我が家のクリスマス(1)

明日はクリスマスイヴです。我が家では11月に入るとクリスマスを迎える準備が始まります。やはり、6年間住んでいたドイツでのクリスマスが忘れられません。2m40cmのクリスマスツリーを飾りつけ、家中、クリスマスのデコレーションでいっぱいになります。

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玄関の扉にはクリスマスリースを飾ります。

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玄関にはアドベントクランツが置いてあります。
アドベント(Advent)とはドイツ語で、到来を意味するラテン語の Adventus に由来します。
キリストの降誕を待ち望むクリスマスの準備期間という意味で、クリスマス前の4週間のことを言います。日本語では「待降節」とよびます。

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アドベントクランツには4本のロウソクが立っています。
クリスマス前の4回の主日(日曜日)に、1本づつロウソクに火を灯していきます。第一の主日には1本、第二の主日には2本、第三の主日には3本、そして第四の主日には4本のロウソクすべてに火が灯ります。
それぞれに意味があり、1本目は希望、2本目は平和、3本目は喜び、4本目は愛を意味します。





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# by mako-oma | 2015-12-23 17:04 | クリスマス | Trackback | Comments(0)  

台湾旅行(5) 台湾総督府②

新国立競技場の新しい二つのデザイン案が今日公表されました。台湾総督府の建築に関しても同じようなことがありました。

日本統治時代の最高統治機関である台湾総督府(現総統府)に関しては、台湾交流協会のホームページを見ると、とても興味深いことが書かれています。その中から一部ご紹介したいと思います。

東洋随一とうたわれた西洋建築である旧台湾総督府。赤煉瓦と花崗岩の白石を混用して造られ、とても重厚感があります。現在、この建物は中華民国総統府として使用されています。この建物の建築に際してはいろいろと秘話があるようです。

これはわが国における最初のコンペといわれています。そのデザインについては公募という形でプランを募りました。これは時の民政長官・後藤新平自身の発案によるものという説が存在するそうです。1906年(明治39年)に総督府の名で実施され、評審委員には辰野金吾をはじめとする建築界の重鎮が名を連ねていました。審査は二段階となっており、甲賞、乙賞、丙賞を各一名選出することとなりました。第一回目の審査では、外観などの基本デザイン、そして第二回目で細部にわたる部分についての審査が実施されたそうです。一次審査で入選した7名には更に修正案を出させ、約1年後に二次審査が行なわれました。

審査の結果、辰野金吾の愛弟子である長野宇平治の案が一等となりましたが、最優秀案である甲賞は該当なしとされ、長野の作品は乙賞に留まりました。長野は時の台湾総督・佐久間左馬太に異議を申し立てましたが、受け入れられませんでした。彼は銀行建築を数多く手がけ、また日本建築士会(日本建築家協会)の初代会長もめ、明治期における西洋古典様式の若き旗手でした。

台湾総督府の側からは統治機関としての威厳をより強調することが要求され、これを受け、同じく辰野の弟子である森山松之助によって長野案に修正が加えられました。森山松之助は当初は、地上6階建て程度だった中央塔を9階(最頂部分は11 階に相当)にまで引きあげました。これにより中央塔は高さ60 メートルとなりました。そして、現在のデザインが確定しました。

長野はこの前後、わずかな間、台湾総督府の嘱託技師となっていますが、その後は台湾に関わることはありませんでした。一方、森山は総督府庁舎の設計を機に、台湾建築界の重鎮となっていきます。彼が設計した台北、台中、台南の三棟の州庁舎は、いずれも歴史建築として保存対象となっています。

起工式は1912(明治45)年6月1日。敷地面積は2165 坪。当時、台湾で最も大きな建物でした。造営は台湾総督府営繕課が担い、作業員はすべて日本から呼び寄せられました。当初予算は150 万円でしたが、これでは全く足りないということで、後に200 万円に増額され、さらに第一次世界大戦に伴うインフレを受け、最終的には約280 万円という額になりました。

いつの時代も大幅な予算超過となるようですね。

当初からこの建物は永遠に使用されることが前提となっていました。台湾は日本と同様、地震国です。測量は一年近くにも及び、基礎部分を仕上げるのにも、さらに約一年歳月を費やしました。地震対策については、驚くほどの徹底ぶりでした。
用材については、木材は阿里山産のヒノキ材をはじめ、新竹州産のケヤキが多く用いられたということです。また、鉄骨部分に鉄道用のレールを用いたとも言われています。

建物が完成したのは着工から7年後の1919(大正8)年3月でした。
この時の台湾総督は明石元二郎でした。1918(大正7)年6月6日、明石は第7代台湾総督に任命されますが、総督府竣工後、わずか半年あまりでインフルエンザで亡くなりました。明石の遺体は生前に残した遺言に従い、台北市三板橋の日本人墓地に葬られました。日本統治時代の半世紀、19 名の総督がいましたが、明石は唯一、台湾の地に永眠した人物でした。





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# by mako-oma | 2015-12-14 17:10 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

台湾旅行 (4)  ー台湾総督府①ー

台湾市立第一女子高級中学を後にした私たちは、目の前にそびえ立つ総統府(旧台湾総督府)に向かいました。重厚な赤煉瓦の建物は、本当に大きくて威厳があり、当時の日本がいかにして国力を誇示するかを考えて建てたかということが良くわかりました。

