クラス会

昨日、大学のクラス会がありました。毎年2月の第1土曜日にクラスメートがやっているお寿司屋さんでやるという定例の新年会です。大学のクラス会というのは、わりと珍しいようですね。60人中女性は二人だけでした。いつもだいたい決まったメンバーですが、私達二人は必ず出席です。10年ほど前、10年ぶりにスキーをして骨折しましたが、その時も松葉杖をついて行った記憶があります。一年に一回みんなに会うのがとても楽しみです。相棒は伊豆に引っ越してしまわれるようですが、来年もぜひ出席してくださいね。

その席で言われました。「ブログ、毎日はやりすぎ」そんなに頻繁に見れないから、一週間に一度開けて見れるくらいがちょうど良いようです。そこで、今までは毎日新しい記事を載せていましたが、ちょっとのんびり行くことに決めました。皆様も気が付いたときにのぞいてみてくださいね。


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# by mako-oma | 2015-02-08 15:37 | その他 | Trackback | Comments(0)  

削られた言論

                     昭和49(?)年 6月8日 朝日新聞

                            窓  論説委員室から

『「現実を無視して、ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し…国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば…現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできない」

斎藤隆夫が昭和15年2月2日の衆議院本会議で行った「反軍演説」のさわりだ。日中戦争が拡大する中で、政府・軍部を批判し、議員を除名された。この迫力のある部分を読もうと、官報の75回帝国議会衆議院議事録を広げても、見当たらない。議長職権で後半部分の三分の二ほどが削除され、短い太い棒線で演説が消されてしまっているからだ。国会はいま帝国議会時代の秘密会議事速記録の公開に取り組み、参院はすでに貴族院の会議録を公開した。衆院も公開内容を詰めている。これに合わせて斎藤演説のような削除演説の名誉回復も考えたらどうか。衆院事務局は「元の記録が残っているか、どうか…」と消極的。議会史に詳しい前田英昭駒沢大教授は「各種の資料が残っているはず。復活させたい演説は数件ある」という。新憲法下の国会でも多くの削除例がある。昭和28年に、衆議院解散に直結した吉田茂元首相の「バカヤロウ」発言も一例だ。31年には日ソ共同宣言に対する中曽根康弘元首相の自民党としての賛成討論に、社会党から不穏当だと批判が上がり、全文が削除された。削除例には、本人の意思に反して議長職権で強引に削られているものが多い。本人が不服を申し立てておけば、一定期間後に評価し直すのも一案だ。事実誤認や人権を侵害するような「不穏当」発言は問題外。演説者の主義主張にかかわるものや時間の経過で削除の必要がなくなったものは、極力復活させたらいい。言論の府の柔軟性をみたい。』


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# by mako-oma | 2015-02-07 13:26 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

感銘深い粛軍演説

                 昭和31年9月3日 日本経済新聞

                               私の履歴書 片山哲 

   

『戦時、戦後を通じて、国会演説で、私の最も感銘を深めたものは、斎藤隆夫の粛軍演説ただ一つあるだけだ。反戦演説でも、平和主義の演説でもないが時の陸軍に対し、あれだけ勇敢に対抗し聖戦などとはあり得るものではない、みな勝手なことを言って戦争を起こす、戦争はきわめて残忍なものであるのが本旨であって、勝つために手段を選ばざるものだと、大雄弁をふるって、時の陸軍にあたったものであった。

何人も言い得ざりしことを大胆率直に議政檀上でまくしたてたので、議場は割れるばかりの大喝采、党派を超越しての大拍手、しばらくは鳴りやまずという光景であった。しかも彼は伊藤公の「憲法義解」一冊と23枚の新聞切り抜き、および紙片に順序を書いたメモを持っているだけで、もちろん原稿を持たず、朗読演説の型を破った、堂々たる画期的演説であった…』

2014年12月5日、NHKBSプレミアムの「英雄たちの決断」という番組で祖父斎藤隆夫が取り上げられ、「開戦前夜!政治家斎藤隆夫の挑戦~命をかけた名演説」が放映されました。 結構反響も大きかったようです。そこで皆様に斎藤隆夫のことをもっと知っていただくことが出来ればと思い、ブログを立ち上げました。




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# by mako-oma | 2015-02-06 14:08 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

皆様は「斎藤隆夫」という名前をご存じだろうか?

広辞苑を引くと、『政治家。兵庫県生まれ。イェール大学に学ぶ。弁護士から政界に入る。民政党に属し、226事件直後に粛軍演説で陸軍を批判、1940年日中戦争処理に関する質問演説のため議員除名。第二次大戦後、進歩党の結成に当る。(1870~1949)』とある。
おそらく昭和史に詳しい方はご存じだろうが、一般にはあまり知られていないのではないかと思う。

斎藤隆夫は私の母方の祖父である。祖父は亡くなる数か月前の1949年7月22日まで、毎日日記をつけていた。これは、「斎藤隆夫日記(上)(下)」として中央公論新社から2009年に出版されている。昭和24年3月27日のところを見ると、「午后七時愛子女子を分娩す。先づ安心す。」とある。祖父のノートには赤線が引かれていた。叔父の話では、出産直後ちょくちょく顔をのぞきにきてくれたようだ。当時祖父は国務大臣をしており、私はその官邸でお産婆さんの手によって生まれてきた。半年後、祖父は亡くなる。

私は昨年65才になり、高齢者の仲間入りをした。祖父が亡くなり既に65年が経っているのである。没後60年の年には出身地の出石で記念行事が執り行われた。私も東京から参加したが、60年経ってもこのようなことをやっていただけることへの感謝の気持ちは、言葉では言い表せない。
常日頃、出石の方々には本当に心から感謝申し上げている。
だがなかなかその気持ちを表す機会がなかったので、今回ブログを立ち上げることにした。
斎藤隆夫に関する新聞記事など私の手元にある資料を公開し、一人でも多くの方に斎藤隆夫を知っていただけるよう、協力させていただきたいと思った。
これらの新聞記事は両親が集めたもので、両親の友人・知人が送ってくださったものもある。両親共亡くなり、そんなこともなくなってしまった。今回ブログを立ち上げることによって、皆様から情報がいただけたら嬉しいと思っている。

新聞記事は、年月日不詳のもの、新聞社のわからないものも沢山ある。
折に触れ斎藤隆夫の名前が新聞紙上に登場する。従ってそこにある政党名や個人名はもう過去のものであるので、当時の時代背景を思いだしていただければと思う。
日本が置かれている環境も複雑かつ微妙で、難しくなってきた現在、現役の政治家の皆様、これから政治家を志す皆様にもぜひご覧いただきたいと思っている。






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# by mako-oma | 2015-02-05 13:37 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(2)  

ご挨拶

13回にわたる「オーマとジージのクロアチア大冒険旅行」をご覧いただき、ありがとうございました。初めから公開するつもりで書いたものではなく、記録として書いたので、どうでも良いことがいろいろと書かれていましたね。写真は夫提供です。明日から、いよいよこのブログを立ち上げた本来の目的である斎藤隆夫を皆様に知っていただくための記事を連載させていただきます。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。



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# by mako-oma | 2015-02-04 15:45 | その他 | Trackback | Comments(0)