③オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~2日目【6月12日(木)】

2日目【612日(木)】

朝5時に目が覚めてしまったので、散歩することにした。ホテルのまわりには子供向けの公園があり、その奥にはプライベートビーチがあった。このあたりはラパドとよばれる地域で、昔ここにはルネッサンス様式の夏の別邸がたくさんあったそうだ。海沿いの細い道はどこまでも続いているようだった。

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先へ先へと歩いていくと、突然、素敵なレストランが現れた。こんなところに?と思ったがおそらく正門は上の方にあるのだろう。ホテルにもなっているので、ここの入口は、海水浴客のためのビーチへの降り口のようだ。

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ホテルに帰りそろそろ朝食の時間だと思い、行ってみたのだが、あとまだ1時間あるというのである。私の時計は確かに7時なのだが、まだ6時だという。一体どういうことなのか? 部屋に戻り、テレビをつけてみたが、どうやらまだ6時らしい。ということは、ヘルシンキ時間とクロアチア時間の間には1時間の時差があるということである。

朝食は、パンやシリアル、コーヒーや紅茶のほかに、ジュース、ヨーグルト、ハム・チーズ・ソーセージ、ゆで卵、果物程度の軽いものだった。

ドイツ人のツアー客が同じホテルに宿泊していた。どこから来ているのか尋ねてみたら、ハンブルグからだという。ホテルのスタッフもドイツ語がわかるようである。以前デュッセルドルフに住んでいたと話したら、彼女は行ったことがあるという。良い街だと言い、特に高級店が立ち並ぶケーニヒスアレーは大好きだと話した。私も大好きだ。買い物をしなくても、ただブラブラと歩くだけでも気持ちの良い通りである。なんだかとてもなつかしい気分になった。

9時頃には行動開始。まずは、3日間のドブロブニクカードというものを買い求めた。これを持っていると市内のバスや施設の入場料が無料になる。旧市街までは10分ぐらいであろうか。結構込み合っていた。ほぼ全員同じところで降りた。ドブロブニクは「アドリア海の真珠」と称えられ、高くて重厚な城壁に囲まれている。私達は2キロにわたる城壁の上を歩いた。旧市街は世界遺産に登録されている。オレンジ色の瓦屋根とアドリア海の青い色のコントラストはどこから見ても絵になる光景だ。



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オノフリオの大噴水を見て、そのあと聖母被昇天大聖堂に入った。そこで私達を迎えてくれたのは、なんと私のクリスチャンネームである小さき花のテレジアの像だった。今まで数多くの教会を見てきたが、テレジアの像に出会ったのは初めてだ。素敵な旅の始まりを感じた。


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次に、ドブロブニクの守護聖人、聖ヴラホの名を冠した聖ヴラホ教会を訪れた。
教会の主祭壇には銀製の聖ヴラホの像があり、その手にはドブロブニク旧市街の模型を載せている。


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そのあとドミニク会修道院とフランシスコ会修道院を訪れたが、私は修道院の中庭が大好きだ。とても落ち着く。フランシスコ会修道院内にはヨーロッパで3番目に古い薬局が今も営業を続けている



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旧市街の目抜き通りプラツァ通りにはショップやカフェが並び、沢山の観光客が行き交っていた。お昼時になり、どこで食べようかと思っていたら、ちょうど目の前に、ガイドブックに載っていたお店の名前が目に入ったので、迷うことなくそこに入った。マスのグリルとスパゲッティーを頼んだが、値段の割にはたいしたことはなかった。隣の安いお店が結構にぎわっているのが気になった。


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昼食後、ロープウェイでスルジ山の頂上まで行った。ここからは旧市街を一望することができる。素晴らしい景色を堪能し、山を降りた。

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2時半頃にはもう今日の観光は終了し、ホテルに戻ることにした。とにかくものすごい暑さだった。何しろ朝5時から行動しているので、もう十分だった。

