ハンブルク桜の女王 

4月15日(金)ハンブルクからの桜の女王を迎える会が横浜日独協会で執り行われました。
横浜市とハンブルク市は同じ港町として姉妹港提携を結んでいます。約50年前、両港の親善を記念して日本から桜の苗木が贈られました。それ以来ドイツからは「桜の王女(プリンセス)」日本からは「桜の女王(クウィーン)」が一年おきに相互訪問していました。昨年からドイツ側の呼び名が"Prinzessin(王女)から"Königin"(女王)に変わったため、今回は「第1回ハンブルク桜の女王」ということになりました。初代桜の女王に選ばれたLaura Gräwert さんは、1年間日本の大学に留学経験があり、見事な日本語でご挨拶をされました。その後、懐かしいドイツの歌"Ein Prosit"を合唱し、"Ein zwei drei super!"の掛け声で”Prosit!" そして歓迎会が始まりました。会員のソプラノ歌手の方が、ドイツの歌、日本の歌、素敵な歌声を聞かせてくださいました。最後には、桜の女王と一緒にハンブルクから来られたドイツ人男性が飛び入りで、"Trink, Trink, Brüderlein trink"を歌われ、いつの間にか出席者の皆様一緒に腕を組み、大きな一つの輪になっていました。








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# by mako-oma | 2016-04-25 13:50 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

我が家の5年間(2)

2014年11月23日、我が家は激震におそわれました。娘婿が倒れたのです。そしてその10日後、12月2日、娘は第2子を出産しました。果たして無事に生まれてくれるのか、とても心配しましたが、元気な男の子が誕生しました。それからの2ヶ月間は、今から思うとよくぞ乗り越えたと思うほど、やることが沢山あって、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと車で走り回っていました。一番初めにやらなくてはいけなかったことは、保育園の申し込みでした。2015年4月からの入園申し込みの期限が12月半ばだったので、とにかくすぐに名前を区役所に届けなければなりませんでした。0歳で入らないと、1歳になってからではどこにも入れないのです。「私達の手違いで入れなかったら大変」と必死でした。幸い希望する保育園に生後4ヶ月から通うことになりました。おねえちゃまの通っている保育園とは別の保育園です。本当にに大変な世の中です。幸いパパも元気になり、二人の保育園の送り迎えはパパとママがやることになり、私の役目は終わりました。そしてそれから1年、孫娘は5年間お世話になった保育園を卒業しました。運動会、発表会には私たち夫婦にもお声がかかり、彼女の成長を間近で見ることができました。保育園のお隣には小学校があります。でも彼女はそこには行きません。家族4人で移住してしまいました。明日は移住先の小学校の入学式です。どこにいようと家族4人が一緒に暮らせるのであればこれ以上のことは望みません。新しい環境で何が起こるかわかりませんが、家族そろって心身共に健康な毎日を過ごせるのであれば、何事も乗り越えられるのではないかと思います。
娘家族の幸せを心から祈るだけです。


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# by mako-oma | 2016-04-06 17:03 | 家族 | Trackback | Comments(0)  

我が家の5年間 (1)

東日本大震災から5年が経ちました。この間我が家にも激震が起こりました。それでも春は来ました。大震災から程なくした頃、隣に住む孫娘の元に、近所のこども園から入園許可の通知が届きました。娘は妊娠がわかるとすぐに保活を始めました。妊娠中、保育園のことしか考えていなかったのではないかと思うくらいです。最初は無認可、次に認証、そしてようやく認可保育園の1歳児クラスにめでたく入園することが出来ました。生後10ヶ月から既に2回の転園を経験し、3園目となるこのこども園は、幼保一体化されたもので、その後5年間本当にお世話になりました。

毎朝保育園に送って行くのが私の仕事でした。通園途中、花の名前を教えて、季節の移り変わりを感じてもらったり、細い道に入ると背負っているリュックを私に渡し、”よーいドン”で競争したり、色々なことが懐かしく思い起こされます。1歳児クラスは、本当に可愛いクラスでした。ついこの間のことのような気がします。2歳児クラスになるとお友達と一緒に遊ぶことも多くなりました。そして3歳になると幼稚園と一緒になり、沢山のお友達が入園してきました。年少クラスは2クラスでしたが、幼稚園のお友達が帰ったあとは、保育園のお友達だけのクラスとなりました。そして年中さんになり、すっかりお姉さんになりました。 つづく

