歴史学者 磯田道史氏が涙した古文書

昨年11月22日(水)TBSテレビで「1番だけが知っている 魂震えるスゴイ日本人」という番組が放映されました。この中で「武士の家計簿」などで知られる歴史学者の磯田道史さんが、一枚の色紙との出会いを語られました。「大戦直前…たった一人で戦争を止めようとした男がいた」彼の魂を最も震わせた古文書とは…それは今から20年ほど前、当時大学院生だった磯田さんは露店の骨董市をのぞくのが趣味だったそうです。そこに、すごく変わった格好の骨董屋さんがパイプ椅子に座って物を売っていました。真っ黒なイギリス紳士のような帽子をかぶり、黒いマントのようなものを着て、ひげを生やした立派な顔つきの人だったようです。まるで大正時代からタイムスリップしてきたような露天商に吸い寄せられるように近づくと、段ボール箱の中には500円均一の色紙が何枚も入っていました。その中の一枚になぜか心惹かれ買って帰ったそうです。
そこには、「第75帝国議会 去っての感想『去感』」と書かれていました。

この色紙を書いたのは「斎藤隆夫」という政治家だということがわかり、斎藤隆夫とは一体どのような人物なのかを調べました。太平洋戦争に突入するきっかけとなった真珠湾攻撃の一年前、その頃の日本は軍部が暴走、政治にも介入し、議会を牛耳ろうとしていました。政府の要人たちが青年将校によって暗殺された226事件が起きる中、斎藤は危険を顧みず軍部を徹底批判した本「軍部に告ぐ」を出版しました。戦争へ突き進もうとする日本を何とか止めようとしていました。しかし軍部を真っ向から批判して、斎藤は護衛という名目で軍に四六時中監視される生活がはじまりました。昭和12年(1937年)支那事変(日中戦争)勃発。斎藤の力だけではどうすることも出来ず戦争へ突き進んで行く日本。その犠牲となるのは国民でした。戦死者は6万人を越え、国民は疲弊していました。更に議会の承認なくして国民を戦争に動員できる国家総動員法が昭和13年(1938年)成立してしまいます。兵士を送っても送っても解決がつかない状況になり戦死者が増えていく。庶民の負担は増すばかり。日中戦争で疲弊している国民を何とか救わねばならない。

そして昭和15年(1940年)2月2日、運命の第75帝国議会が開かれました。国民の声を届けるために斎藤はたちあがりました。当時の大臣は国家主義者で固められ、軍部の思いのままに動く政府、批判すれば殺されるかもしれない中で、斎藤は国民を守るため決死の行動に出ます。

番組では実際の音源も放映されました。「一体支那事変はどうなるものであるか?いつ済むのであるか?いつまで続くものであるのか?我々が支那事変の処理を考えうるにあたりましては、寸時も忘れてはならぬものがあるのであります。それは何であるか。他のことではない。二年有半の長きにわたって我が国家国民が払いたるところの絶大なる犠牲であるのであります。」戦争の犠牲になるのは国民。そして斎藤は日本の未来を守るために禁忌の言葉を国家につきつけます。「ただいたずらに聖戦の美名に隠れて国家百年の大計を誤まるようなことがありましたならば、これは現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない。」

太平洋戦争の一年前、斎藤は決死の覚悟で日本の未来を案じていました。斎藤のこの発言は問題視され、議長により議事録から削除されてしまいます。演説の三分の二が抹消されました。そして斎藤は聖戦を冒瀆したとして懲罰委員会にかけられ最も思い議員除名処分となります。斎藤の自宅には脅迫を意味する短刀が送りつけられました。「自分は一言も間違ったことは言っていない。」そして一詩を作りました。自分はこのまま殺され歴史に埋もれてしまうかもしれない。磯田さんが手にした色紙は決死の思いで書かれたものだったのです。

吾が言は即ち是れ万人の声
褒貶毀誉は世評に委す
請う百年青史の上を看ることを
正邪曲直自ずから分明

私の言ったことは国民の声である
ほめられるかけなされるかは世間に委ねるが
百年後の歴史をみて欲しい
正しいか間違っているかはおのずと明らかになる

磯田さんが最も魂が震えた一文は三行目。「百年後の歴史をみて欲しい」この色紙が書かれてからもうすぐ80年。偶然出会ったこの色紙。磯田さんは自分に託された斎藤からのメッセージだと感じたそうです。「後で多分評価してくれる、と委ねてくれている。歴史家が信用されている。これには非情に感動して泣きました。」と言われています。そんな貴重な色紙を500円で買ってしまった磯田さんは再び露天商の元を訪れその色紙を返そうとしましたが、露天商の口から出た言葉は、「この色紙はあなたの元に行く運命だったんだ」というものでした。本当に磯田さんの元にわたる運命だったんだと思います。歴史学者としての磯田さんの使命感に心をうたれました。磯田さんによって斎藤隆夫の名前が広く知られるようになればそれは嬉しいことです。私は孫としての使命感からこのブログを立ち上げました。

