により、高校生作文コンテストを開催し、最優秀者2名をドイツに派遣し、ドイツからも2名の高校生を受け入れています。横浜日独協会ヤングクラブが設立され、先日、日独ユースフォーラムが開催されました。日独の若者41名が参加して、日本とドイツの教育や就職、また恋愛事情などについて語り合いました。また、横浜ーフランクフルト両地域の中小企業ニーズへの支援協力プロジェクト等の活動もしています。ハンブルク独日協会との協力プロジェクトもあり、ハンブルク桜の女王来日の際にはハンブルク独日協会会長も同行されました。
これらの取り組みは、会長はじめ役員の方々のご尽力のたまものです。すごいことだと思っています。



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by mako-oma | 2016-04-26 22:51 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

ハンブルク桜の女王 

4月15日(金)ハンブルクからの桜の女王を迎える会が横浜日独協会で執り行われました。
横浜市とハンブルク市は同じ港町として姉妹港提携を結んでいます。約50年前、両港の親善を記念して日本から桜の苗木が贈られました。それ以来ドイツからは「桜の王女(プリンセス)」日本からは「桜の女王(クウィーン)」が一年おきに相互訪問していました。昨年からドイツ側の呼び名が"Prinzessin(王女)から"Königin"(女王)に変わったため、今回は「第1回ハンブルク桜の女王」ということになりました。初代桜の女王に選ばれたLaura Gräwert さんは、1年間日本の大学に留学経験があり、見事な日本語でご挨拶をされました。その後、懐かしいドイツの歌"Ein Prosit"を合唱し、"Ein zwei drei super!"の掛け声で”Prosit!" そして歓迎会が始まりました。会員のソプラノ歌手の方が、ドイツの歌、日本の歌、素敵な歌声を聞かせてくださいました。最後には、桜の女王と一緒にハンブルクから来られたドイツ人男性が飛び入りで、"Trink, Trink, Brüderlein trink"を歌われ、いつの間にか出席者の皆様一緒に腕を組み、大きな一つの輪になっていました。








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by mako-oma | 2016-04-25 13:50 | 交流 | Trackback | Comments(0)