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腫瘍摘出手術

腫瘍摘出手術からちょうど一か月が経ちました。顔のど真ん中に3cm弱の傷が出来ましたが、だんだんと腫れも引き、赤く盛り上がったところも小さくなったような気がします。それでも3か月間はテーピングをしていなければならないということです。手術開始45分前までに来るように言われ, 到着したのは1時間ぐらい前でした。やはり顔にメスを入れるということで緊張していました。手術前のチェックが終わると、手術着に着替えました。手術室には何も持っていかれないということで、スマホも本もロッカーの中にいれて、待合室で待っていました。30分ぐらいすると恐らく私の後に手術をすると思われる女性が来ました。そしてそのあと一人の男性が来ました。時間を見ると、予定された手術の時間は過ぎていました。私は手持ちぶさたで後から来た二人を見ると、二人ともスマホの画面をじっと見ていました。その時「あっそうか!手術室にいくまでは何をやってても良かったんだ!」と気が付きました。「じゃあ私も」と思い、ロッカーにいきかけたところで、名前を呼ばれました。

初めて入る手術室は、良くドラマで見る重たそうな扉の向こうにいくつもの部屋がありました。中には何人ものスタッフがいました。後で聞いたところによると、なんと12の手術室があるということでした。その手術室がいっぱいになるということで、毎日一体何人の人が手術をしているのだろうかと思いました。

私の手術は局所麻酔で、頬に注射をして、手術は始まりました。執刀医の先生は形成外科の女医さんです。
目を見て丁寧に説明してくださり、信頼できる先生だと思いました。手術の時間は30分ぐらいだったでしょうか?無事に終わりホッとしました。

ここの病院にはいつも自転車で行きますが、注意書には、手術当日は車の運転はもちろん、自転車もダメだと書かれていました。天気予報によるとその日は荒れ模様になるということだったので、夫に車で送ってもらうつもりでした。でも予報がはずれお天気になったので、歩いていくことにしました。帰りは迎えにきてもらうつもりで、手術が終わったら電話をし、病院の入り口で夫を待っていましたが、日差しが強かったので日陰に移動しました。ところがそこは蚊がすごかったので、また元の所に戻りました。待てども待てども夫は来ません。再度電話をしたら、何とまだ家にいました。何ということでしょう!夫は行くとき歩いて行ったから帰りも歩いて帰ってくると思った、というのです!ひどい話です。

手術から一週間後抜糸をし、病理検査の結果も出ていました。悪性のものではないということでまずは安心しました。

# by mako-oma | 2019-08-02 11:08 | 健康 | Trackback | Comments(0)  

皮膚ガン?

7月2日、私は生まれて初めて手術を受けました。顔にできた腫瘍摘出手術です。皮膚ガンの疑いがあるということでした。本当は、6月20日に決まっていたのですが、6月末は連日スケジュール帳が埋まっており、それも1年に一度の会とか、めったに会えない友人たちとの集まりだったりとかで、出来ればキャンセルしたくないと思いました。皮膚科の先生にご相談したら、1日でも早い方が良いというものではない、ということだったので、それならば、ということで延期していただきました。お陰で「日本酒とじゆんさい鍋を楽しむ会」にも同期会総会にも出席することが出来ました。「日本酒とじゅんさいを楽しむ会」は、渋谷駅のホームで偶然小学校のクラスメートに会って誘われました。「日本酒飲める?」「うん、大好き」ということからでした。同期会総会は、2年後に大学卒業50周年を迎えるので、それに向かっての会でもありました。毎年楽しみにしていることがあります。友人からいただく一冊の本です。彼女とは大学時代は学部も違い、全く接点はありませんでした。この同期会で知り合ったのです。彼女のお父様は有名な推理作家だったこともあり、彼女の中には明らかにそのDMAが存在しています。その本のタイトルは、”〇〇いろのひとりごと”です。「今年は何色のひとりごとかなぁ?」と楽しみにしています。また今回は残念ながら練習不足で出演できませんでしたが、「山下伶クロマチックハーモニカ発表会」を聴きにいくこともできました。皆さんレベルを上げられ、すごい!と思いました。出演者も過去最高!発表会が終わると、徳永先生と伶さんのコンサートです。徳永先生の”シューベルトのセレナーデ”、お二人の”チャルダッシュ”。もうしびれました。20日に手術をしていたら、聴けなかった!本当に良かったです。
手術のことは次回に詳しく…


