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再び斎藤隆夫

三か月程ブログの更新をさぼっておりました。この間ブログを開けることさえせずに、気が付いたらもう三ヶ月が経っていました。恐る恐る”マクーマの部屋”を覗いて見ると、この間にも何人もの方々がここを訪れてくださっていました。ありがとうございました!
斎藤隆夫に関する記事としては一年ぶりです。一年前、諸事情によって古い新聞記事をブログに掲載することをあきらめざるをえなかったことは、本当に残念なことでした。

さて「再び斎藤隆夫」ということで、皆様方に森まゆみさんの書かれた「暗い時代の人々」斎藤隆夫(上)斎藤隆夫(下)をご紹介したいと思います。


斎藤隆夫(下)は、ちょうど一年前、安全保障関連法案が、参議院の特別委員会で可決されたのと同時にネット上で公開されたものです。
「齋藤隆夫の名前を語り継ぎたい」という言葉を発見し、感動しました。一人でも多くの方に齋藤隆夫の名前を知っていただいて、そういう思いを持っていただけたら、「斎藤隆夫を知ってもらう会」代表としてはこの上ない幸せです。

ぜひお読みいただいて、コメントをいただければ嬉しいです。

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by mako-oma | 2016-09-20 15:05 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

再々放送

NHKの朝ドラ「まっさん」も終わってしまいましたが、娘エマのセリフに「どうしてこの戦争を止められなかったの!」というのがありました。これは日本国民みんなの気持ちではないでしょうか?本当にどうして止められなかったのでしょうか?斎藤隆夫は日中戦争の泥沼化をどこかで止めなければ駄目なんだということを昭和15年2月2日の「支那事変処理に関する質問演説」で言ったのです。もしもその時戦争をやめていれば、それが太平洋戦争につながり、多くの命が失われることはなかったのです。斎藤隆夫は命をかけて国民が聞きたいことを代弁したのです。この演説は聖戦を冒涜するものだとして小山衆議院議長の職権で、議事録から後半、全体の三分の二を削除され、その後懲罰委員会にかけられ、3月7日、本会議は賛成296、反対7、棄権144で除名を決めます。政友会久原派の芦田均は反対票を投じ、社会大衆党の片山哲は棄権しました。後にこの二人は総理大臣となります。齋藤演説の後、「聖戦貫徹議員連盟」が結成され、我が国は太平洋戦争への道を急ぐことになるのです。 この除名処分をめぐり、社会大衆党、政友会久原派、民政党それぞれに混乱し、その結果各党は一斉に解党し、ここに政党政治は崩壊し、大政翼賛会へと流れていきます。そして、翌年、太平洋戦争に突入していくのです。除名後に行われた昭和17年の翼賛選挙の時は、大政翼賛会の推薦者と非推薦者の間で戦われ、斎藤は非推薦であったので、選挙ポスターが差し押さえられたりして大変な思いをしたようですが、それにもかかわらず最高得点で当選しました。
今年は戦後70年の節目の年となります。新たな安全保障法制をめぐる自民・公明の協議が決着する見通しとなりました。自衛隊の海外派遣が拡大され、歯止めがかからなくなることのないよう、十分に審議してほしいと思います。
日本の安全保障に関するこんなにも大きな問題が、国民の間に何の議論もなく、気が付いたときにはもう引き返せない状況になっていた、ということになるのではないかと危惧しています。「歴史を知って歴史から学ばなければいけない」ということを肝に銘じてほしいと思います。日本がニ度と間違った道に進むことのないよう祈りたいと思います。

4月23日(木)朝8時からNHKBSプレミアムで「英雄たちの選択」の再々放送が予定されています。”開戦前夜!政治家斎藤隆夫の挑戦~命をかけた名演説~”をぜひご覧ください。


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by mako-oma | 2015-04-22 15:20 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

⑥昭和の大蔵大臣 (265)

