御殿山

もう来週は師走です。11月は本当に忙しかったです。書きかけのものが下書き一覧にたまってしまいましたので、順次ご紹介したいと思います。11月10日から12日までの3日間"GOTENYAMA ART& TECHNOLOGY WEEK 2017"というイベントが行われました。御殿山は私が生まれ育ったところです。その御殿山でこのようなイベントが行われるということは、私にとってとても新鮮でした。
御殿山は昔太田道灌が江戸城に入る前に御殿山城というお城を構えていたそうです。ここで夢のお告げを受け、江戸城を築いたと伝えられています。その後江戸時代に入り徳川家康がこのあたりの自然を愛し別邸としました。品川御殿と呼ばれ、歴代将軍鷹狩の休憩地として、また幕府重臣を招いてのお茶会の場として利用されたとのことです。
ここは桜の名所として浮世絵や錦絵にも登場します。現在のミャンマー大使館が建設された時には、「御殿山の桜がなくなる!」ということで大問題になりました。開国後幕府は諸外国の公使館を御殿山に建設することを計画しましたが、有名な「御殿山英国公使館焼討事件」が起こります。長州藩士高杉晋作、志道聞多(井上馨)、伊藤俊輔(博文)ら尊王攘夷派13名が襲撃し全焼してしまいました。
御殿山は、池田山、島津山、花房山、八ッ山と共に城南五山と呼ばれています。

母は御殿山で生まれ御殿山で育ち御殿山の我が家で大好きなショパンを聴きながら亡くなりました。あのバブルの最中、森ビルの御殿山開発計画が持ち上がりました。今回イベントが行われた地は元々実業家原六郎さんのお屋敷でした。ここに森ビルが事務棟と住宅棟の二つの高層ビルを建てるという開発計画により近隣住民は次々と御殿山を離れていきました。
元々御殿山の土地のほとんどは原さんの所有でした。原家で働く使用人の方々のお家も沢山あり、多くは借地ということでした。原さんは祖父と同じく兵庫県出石の出身でずっと祖父のことを支援してくださいました。そういった関係で、うちは特別に譲っていただき、所有できました。そういった経緯もあり、母は最後まで御殿山を離れることには反対しました。

我が家のお隣が原さんの一万坪のお屋敷で、私が子供の頃はトウモロコシ畑があり、テニスコートがあり、大きなお池にはザリガニが沢山いました。山あり谷あり、子供にとっては最高の遊び場所でした。現在原美術館のある所にはミャンマーがビルマと言われていた時代、ビルマ大使館がありました。一時廃墟のようになっていた時期もありますが、子供にとっては興味深々でした。でもこのお屋敷の中にはやっちゃんが一緒でないと入れませんでした。普段は門のところに怖いおじさんが立っていました。やっちゃんは原さんのご親戚で、この敷地内にお家がありました。そのやっちゃんと数年前、思いもかけず半世紀ぶりに再会しました。一年に一度の同窓会は、家族連れなどすごく大勢の人が集まります。その中で、私の横にすごく背の高い男性の気配を感じ、振り向くと後姿が見えました。「もしかしてやっちゃん?」私は前に回って顔を見上げました。やっぱりやっちゃんでした。お母様もお姉様もすごく背の高いかたでした。もう懐かしくて子供時代のことをいろいろ思い出しました。もう一人の男の子と三人でよく御殿山中を自転車で走り回りました。

原さんのお庭の一部は今も御殿山庭園として残っています。今回のイベントではここで最先端の技術を使ったアトラクションが行われました。夜暗くなってからヘッドライトをかぶり、パーソナルプロジェクションマッピングによって、人間ではない生き物の感覚で夜の森を見ることができるというアトラクションです。娘と孫が体験しました。彼女たちにも私や母の御殿山に寄せる思いを知って欲しいと思います。

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by mako-oma | 2017-11-10 16:03 | その他 | Trackback | Comments(0)  

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