好きなように行動できるのは、個人旅行の最も良いところである。

帰りもまたバスで帰った。バス停を降りたら目の前にメガネショップがあった。

今日一日、何が困ったかと言えば、とにかくメガネとサングラスを交互につけたりはずしたりして、今どちらをかけているのかが、判らなくなるぐらいだった。一年中サングラスが手放せない私にとって、サングラスは必須である。メガネチェーンを忘れたのがいけなかった。それが運良く目の前にメガネショップがあるではないか。直ぐに中に入り、選択肢はなくそこにあった唯一のヒモ状のものを買った。これで、メガネを首からかけられるようになり、旅行中大いに助かった。これがなければ、メガネかサングラスかいずれかを落としたり壊したり失くしたりしただろう。ドイツ旅行の時、向こう岸まで船で渡るということがあった。こちら側に車を置いて船に乗ったのだが、その時点ですぐにサングラスがないのに気がついた。向こう岸について、私だけ直ぐに折り返し戻って探したが、既に車につぶされて無残な姿になっていた。

その時も直ぐにメガネショップを探した。こんな小さな村にあるのだろうかと思ったのだが、あったのだ。夫に、「メガネショップがあったら車止めて。」と言ったその瞬間にメガネショップを見つけたのだ。本当に不思議だ。

帰りがけにスーパーに寄って買い物をしてホテルに戻った。

夕食は7時頃、ホテル直営のレストランでムッシェルとシーバス、サラダ、ポテトなどを頼んだ。ウェイターのおじさんは船乗りだったようで、日本にも行ったことがあると言った。

早々にベッドに入ったが、夜、にぎやかな音で目が覚めた。この日はサッカーワールドカップの開幕戦、ブラジル対クロアチア戦が行われていたのである。

歓声と悲鳴が聞こえてきた。結果、3対1でクロアチアは負けてしまった。 (つづく)



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# by mako-oma | 2015-01-22 20:08 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

②オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~初日【6月11日(水)】~

初日【611日(水)】

このような経過をたどり、6月11日当日を迎えた。

予定時刻を少々遅れて飛び立った飛行機だが、順調に飛行を続けていた。私達の席は、真ん中4列の左2席である。前は壁なので、足は自由に伸ばせ、出入りも自由なので何よりだ。隣の2席には親子と思われる外国人女性が座った。おそらく体重は私の3倍近くあるのではないかと思われる二人にとっては、この席以外には座れないのではないかと思われた。シートベルト着用のサインが消えると、いつものようにイヤーホンを耳にし、映画のプログラムを見るが、興味を引くものはなかった。大体音が悪すぎる。持ってきた本を広げ、しばらくは読書することにした。

もう何時間が経過したのだろうか?と思っていたところに、一人の日本人女性が気分が悪くなった様子でやってきた。顔色は真っ白である。まともに歩けないようである。私達のすぐ脇で控えていたキャビンアテンダントはすぐさま酸素吸入器を取り出し、その女性に取り付け、機敏に対応していたようである。その後ウトウトしていたら、突然のアナウンスに起こされた。急病人発生。乗客の中に医師はいないか、というものだった。

私の斜め後方に座っていた一人の日本人男性が前に進み出た。どうやら患者は前の壁を隔てた向こう側にいるようだ。その男性は、フィンランド人のキャビンアテンダントと何やら会話している。おそらく英語は堪能だと思われる。

しばらくして動きがあわただしくなった。点滴をするようである。飛行機内は既に睡眠時間に入り、電気も消され、皆静かに目を閉じている。ちょうど私の位置からドクターの姿が見えるので、気になって眠れなかった。しばらくすると、ドクターは自分の席に戻った。しかしその後も度々様子を見に行っている。そして点滴ははずされた。その時には若い男性が手伝っているようだった。医学生なのだろうか。私はいろいろ考えてしまった。飛行機の中で、急病人が出て、医師の呼び出しがあるということは、よく聞く話である。しかし、実際に乗り合わせた医師の中に果たして何人の人が名乗り出るのであろうか。患者の国籍もわからない、どういう状況なのかもわからない、たとえ病状がわかってもそこは空の上である。一体どういう処置をするというのか。また逆に私が患者の立場だったらどうだろうか。言葉も通じない国の人が医師だと言われて現れても、かえって不安になるのではないだろうか。でもその時の日本人ドクターのような人だったら、どんなに心強く安心した気持ちになることだろう、と心の底から思った。本当にすごいと思った。降りる際、患者は先ほどの酸素吸入をしていた日本人女性であることがわかった。顔色も良くなり、元気を取り戻した様子だった。本当に良かった。