明晰、鮮明な思想、アナグロ型思考の人 齋藤隆夫
                      
昭和59年10月26日
〈三つの特徴〉
齋藤隆夫代議士の、歴史に残る「粛軍演説」とは、前回までに紹介したような内容で、1時間25分を要した熱弁だったという。引用にしては長すぎる、とおもわれたかもしれないが、ただ要旨だけを紹介したのでは、大事な意味、いのちが失われるとおもって、ギリギリに削ったものだったのである。それでは、大事な意味、いのちとは何をいうのか。そのことをもっとも明快に指摘するのが草柳大蔵著『斎藤隆夫かく戦えり』の「いま、なぜ、斎藤隆夫=はしがきにかえて=」である。草柳が斎藤隆夫に取り組んだのは、「《言うべきことを言う》論者の実像をもとめたから」だという。その成果は雑誌『文藝春秋』に半年間連載された。すると、左右両翼から手紙が殺到した。右翼からは、「国民の間にようやくまっとうな防衛論議が起こりつつあるのに、なぜ、反軍思想を紹介するのか」と、頭ごなしに叱責された。左翼からは、「右傾化のいま、よくぞ反戦の政治家を取り上げてくれた」と、手放しの謝辞をうけた。草柳は、両方の手紙を読みながら、「歳月は、かくも実像を変えてしまうものか」という感慨を深めたという。そして書いている。「斎藤隆夫氏は反軍思想家でもなければ反戦政治家でもない。いわば、戦前の”平均的日本人”である。天皇を敬愛し、家族の健康をねがい、いつまでも郷里の但馬を懐かしみ、適当に教育パパで、娘の婚期がおくれるのを心配し、宴会用の歌曲を習い(これは大失敗だったが)、息子たちの学徒出陣の際には《お国の為になるんだぞ》と日の丸の旗を肩にかけてやっているのである」彼の「演説」は、彼の人間的特徴を物語っている。あるいは実証している。(それを見てもらうためにも、ギリギリいっぱいの引用を必要だと筆者はおもったのだ)草柳は、それを三点に要約する。第一は、《明晰さ》への求心力である。「この精神的傾向は、ひとつには同郷の先輩である加藤弘之博士(初代東大総長)の影響によるものと思われるが、そのほかにも若くしてエール大学に法律学を学び論理的訓練を身につけていること、地主的政党であった政友会が圧倒的に強かった選挙区から普通選挙の実現を目指して成長してきたこと等々、様々な要素の結晶と思われる。しかし、問題は斎藤氏の人間形成にあるのではなく、同氏の演説が権力の行使に《明晰さ》を追求し続けることによって、あたかもスタンダールが作品の中に試みた《鏡をおく》作業をもたらしていることである」第二は、思想の設計図が鮮明に読みとれること。つまり、聴く人に政治を進行形のまま理解させることができたことだ。第三は、アナログ型思考の人であったこと。事象を持続の相においてとらえつづけ、考えつづけるタイプである。問題を瞬間的にとらえて批評するデジタル型ではなく、時間軸の上を誘導しながら、その変化と発展の意味をとらえているのである。 (つづく) 

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by mako-oma | 2015-03-30 15:53 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

⑤昭和の大蔵大臣 (264)

