演説はどこへ なにが感動か

                    昭和56年6月17日 毎日新聞 夕刊

                             編集委員 岩見隆夫

『斎藤隆夫をおいて、議会演説を語ることはできない。若いころの竹下登にはため息が出るような体験がある。「あれは、僕が復員して大学に入り、傍聴にきてたんだ。終戦の年の第89帝国議会。斎藤先生が、東条英機が戦犯なら、三国同盟を結んだ近衛(文麿)さんはなぜ戦犯でないのか、とやっていた。数日後、近衛さんは自殺されたが、とにかくすごい迫力だと思ったね。傍聴席で拍手をすると退場を命じられるから、僕は拍手を我慢するため、自分の両手をぎゅっと握りあわせた記憶がある」 斎藤の面目は、戦前に躍如としていた。昭和議会史の前半は、軍部と政党の抗争。その主役が民政党の斎藤だった。ニ度、斎藤は壇上から挑戦した。最初は2・26事件直後、昭和11年5月の粛軍演説。軍部の乱れを一刀両断にした。軍首脳部はショック、国民は溜(りゅう)飲を下げ、翌朝の『東京日日』(現在の『毎日』)には大見出しが躍った。「斎藤氏熱火の大論陣 国民の総意を代表し 軍部に一大英断要望」ついで15年2月。支那事変が4年目に入り、大戦前夜の日本は泥沼にのめりこもうとしていた。

斎藤が代表質問に立つ。「いたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、いわく国際正義、いわく道義外交、いわく共存共栄、いわく世界の平和、かくのごとき雲をつかむような文字を並べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできない…」の箇所で熱弁は最高潮。軍部が激高した。聖戦の大理想を無視した非国民的言論だ、と怒り狂い、議会は強硬な懲罰要求に屈して斎藤を除名処分にした。除名には政友会の芦田均、社会大衆党の片山哲らが反対したが、この二人は戦後奇しくも首相になっている。のちに片山はテレビ対談の中で、次のように語った。「拍手なりやまずという光景でしたね。私の生涯の中で聞いた議会演説としては最高峰です。小さな斎藤君が首をふりふり演説するのですが、それがまた異彩を放って、もう檀上いっぱいにみえるくらいでした」「私のいちばん感銘したのは、聖の戦いなどありえない、戦争は残忍きわまるものだと述べられた点です。それを斎藤君は伊藤博文公の『憲法義解』一冊持って、新聞の切り抜き2~3枚と順序を書いたメモだけで、下を見ないで演説する。つまり世界に響け、というような、力がこもっておったなあ」兵庫県出身の斎藤を、かつての文人知事、阪本勝は「真の大勇なくして到底なしえない。但馬が生んだ偉傑」と評した。』




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# by mako-oma | 2015-02-10 14:21 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

クラス会

昨日、大学のクラス会がありました。毎年2月の第1土曜日にクラスメートがやっているお寿司屋さんでやるという定例の新年会です。大学のクラス会というのは、わりと珍しいようですね。60人中女性は二人だけでした。いつもだいたい決まったメンバーですが、私達二人は必ず出席です。10年ほど前、10年ぶりにスキーをして骨折しましたが、その時も松葉杖をついて行った記憶があります。一年に一回みんなに会うのがとても楽しみです。相棒は伊豆に引っ越してしまわれるようですが、来年もぜひ出席してくださいね。

その席で言われました。「ブログ、毎日はやりすぎ」そんなに頻繁に見れないから、一週間に一度開けて見れるくらいがちょうど良いようです。そこで、今までは毎日新しい記事を載せていましたが、ちょっとのんびり行くことに決めました。皆様も気が付いたときにのぞいてみてくださいね。


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# by mako-oma | 2015-02-08 15:37 | その他 | Trackback | Comments(0)  

削られた言論

                     昭和49(?)年 6月8日 朝日新聞

                            窓  論説委員室から

『「現実を無視して、ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し…国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば…現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできない」

斎藤隆夫が昭和15年2月2日の衆議院本会議で行った「反軍演説」のさわりだ。日中戦争が拡大する中で、政府・軍部を批判し、議員を除名された。この迫力のある部分を読もうと、官報の75回帝国議会衆議院議事録を広げても、見当たらない。議長職権で後半部分の三分の二ほどが削除され、短い太い棒線で演説が消されてしまっているからだ。国会はいま帝国議会時代の秘密会議事速記録の公開に取り組み、参院はすでに貴族院の会議録を公開した。衆院も公開内容を詰めている。これに合わせて斎藤演説のような削除演説の名誉回復も考えたらどうか。衆院事務局は「元の記録が残っているか、どうか…」と消極的。議会史に詳しい前田英昭駒沢大教授は「各種の資料が残っているはず。復活させたい演説は数件ある」という。新憲法下の国会でも多くの削除例がある。昭和28年に、衆議院解散に直結した吉田茂元首相の「バカヤロウ」発言も一例だ。31年には日ソ共同宣言に対する中曽根康弘元首相の自民党としての賛成討論に、社会党から不穏当だと批判が上がり、全文が削除された。削除例には、本人の意思に反して議長職権で強引に削られているものが多い。本人が不服を申し立てておけば、一定期間後に評価し直すのも一案だ。事実誤認や人権を侵害するような「不穏当」発言は問題外。演説者の主義主張にかかわるものや時間の経過で削除の必要がなくなったものは、極力復活させたらいい。言論の府の柔軟性をみたい。』