既にそこには長蛇の列ができていました。私達はその最後尾に並び、1時間が経過しました。ようやくパスポートチェックを受けるところまで来ました。ところがそこで聞かれたのは、「予約をしているか」ということでした「予約はしていない」と言うと、「予約がないと入れない。3日前までに予約が必要」というのです。「そんな!」ガイドブックにそんなこと書いてありませんでした。「グループの場合は予約した方が良い」ということは書かれていましたが、個人に関しては全くそのような記述はなく、ましてや3日前までになんて、ちっとも知りませんでした。何とか入れてもらえないかと、交渉はしましたがダメでした。結局、私達はそのままホテルに戻ることとなりました。



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# by mako-oma | 2015-11-21 10:04 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

台湾旅行(4)-台湾市立第一女子高級中学③ー

帰国しネットで調べたところ、この学校は日本統治時代に台北における女子高等教育の拠点として設立されたもので、祖父が台湾にいたころには「台湾総督府台北高等女学校」という名前だったことが解りました。その後「台北第一高等女学校」と改称され”第一高女”と呼ばれていました。現在は「台北市立第一女子高級中学」(北一女)となりましたが、年によっては台湾大学への進学率で男子校トップの建国高級中学を凌ぐほどの名門校として、今も昔もその名を轟かせているということです。全国で唯一のプラネタリウムや、温水プールも設置されていて、学校の設備も教員も全て一流、正に女性のエリートを養成する学校だそうです。

驚いたことに、この学校の歴史は、日本統治時代から中華民国となった現在に至るまで連続しているのです。日本時代の「台北州立第一高等女学校」の卒業生も、「台北市立第一女子高級中学」の卒業生として数えられ、OGとして遇されています。
OG会も盛んだそうです。もしかして、私達が訪れたその日、OG会があったのではないでしょうか? 卒業生の進路はそうそうたるもので、世界中で活躍されているようです。

学校には校史室という学校の歴史に関するものを展示する特別な部屋があり、ここでは日本統治下の1904年に創設されて以来、現在に至るまでの歴史が連続して展示されており、日本時代の歴代校長(第1代~第7代)の写真も戦後の校長(第8代~17代)の写真と共に飾られているそうです。
国が変わっても学校の歴史は連続しているのです。 

私は日本統治下のものはすべて処分されていると思っていたのですが、このような形で保存されていることに驚きました。
同じく日本の統治下にあった中国・韓国と台湾の違いは何なんでしょう。台湾の方々の暖かさも感じました。
この学校のことが解っただけでも、今回の台湾旅行の成果です。

台北第一高等女学校の校歌を見つけました。
何と3番の歌詞の中に、石碑にあった「正しく強く淑やかに」という言葉がありました。これはこの学校の校訓だそうです。

〈台北第一高等女学校校歌〉

作詞:清水儀六  作曲:張 福興

1 すめら御国の南(みんなみ)の ここ蓬莱がうまし島
  島の民草栄えゆく 基つちかうおみなごの
  光栄ある教布かんとて とくひらかれし学び舎、
  これぞ我らが母校なる

2 あした夕べに剣潭(けんたん)の かしこき宮居仰ぎつつ
  月影清き淡水や 旭に匂う大屯の
  姿をしのびたゆみなく 心をみがき身をねりつ
  集うや九百の姉妹(あねいもと)

3 めぐみ豊けき常夏の 島に繁れる草は木は
  常磐のみどり蔭深く 永劫の生命のしるしなる
  我等がそのの撫子も 正しく強く淑やかに
  変わらん操養えや















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# by mako-oma | 2015-11-08 08:55 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

台湾旅行(3) -台湾市立第一女子高級中学②ー

その日の予定は、午後から”国立故宮博物館”の見学となっていました。私達は、午前中に台湾市立第一女子高級中学と、総統府に行くこととしました。女学校は、外から写真を撮るだけでも良いと思い、ホテルを出ました。

女学校の門のところに受付があり、一人の男性が座っていました。
私は、「建物の写真を撮ってもよいか」と尋ねました。
彼は、快く承知してくれて、私に「校友証」を差し出しました。
「えっ?」と私は思いました。彼は何か勘違いをしているのだと思いました。そこへ外観の写真を撮っていた夫が来ました。

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彼は夫に「来賓証」を差し出しました。やはり、これは何かの勘違いだと思いました。私達がその場で、「どうしよう」と思っているところに、後ろから何人かの人が来て、受付で札を受け取って校舎の中に入って行きました。何やらその日には特別な行事があるような雰囲気でした。

私は受付の男性に、自分たちはこの学校の卒業生でも何でもなく、ただ写真を撮りたいだけだと言いました。でも彼は、「わかっている。どうぞ中へ入って写真を撮ってください。真っすぐ行って右側です。」と英語で答えました。私達は何が何だかわからないまま、言われた通りに真っすぐ行くと、その右側には裁判所らしき立派な建物が見えました。

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???私達はとりあえずその建物の写真を撮って、キョロキョロあたりを見回していると、受け付けの男性が手を振って私達を呼び寄せていました。彼が立っている場所に行くと、そこには石碑がありました。その石碑には「正しく強く淑やかに」と日本語で刻まれていました。創立30周年記念に作られた石碑でした。

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彼は私達が日本人だということをわかっていました。もしかしたら、その日の朝、フロントの男性が電話してくれて、私達が訪れることを知っていたのではないかとも思いました。
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私達はゆっくりと写真を撮らせていただき、台湾の方の暖かい歓迎に心から感謝して、女学校を後にしました。






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# by mako-oma | 2015-11-07 15:46 | 旅行 | Trackback | Comments(0)