齋藤隆夫代議士”2.26”で右翼化を糾弾
                    昭和59年10月27日
〈忍耐には限度がある〉
齋藤隆夫代議士は、日本人の中に外国思想の影響をうけやすい分子があることを指摘した。デモクラシーの思想がさかんになると、われもわれもとデモクラシー。ナチス、ファッショがおきると、これに走る。「思想上において国民的自主独立の見識のないことはお互いに戒めねばならぬことであります(拍手)」左傾といい、右傾という。進みいく道はちがうが、きするところは今日の国家組織、政治組織を破壊しようとするもの。ただ一つは「愛国」の名によって行い、他の一つは「無産大衆」の名によって行わんとしている。危険なことはおなじなのだ。斎藤は、軍部と結びつく政治家をもたたいた。「いやしくも立憲政治家たるものは、国民を背景として、正々堂々と民衆の前に立って、国家のために公明正大なるところの政治上の争いをなすべきである。裏面に策動して不穏の陰謀を企てるごときは、立憲政治家として許すべからずことである。いわんや政治圏外にあるとことろの軍部の一角と通謀して自己の野心をとげんとするにいたっては、これは政治家の恥辱であり、堕落であり(拍手)またじつに卑怯千万のふるまいであるのである。」中国の兵法の六韜(りくとう)三略(さんりゃく)の中に、「怒るべきして怒らざれば奸臣起こる。倒すべくして倒さざれば大賊現る」とある。「私は全国民に代わって軍部当局者の一大英断を希望する者であります(拍手)」斎藤は最後に、この事件に対する「国民的感情」についてのべた。「今回の事件(注、2.26事件)に対しては、中央といわず、地方といわず、上下あらゆる階級を通じて衷心(ちゅうしん)非常に憤慨しております(拍手)」国民的尊敬の的であった高橋大蔵大臣、斎藤内府(内大臣)、渡辺(教育)総監のごとき、温厚篤実、身をもって国に許すところの陛下の重臣が、国を護るべき統帥権のもとにある軍人の銃剣によって虐殺せられるいたっては、軍を信頼する国民にとってはじつに苦痛なのである。「それにもかかわらず、彼等は今日の時勢、言論の自由が拘束(こうそく)せられておりますところの今日の時代において、公然これを口にすることはできない。わずかに私語の間にこれをもらし、あるいは目をもって告ぐるなど、専制武断の封建時代と何の変わるところがあるか(拍手)」「粛正選挙によって国民の総意は明らかに表白せられ(拍手)、これを基礎として政治を行うのが明治大帝の降(くだ)し賜いし立憲政治の大精神であるにもかかわらず(拍手)、一部の単独意思によって国民の総意が蹂躙(じゅうりん)せらるるがごとき形勢が見ゆるのは、はなはだ遺憾千万の至りにたえない(拍手)」それでも国民は沈黙し、政党も沈黙している。しかし人間は感情的動物。「国民の忍耐力には限りがあります。私は異日国民の忍耐力の尽きはつる時の来らないことを衷心希望するのであります(拍手)」   (つづく)



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by mako-oma | 2015-03-28 14:33 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

奇弁

                         昭和58年 朝日新聞 夕刊

26日に開かれる自民党大会で採択される予定の「昭和59年運動方針」に、次のようなくだりがある。己が反省し、自粛する、これが倫理である。…格好の例は戦前の斎藤隆夫議員の除名問題である。粛軍演説をした同議員を、帝国議会は新聞や世論、軍部に迎合して除名し、戦争への道を開いた事実を忘れてはならない。つまり、田中元首相への辞職勧告決議案は数による圧迫であり、繰り返してはならない過ちだというのである。これは、解散前、中曽根首相がしきりに強調していた理屈でもある。除名問題のあらすじはこうだ。民政党の長老、斎藤隆夫は昭和15年2月2日、代表質問の中で「聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、国家百年の大計を誤るようなことがあれば、政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできない」などと、政府・軍部を批判した。当時、日中戦争は泥沼化し、政治は軍部が支配していた。斎藤の演説に驚いた小山松寿衆議院議長は、職権で演説の後半部分をすっぱり削除してしまう。さらに民政党は斎藤を離党させるが、政府と軍部の怒りはやまず、議長職権で懲罰委員会にかけられ、3月7日の衆議院本会議で除名が決定する。民政党はもちろん政友会(久原派)や社会大衆党にも除名反対論が根強く、分裂騒ぎも起きるが、この事件で戦前の政党政治は命脈が尽きた。たしかに、これは数で議員の身分を奪い、言論を圧迫した事件であり、ニ度とあってはならないことである。だが、よく考えてみると、この事件と田中問題を同一視することは、筋違いもはなはだしい。第一に、斎藤は反軍演説をしたのに、元首相は外国企業から賄賂(わいろ)を受け取った容疑で有罪判決をうけた刑事被告人である。第二に、斎藤は時の権力、体制に抗したのに対し、元首相は権力を利用し、多数党から保護されている。第三に、当時の一般国民は斎藤演説の内容を知ることすらできなかったが、いま、国民の眼前でロッキード裁判が続けられている。問題の形式が似ていることを利用して、中身や背景を無視するこじつけの論を、奇弁という。』


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by mako-oma | 2015-03-14 20:42 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)