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# by mako-oma | 2015-02-07 13:26 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

感銘深い粛軍演説

                 昭和31年9月3日 日本経済新聞

                               私の履歴書 片山哲 

   

『戦時、戦後を通じて、国会演説で、私の最も感銘を深めたものは、斎藤隆夫の粛軍演説ただ一つあるだけだ。反戦演説でも、平和主義の演説でもないが時の陸軍に対し、あれだけ勇敢に対抗し聖戦などとはあり得るものではない、みな勝手なことを言って戦争を起こす、戦争はきわめて残忍なものであるのが本旨であって、勝つために手段を選ばざるものだと、大雄弁をふるって、時の陸軍にあたったものであった。

何人も言い得ざりしことを大胆率直に議政檀上でまくしたてたので、議場は割れるばかりの大喝采、党派を超越しての大拍手、しばらくは鳴りやまずという光景であった。しかも彼は伊藤公の「憲法義解」一冊と23枚の新聞切り抜き、および紙片に順序を書いたメモを持っているだけで、もちろん原稿を持たず、朗読演説の型を破った、堂々たる画期的演説であった…』

2014年12月5日、NHKBSプレミアムの「英雄たちの決断」という番組で祖父斎藤隆夫が取り上げられ、「開戦前夜!政治家斎藤隆夫の挑戦~命をかけた名演説」が放映されました。 結構反響も大きかったようです。そこで皆様に斎藤隆夫のことをもっと知っていただくことが出来ればと思い、ブログを立ち上げました。




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# by mako-oma | 2015-02-06 14:08 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

皆様は「斎藤隆夫」という名前をご存じだろうか?

広辞苑を引くと、『政治家。兵庫県生まれ。イェール大学に学ぶ。弁護士から政界に入る。民政党に属し、226事件直後に粛軍演説で陸軍を批判、1940年日中戦争処理に関する質問演説のため議員除名。第二次大戦後、進歩党の結成に当る。(1870~1949)』とある。
おそらく昭和史に詳しい方はご存じだろうが、一般にはあまり知られていないのではないかと思う。

斎藤隆夫は私の母方の祖父である。祖父は亡くなる数か月前の1949年7月22日まで、毎日日記をつけていた。これは、「斎藤隆夫日記(上)(下)」として中央公論新社から2009年に出版されている。昭和24年3月27日のところを見ると、「午后七時愛子女子を分娩す。先づ安心す。」とある。祖父のノートには赤線が引かれていた。叔父の話では、出産直後ちょくちょく顔をのぞきにきてくれたようだ。当時祖父は国務大臣をしており、私はその官邸でお産婆さんの手によって生まれてきた。半年後、祖父は亡くなる。

私は昨年65才になり、高齢者の仲間入りをした。祖父が亡くなり既に65年が経っているのである。没後60年の年には出身地の出石で記念行事が執り行われた。私も東京から参加したが、60年経ってもこのようなことをやっていただけることへの感謝の気持ちは、言葉では言い表せない。
常日頃、出石の方々には本当に心から感謝申し上げている。
だがなかなかその気持ちを表す機会がなかったので、今回ブログを立ち上げることにした。
斎藤隆夫に関する新聞記事など私の手元にある資料を公開し、一人でも多くの方に斎藤隆夫を知っていただけるよう、協力させていただきたいと思った。
これらの新聞記事は両親が集めたもので、両親の友人・知人が送ってくださったものもある。両親共亡くなり、そんなこともなくなってしまった。今回ブログを立ち上げることによって、皆様から情報がいただけたら嬉しいと思っている。

新聞記事は、年月日不詳のもの、新聞社のわからないものも沢山ある。
折に触れ斎藤隆夫の名前が新聞紙上に登場する。従ってそこにある政党名や個人名はもう過去のものであるので、当時の時代背景を思いだしていただければと思う。
日本が置かれている環境も複雑かつ微妙で、難しくなってきた現在、現役の政治家の皆様、これから政治家を志す皆様にもぜひご覧いただきたいと思っている。






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# by mako-oma | 2015-02-05 13:37 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(2)