反軍演説の斎藤隆夫議員 除名の裏面史明らかに

ー帝国議会の記録文書公開ー
             昭和61年8月14日 毎日新聞
軍への追従浮き彫り

軍靴の響きが高まる昭和15年に、国会で反軍演説を行い除名(議員資格はく脱)になった斎藤隆夫衆院議員について、除名に至るまでの帝国議会の論議を記録した文書が13日、国立国会図書館の手で公開された。反軍演説事件は軍部の横やりに議会が屈した政党政治崩壊の象徴として知られているが、これまでは資料がなく、議会内部の動きがはっきりしていなかった。この文書では懲罰委員会などで、議員たちが抵抗しながらも、結局は大勢に押し流されていく裏面史が初めて浮き彫りにされている。

この文書は当時の衆院書記官長(現在の事務総長にあたる)、故大木操氏(56年死去)が記録し秘蔵していたもので、家族がこのほど同図書館へ寄贈した。…中略… 同事件は昭和15年2月、衆院本会議で代表質問に立った立憲民政党の斎藤議員が「聖戦の美名に隠れて国民の犠牲を無視し、国際正義、道義外交、共存共栄、世界平和という如き雲をつかむような文字を並べたてて国家百年の大計を誤まる如きことあらば、政治家の罪は死しても滅しえない」と、政府を批判し、戦争の意義を追求。本会議終了後、陸軍側から「反軍的だ」と横やりが入り、小山松寿衆院議長が演説の大半を議事録から削除。さらに議会は同議員の除名を決めた。公開の文書では13回にわたる懲罰委員会の内容の一部が明らかにされている。議員らは、軍に迎合し職権で斎藤議員を同委に付した小山議長を追求。「(同演説は)時局ニ影響スル所重大ナルモ必ズシモ懲罰事犯アリト認定スルコトハ出来マセヌ」(中井一夫同委員長=立憲政友会)、「演説ノ如何ナル点ニ欠点ガアルノカ」(同)、「演説ノ前段ト後段トニ分ケテ考エルコトハデキナイ」(泉議員)など口々に議長を責め立てている。言論の府を守ろうとする抵抗の姿勢を示しているが、軍の意向を受けた議長はこれらの意見をすべて受け流している。さらに同議長は削除、懲罰の理由として「斎藤君ノ演説ノ後半ハ、汪政権ノ将ニ成立セントスル現段階ニ於ケル言議トシテハ、洵ニ遺憾千万」とし、さらに「国ノ内外ニ及ボスコトアルベキ影響ノ重大ナルヲ考ヘル時ハ,洵に深憂ニ堪ヘザルモノガアル」としている。しかしこうした姿勢の議員たちも懲罰委を重ね、記事を差し止めたはずの斎藤演説の全文が海外に流れ、「日本は戦争をめぐって国論が二分されている」と大反響を呼ぶに至って、次第に除名やむなしに傾いていったようだ。同委第7回速記録によると、外務省と陸軍省が海外の反響を報告。議員たちは「現在ノ外交交渉並ビニ外交案件ニドンナ影響ヲ与エタカ」(中山議員)などと発言、同演説を利敵行為と見なしていく。また同文書には小山議長が斎藤議員の演説中に「聖戦美名云々」など問題部分を走り書きしたメモもあり、軍を気にしてピリピリしていた当時の議会の情況を生々しく伝えている。懲罰委員会は11回の秘密会を開き、3月7日、衆院本会議に除名が提案され、賛成296、反対7で可決された。斎藤除名に走った各党議員百余人は、聖戦貫徹議員連盟を結成。軍部は翌16年、太平洋戦争に突入した。斎藤議員は演説が問題になったのは「政府が無能で態度を明らかにしなかったこと、識見なき議長が速記録を削除したため演説の全趣旨を理解し、懲罰反対の世論が高まらなかったこと、政党政派軍部に圧倒せられて抵抗する気力なく、その歓心を買おうとしたため」とのべている。反軍演説が行われた昭和15年は、日本軍がすでに中国大陸に進出しており、日中戦争のさなか。軍部は汪兆銘を首班とする南京政府の樹立を画策、同年3月に同政府が発足した。斎藤議員の除名から、半年後には政友会、民政党ともに解党し、大政翼賛会が成立していた。

[PR]

by mako-oma | 2015-04-18 07:24 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

トラックバックURL : https://makooma.exblog.jp/tb/21132269
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。

<< 再々放送 区議会議員選挙 >>