[PR]

# by mako-oma | 2018-02-06 16:57 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

再び斎藤隆夫2

2018年がスタートして、気が付けばもう1月は終わろうとしています。今年はインフルエンザが大流行。予防接種をしたにもかかわらず、やられました。夫は後期高齢者で未接種にもかかわらず、未だ発症を免れています。昨年末から超多忙が続き、ブログの更新も出来ないまま新しい年を迎えてしまいましたが、今年も「斎藤隆夫」に関する記事を出来るだけ皆様にご紹介できたらと思っています。その第一回は、昨年末の出来事をお話したいと思います。ある日、小学校からの友人から突然電話があり、「あなたのおじい様のことがサンデー毎日の11月12日号に載っているわよ。」というのです。彼女は昔から本が大好きでした。そしてよく図書館にも出入りしているのですが、サンデー毎日の書評欄がお気に入りのようで、それを見て気に入った本があると、図書館に頼んで入れてもらうようです。最新号ではない週刊誌が図書館にあるとは知りませんでしたが、なかなか図書館に行くこともないので、彼女にコピーを頼んで送ってもらいました。記事はノンフィクション作家の保坂正康氏が書かれているもので、「日中戦争時の軍部の罪を徹底批判した斎藤隆夫反軍演説の教訓」というタイトルがついていました。与党が圧勝した昭和29年の年に、斎藤隆夫が演説した昭和15年という年を思い起こして、歴史を紐解いてくださっています。44ページから49ページまで4ページにわたり、詳しく書かれているものを読むと、日頃から私が感じていること、即ち、「人は歴史から学ばなければいけない」という思いを新たにしました。軍部が政治家を密かに採点していたこの時代に、誰も国民が本当に聞きたいことを聞いてくれる政治家はいなかったのです。泥沼化した日中戦争がいつまでつづくのか。永年犠牲を強いられてきた国民の我慢も限界に達してきているのに、政府は何も明らかにしませんでした。その時に、斎藤隆夫は国民を代表して政府に問いただしたのです。広辞苑を引くと、「代議士」とは、「国民から選ばれ、国民の意見を代表して国政をする人。衆議院議員の通称」とあります。現在の議員さんの中に、果たして本当の意味での「代議士」は一体何人いるのでしょうか。(アマゾンでサンデー毎日11月12日号、手に入れました)
[PR]

# by mako-oma | 2018-01-23 14:37 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

義母の命日

今日は義母の命日でした。2011年12月17日、95歳で亡くなりました。北朝鮮のキム・ジョンウィル総書記と同じ日に亡くなりました。仏教でいえば今年は7回忌ですが、義母の葬儀は無宗教で家族のみで行いました。義母の作ったお人形を飾り、暖かい雰囲気の中とても良い形で送り出すことができました。義母はウナギが大好きでした。隣に住んでいたので、時々「お昼、うなぎとお寿司とどっちにする?」と声がかかり、よくウナギをご馳走になりました。私もウナギは大好物。小学校時代の担任の先生が生前定期的に某大学病院に来られる時、教え子の女性5~6人が集まり、上にあるレストランでランチをしました。その時私はいつもウナギを頼みました。いつも必ずお寿司を頼む友人もいました。今ほどウナギが高価ではなかったのだと思います。そのメンバーの中にうなぎが大嫌いな友人がいて、人が食べているのを見るものイヤというぐらい嫌いでした。ですからたまたま私が目の前に座ると席を変わってしまうのです。その彼女ももう天国に行ってしまいました。メンバーの中に仲間内では最優秀の女性がいました。ずっとクラス委員をしていて、大学は工学部に進み、時代の先端を行くお仕事をしていました。その病院に勤務していたので、お昼休みには抜け出て私達と一緒にランチに加わりました。彼女は小学校低学年の頃、朝日ジュニアオーケストラで一緒にバイオリンを弾いていました。父がいつも送ってくれたので、おそらく父にとっては私の友人の中でも最も印象に残っていたのだと思います。その彼女も長い闘病生活の末に亡くなりました。ウナギにからんで色々なことを思いだしました。そのくらいウナギが大好きな私も義母が亡くなった後は出前を頼むこともなくなりました。義母の供養のために、今日は主人と二人、いつも出前を頼んでいたウナギ屋さんに初めて行ってみました。お店はすごく古い日本家屋で、中はお座敷がいくつもあるようでした。私達が通された10畳間も欄間のある天井の高いお部屋でした。うなぎはいつも頼んでいたのと同じものを注文しました。久しぶりにいただきましたが、やはり美味しかったです。他のお店で食べるのは甘すぎたり、ウナギのふっくら具合が違ったりで、やはりここのお店のウナギが私には食べ慣れたものでした。義母は食べるのが大好きでしたから、私達がウナギを食べながら思い出していることを喜んでくれていると思います。
[PR]

# by mako-oma | 2017-12-17 19:02 | 家族 | Trackback | Comments(0)  

6つの用事をどうこなす?