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# by mako-oma | 2016-03-27 09:37 | 家族 | Trackback | Comments(0)  

東日本大震災から5年

東日本大震災からもうすぐ5年が経とうとしています。あの時1歳だった孫娘は、この4月から小学生です。あの日私は保育園まで迎えに行き、避難所に指定されている近くの大学の体育館で娘が来るのを待ちました。しかし京橋の職場にいる娘とは連絡がとれず、外も暗くなってきたので孫娘を連れて家に帰りました。娘はその夜遅く京橋から家まで5時間ぐらい歩いて帰って来ました。

大震災以来、私は岩手県の児童養護施設”藤の園”のサポートを続けています。皆様から寄付を募り、お礼に着物の生地で作った手作りのクリスマスボールを差し上げています。このクリスマスボールプロジェクトに関してはこちらをご覧ください。

先日、藤の園の園長先生であるシスター・チェリナが東京に来られ、思いもかけないものをいただいてしまいました。
感謝状です。私のしてきたことは、本当にささやかなことです。でもこの大震災のことは決して忘れてはいけないと思い、年々人々の記憶が薄れてくるのを感じながらも、寄付をお願いしてきました。ご協力いただいた方々には本当に心から感謝申し上げます。

今日はカトリック高輪教会に行って来ました。こちらの教会からもバザーの売り上げ等の中から藤の園へご寄付をいただきました。
本当は皆様の前でお礼を申し上げたかったのですが、それには前もって予約が必要とのことで、それはかないませんでした。
それでも担当の福祉部の方に心からのお礼を申しあげ、皆様にお伝えいただくようお願いしてまいりました。

細々とでも末永く続けていかれればと思っています。今後とも皆様の温かいご支援をよろしくお願いいたします。

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# by mako-oma | 2016-03-06 16:15 | ボランティア | Trackback | Comments(0)  

第17代市村家橘後援会

The seasons may come and go, but friends last forever.
Make new friends, but keep the old.
One is silver, one is gold.

これは、「半世紀ぶりの再会」でご紹介した詩です。
今日は、半世紀より更に前の60数年前、初めての社会生活を共にした仲間のことをお話したいと思います。

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その幼稚園は伊皿子にありました。
今は、紺のブレザーに水色のチェックのスカート・ズボンという可愛い制服ですが、当時制服はまだなく、全くの私服でした。
幼稚園のお人形を家に持って帰り、母が洋服を縫ってくれたこともありました。とても家庭的な幼稚園でした。

ある時からこの仲間たちが不定期に集まるようになりました。
作曲家の俊ちゃん、歌舞伎役者の寿ちゃん、オペラ歌手の由子ちゃん等々クラスメートには多才な方々がいます。
今でも集まると昔と同じに「何々ちゃん」と呼び合います。
60代後半、既に高齢者の仲間入りをした人達です。
毎回仲良しメールでクラス会のご案内をします。

久しぶりに11名の仲間+1名(市村家橘さん奥様)が集まりました。
今回の目的は、我等が仲間の寿ちゃん(市村家橘《かきつ》さん)の後援会立ち上げの話し合いでした。

7歳で初舞台をふみ、今年芸歴60年を迎える彼を応援しようと、仲間たちが動き始めました。家橘さんは過去に病気で倒れたこともありましたが、厳しいリハビリを乗り越え、現在は心身共に充実して、良い演技を見せてくれています。
私達に何が出来るか、どんな事をやるのか、皆で意見を出し合いました。

これからオリンピックに向け、日本の伝統芸能である歌舞伎をより多くの人に知ってもらうためにも、今、彼には大きな役目があるのではないでしょうか。60年歌舞伎の世界でやってきて、芸風は、白塗りの二枚目から、色悪、さらに三枚目がかった役どころも、女形も、老人役も、難なくこなし、芸域が広く、どんな役でもこなせる腕達者と言われています。 所作が凛とし、静止している姿も美しいと好評です。

第17代市村家橘後援会「かきつ会」立ち上げプロジェクトがスタートしました。
皆様方にもぜひ市村家橘を応援していただきたいと思います。
ホームページをご覧いただき、ご入会いただければ嬉しいです。どうぞこちらへ





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# by mako-oma | 2016-01-15 20:26 | 交流 | Trackback | Comments(0)