そんな訳で殆ど眠らないうちに、飛行機は着陸態勢に入った。フィンエアーの最も良い点は、飛行時間が短いということである。普通ヨーロッパに行くには12時間かかるところ、ヘルシンキまでは10時間30分だった。最後の2時間がつらいので、この速さは魅力である。ヘルシンキから乗り換えてクロアチアのドブロブニクまで行くのである。空港内を歩いていたら、なんと偶然に友人夫妻と会ってしまった。オランダから川くだりのクルージングツアーだそうだ。私達よりも長い二週間以上のツアーということで、既にリタイアーされたと思われる御夫婦での参加が多いように見受けられた。世界は狭い!

ここで、私は腕にはめている時計の針を現地時間に合わせた。 1655分の予定時刻をかなり過ぎて1720飛行機はドブロブニクへ向け飛び立った。そして、2時間ほどで着いた。空港を出たあとレンタカーのお店に行ったのだが、用意されたのはVWではなく、三菱コルトだった。どうなっているの?と思ったが仕方がない。受付にいたのはアルバイトの男の子で、手続きにえらく時間がかかった。お店の人は夫と何やらおしゃべりをしている。

サッカーワールドカップの開幕戦、ブラジル対クロアチア戦はまさにちょうどその日だった。みんな待ち遠しいようで、最高に盛り上がっていた。クロアチアの旗をつけた車も行き交っていた。

ようやくコルトに乗って出発したのは、9時を過ぎていた。今の季節、まだ明るいが、暗くなってしまったらホテルにたどり着けないのではないかと気が気ではなかった。しかし道を間違えてしまい、なかなか見つからなかった。そのとき1台の観光バスが止まっているのが目に入った。ヒマそうな運転手さんに聞いてみた。彼は片言のドイツ語で一生懸命教えてくれた。こんなところでドイツ語が役立つとは・・・10時頃、予約を入れたホテルに到着した。しかし部屋に落ち着くにはまだ時間が必要だった。ホテルの前はプロムナードになっていて、車は入れない。離れたところにある駐車場から荷物をゴロゴロ引いてこなければならなかった。しかしまだエレベーターがあるだけ良かったのである。とにもかくにもクロアチア旅行の初日は無事に終わった。(つづく)


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# by mako-oma | 2015-01-20 15:18 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

①オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~出発まで~

オーマとジージのクロアチア大冒険旅行

~5段シフトマニアル車で走った1500km



2014611日(水)、雨上がりの成田空港をフィンエアーAY0074便はクロアチアへ向かって飛び立った。この日成田までの道のり、頭上には暗雲立ち込め、ワイパーに打ち付ける雨は激しさを増していった。こんな気象条件の中を飛び立たなければいけないのかと、少々不安な気持ちになったが、幸い出発時刻11時の頃には雨も上がっており、一安心。

思い起こせば15年前、イギリス在住中に知り合ったリタという女性が毎年バカンスはクロエイシアに行くというのである。英語でクロエイシアと言われても私にはどこにあるのかさえも全くわからなかった。

彼女は90歳を超えた今でも健在で、娘さんファミリーと一緒に生活をしており、旅行にも出かけているようである。

帰国し、しばらくすると、日本の旅行会社の広告でもクロアチア旅行を目にするようになり、ここ数年特に人気が出てきたように感じていた。

私は今年から前期高齢者の仲間入りをした。このところ同級生の訃報が相次いだ。お正月早々、小学校生活6年間を一緒にすごしたクラスメートが亡くなった。私はいろいろなことを考えさせられた。

夫と私は7歳違いである。二人揃って元気に旅行できる今を逃したら、もう一生クロアチアには行けないと思った。人生最後の海外旅行のつもりで、飛行機はビジネスを、ホテルは五つ星を、ぐらいの勢いで、旅行計画をたてることにした。