師走の声を聞いてからはずっと忙しい日が続き、気が付いたら今年も余すところあと10日余りとなってしまいました。中でも特筆すべきは12月3日、この日に6つの用事が重なってしまいました。3つのライブに毎年恒例のクリスマスチャリティコンサートのお手伝い。そしてSt. Michael 教会の日本人コミュニティとドイツ人コミュニティの始めての交流会、Adventsfest。これは元々は10月に開催予定だったのですが、台風の為に延期されてしまい、よりにもよって3日の日に重なってしまったのです。最後に入ってきたのが緑道のお掃除です。今年は町内会のお当番の年で、いろいろお仕事があります。主なものは年4回の集金です。最近はお仕事をされている方が多いので、日中伺ってもお留守で、何度も足を運ばなければなりません。歳末助け合いの寄付の集金もやっと終わったところです。さてどのようにこなすか、散々迷った挙げ句3つ選びました。先ず10時からのSt.Michael 教会のごミサに行きました。日本語とドイツ語の両方をおりまぜたスペシャルバージョンでした。ミサ後中庭でバザーやビュッフェ、福引などのアトラクションを楽しみました。お天気にも恵まれ、大勢のドイツ人と日本人が集まり共に楽しいひと時を過ごしました。そのあと私は、友人のライブを聞きに行きました。彼はP.P.M.のコピーバンドを作っていて、最近は色々なところで演奏しています。今回は、たまたま私の家の近くにあるお店でやるというので、「これは何としても行かなくては」と思いました。懐かしいピーター・ポール&マリーの曲を何曲か演奏しましたが、ユニークなのはマリーが鍵盤ハーモニカを持っているのです。これがなかなか良い仕事をしていました。マリーのトークもやはり場数を踏んでいるなと思われました。学生時代を思い起こさせてくれた彼らの演奏が終わったのと同時に私はお店を出て次の場所に急ぎました。最後はトキワ松学園です。学生時代の先輩がつくった異業種交流会にもう何十年もずっと所属しており、会員の現役リタイアーを機に、”そろそろ社会に恩返しを”ということで、トキワ松学園とのコラボで、二か月に一回チャリティーイベントを開催しています。すべての子どもたちに教育の機会を!」を目的に、皆様から寄付を集め、「ネグロス雙葉会」「カリヨン子どもセンター」「難民を助ける会」「すずめ食道」の4団体にお送りしています。少しでも時代を願う子どもたちの教育支援につながれば嬉しいです。チャリティーコンサートはもう既に終わってしまっていましたが、その後の慰労会に出席出来たことは、また来年に向かって皆様と一緒にやって行こうという気持を新たにさせていただきました。長い一日でした。


[PR]

# by mako-oma | 2017-12-16 11:21 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

園長先生学園葬

12月に入ると第一週は朝8時代に家を出て、一日中外にいた日が一週間に3日もあり、朝ドラが抜けてしまったり、新聞がたまってしまったり、開封してない郵便物があったりで、本当に忙しかったです。2日の日は幼稚園の時の園長先生の学園葬があり、学年幹事は8時45分集合でした。97歳で亡くなられたのですが、数年前迄現役の園長先生でした。今年創立70周年を迎えましたので、親子孫と三世代に渡ってお世話になった方も多くいらっしゃいます。私の頃はまだ制服もなく、幼稚園のお人形さんを家に持って帰つて母が洋服を作ってくれたりと、とても家庭的な幼稚園でした。父に手をひかれ、幼稚園に通った記憶は今でも鮮明に思い出されます。この園長先生は母の学校の先輩で、後になって、母と結婚する前の父をご存知だったと聞きびっくりしました。8時45分から3時までの予定だったので、完全防寒で行きましたが、お天気にも恵まれ受付で動いていましたし、またストーブを用意してくださったので、持参のホカロンも使わずにすみました。お天気にも恵まれ大勢の方が参列され、お手伝いさせていただきとても嬉しく思いました。創立60周年の時に同窓会組織ができ、先生もとても喜んでいらっしゃいました。この縦の繋がりが末永く続くことを先生はきっと天国からご覧になっていることでしょう。
[PR]

# by mako-oma | 2017-12-08 09:48 | 交流 | Trackback | Comments(0)