# by mako-oma | 2019-07-08 11:36 | 健康 | Trackback | Comments(0)  

合ハイってご存知ですか?

私が所属している団体のチャリティーコンサートが行われました。この団体は、1993年、出身大学の先輩が立ち上げました。ですからもう26年も続いています。元々は異業種交流会でした。2001年から毎年クリスマスには、経済的理由などにより、あるいは途上国から日本に働きに来ている両親のもとで、なかなか生の演奏に触れる機会のない子供たちに、プロの音楽家(クラシック演奏家やポピュラー歌手)のご協力を得て、本物の音楽を届けてきました。お昼の食事も用意し、子供たち一人一人のために前もって準備したプレゼントを、会員のサンタクロースが配って回りました。それから20年近く経ち、会員たちの中にもリタイアされる方が増えてきました。そこで活動の目的も社会還元に変わり、定期的にボランティア活動を続けてきました。イベントの参加費と寄付金はすべて、フィリピンネグロス島の子供たち、難民の子供たち、虐待や暴力からシェルターに逃れてくる子供たち、そして子ども食堂の子供たちのための4つの団体に寄付しています。今回は、バイオリニストの松田里奈さんと、ピアニストの三又瑛子さんをお迎えしてトキワ松学園で行われました。お二人の息のあった素晴らしい演奏に、会場の小さなお子さんたちも熱心に耳をかたむけていました。終わってから打ち上げパーティーが行われました。
その席でびっくりすることがありました。お手伝いをしていた仲間の中に、50年前一緒に合ハイをした男性が2名いたのです!その頃は、合コンではなく、合ハイ。つまり合同ハイキングでした。でも若い方はこの言葉をご存知なく、「合ハイ?一緒に乾杯するんですか?」と言われてしまいました。
50年前のことはよく覚えています。この会を立ち上げた先輩の予備校仲間と、彼のゼミの後輩である私の友人仲間10人ぐらいで合ハイをして、只一つのカップルができ、結婚しました。その彼もこの会のメンバーで、その時たまたま私の隣に座っていました。一人お名前のわからない方がいたので、彼に聞きました。そしたら「Aさんだよ。50年前に合ハイした。」と言われ、本当にびっくり仰天しました。そしてAさんと話をしているKさんも同じくその合ハイに参加していた、というのです。彼らは入会してずいぶん経ちますが、全く知りませんでした。一挙にタイムスリップして、50年前のことが思い出されました。あれから50年。半世紀が過ぎたんですね。

# by mako-oma | 2019-06-20 15:06 | ボランティア | Trackback | Comments(0)  

初めての講演

4月13日(土)横浜日独協会の4月例会で、私は人生初体験をしました。これは正真正銘の初体験です。会員皆様の前で、講演したのです。全く経験のないことでしたので、初めはお断りしようと思いました。しかし、今日本の置かれている状況を考えると、中国、韓国、北朝鮮、アメリカ、ロシア、どこを見てもとても厳しい状況にあります。孫たちの時代、日本はどうなっているのだろうか、という声があちこちから聞こえてきます。日本を正しい方向に導いてくれる政治家が果たしているのでしょうか?
「開戦前夜!政治家齋藤隆夫の挑戦~命をかけた名演説~」これは、2014年12月4日にNHKBSで放映された「英雄たちの選択」という番組のタイトルです。これを拝借し、祖父齋藤隆夫のことをお話しました。

『国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば、これは現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできない』これは、齋藤隆夫の言葉です。

政治家は代議士とも言われます。広辞苑で”代議士”をひくと、「国民から選ばれ、国民を代表して国政を議する人」とあります。果たして本当の意味での代議士はいるのでしょうか? 本当に国民が聞きたいこと、言いたいことを、国民の代表として政府に問うことの出来る人はいるのだろうかと思います。
今年は齋藤隆夫没後70年、来年は生誕150年にあたります。これは、齋藤隆夫という政治家を皆様に知っていただく良い機会だと思い、このお話をお受けしました。

1時間という持ち時間がどの位のものなのか、見当もつきませんでしたが、あと数分を残してちょうど1時間となりました。
何よりも時間内におさまって、ホットしました。その後、質疑応答、懇親会と続き、人生初体験は無事に終わりました。
とても良い経験でした。

今度の日曜日は選挙です。齋藤隆夫の言葉に次のようなものがあります。
『政党及び代議士に対しては常に監督の責任を忘れてはならない。これが国民の政治道徳である。選挙人を裏切るような代議士であれば、必ず落選せしめる。この考えがなくてはならん。しかるに、今日の国民がこれらの考えを有しているかどうか、これが問題である』

# by mako-oma | 2019-04-15 20:49 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

古稀のお祝い

早いものでブログの更新をさぼっておりましたら、既に2019年も四分の一が終わってしまいました。3月27日、私は古稀を迎えました。同級生たちは既に大半がもう70歳になっています。この歳になると、つくづく早生まれで良かったと思います。昨年は、春に中学の、そして秋には高校の同期会”古稀の祝い”の幹事として忙しくしていました。それから、半年余りが経ってようやく正式に古稀を迎えたわけです。長野に住む次女家族が、孫が春休みに入ったと同時に3月24日、東京にやって来ました。
老夫婦二人の静かな生活は一変し、毎日の決まったスケジュールはたちまちメチャクチャになりました。そもそもパソコンのあるリビングルームを占領されたので、孫たちが寝た後はパソコンも使用できず、バイオリンやハーモニカの練習もできなくなりました。それでも孫たちとの再会は何にも代えがたい時間でした。特にその一週間位前から準備してきた3月27日の”お楽しみ会”は、格別なものとなりました。私はスカイプで9歳の孫娘に英語を教えています。今はちょうど比較級や最上級のところを勉強していたので、それに絡めて参加者全員にクイズを出すことにしました。彼女は、20頭近くの動物の絵をかいて頭にかぶるものを作りました。3ヒントゲームで、「Who am I?]  という問題を出したり、様々な動物を比べてどっちが早いか、どれが一番優雅か、などの問題を出したり、とにかくアイデアが次から次へと出てくるので、私も夢中になって協力しました。
参加者は長女夫婦、次女家族、そして私たち二人の計8人です。司会進行役は彼女で、すべては彼女のアイデアで、私は助手でした。彼女が書いたプログラムは、まず最初に彼女の「初めの言葉」から始まりました。私への「プレゼント贈呈」もあり、4歳の孫(男の子)が描いた絵や、彼女が作ったカードや手芸品、そしてずっと探していたベルトもいただきました。参加者全員の名前入りの回答用紙を作り、クイズが正解だったら〇、間違っていたら×を記入してもらうようにしました。賞品も用意しました。長女と彼女のピアノ連弾もあり、本当に「お楽しみ会」でした。この日は皆の大好物のお寿司で私のお誕生日をお祝いしました。

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その週の週末、3月31日に、娘たちがレストランを予約してくれ、妹夫婦も一緒に古稀のお祝いをしてくれました。表参道にある”バルバッコア”というお店で、部位別お肉を思う存分いただきました。この日は、生花とプリザーブドフラワーの両方を抱えて帰宅しました。

古稀のお祝いを2回もしてもらったようで最高です!ありがとう!

# by mako-oma | 2019-04-08 11:38 | 家族 | Trackback | Comments(0)