クロアチアという国は、1990年代には戦争をしていた国である。旧東というと、やはり個人で行くのは大丈夫なのだろうかと思った。通常私達の旅行は、まず安いフライトチケットをとり、ホテルを探し、レンタカーを予約して回るというのが、今までのやり方である。でも今回はツアーに参加した方が良いのではないかと考え、旅行会社のパンフレットを手当たり次第集めて検討した。その結果、見て回るところはほぼ同じ、日数やホテルのランクなどにより、値段の違いがあるようだった。クロアチアとスロベニアが一緒になっているツアーが多いようだ。隣国ボスニア・ヘルツェゴビナやモンテネグロを含むものもある。最近は高齢者向けにゆとりのある旅を売りにしている企画も目立つ。ある旅行会社の説明会に行ってみた。来ているのはほぼ全員60歳以上と思われる。

過去にこの会社のツアーに参加し、スタッフとも顔なじみの様子があちこちで見受けられる。どうやら高齢者にとっては至れり尽せりのツアーのようである。

ヨーロッパ有数の規模を誇るスロベニアのポストニア鍾乳洞はどのツアーにも必ず含まれている。内部へはトロッコ列車で入って行き、スリル満点だという。温度は8度程度になるので、上着は忘れないようにとの指示がある。

ちょうどその頃、私は録画した番組を整理していて、偶然、「女子アナ絶叫!ポストイナ鍾乳洞」というのを見つけた。それはテレビ局に入社した娘の小学校時代のクラスメートがレポートしている番組だった。それを見て、やはり私は鍾乳洞はパスだと思った。以前オーストリアの鍾乳洞で、見終わると電気が消されるようになっており、私は列の後方にいて結構怖いと思った。元来、暗いところや寒いところは苦手である。そうなるとやはりツアーはいろいろと制約があり、好きな時に起きて、その日の天気や気分で行動できる個人旅行は捨てがたい。結局方針変更を決めた。

個人で行くのに、クロアチアとスロベニアの両方は無理である。

何しろ南北に非常に長いので、とても運転手一人で運転して回れる距離ではない。ホテルを2ヶ所ぐらいとって、そこを中心に回る計画をたてることにした。

まずネットでフライトチケットを調べてみた。ところが、もう既に時期遅しという感じで、6月の便を見て驚いた。飛行時間が20数時間もかかる便が多いのである。クロアチアまでの直行便はないので、ヨーロッパのどこかで乗り換えないと行かれない。それでも15時間ぐらいのものだと思っていた。2度乗り換えや、空港で9時間待ちとかになると、20時間を越えるフライトとなる。12時間のヨーロッパ便が年々苦痛と感じている私にとっては、20時間なんて、とんでもない話である。とにかく一番早く到達できるのがフィンエアーだとわかり、日程は611日(水)から22日(日)までの12日間とすることにした。行きは6月11日成田1100発ヘルシンキ経由1855ドブロブニク着、帰りは21日(土)ドブロブニク1100発ヘルシンキ経由翌22日(日)855成田着である。この段階でビジネスという話はなくなった。幸い前が壁で足の伸ばせる席が取れたのである。往復共この席が取れたことは本当にラッキーだった。

その後はホテルである。フランスやドイツを旅したときは、まずミシュランの本を買ってきて、静かな環境にある、あまり大きくないクラシックなホテルを探した。庭があって、バスタブもあり、美味しいものも食べられるとあれば、決定である。星は多くても、プールやスパ付きのモダンなタワーホテルは避けたい。ところが、今回クロアチアの本が見つからなかった。おそらく売れないのだろう。仕方がないので、ネットで探した。ホテルの数は、限りなくあるのだが、その中から選ぶのは至難の技である。ようやく何とかドブロブニクとトロギールの二つの町に4泊ずつとり、最後の日は飛行場の近くに1泊とった。

その後、クロアチア旅行経験者の話を聞き、世界遺産のプリトヴィッツェ湖畔国立公園ははずせないとわかった。ドブロブニクからトロギールまでは300キロ近くあり、トロギールからプリトヴィッツェまでも250キロはあるのだ。とても日帰りで行かれる距離ではないので、スルニという町にホテルをとった。ガイドブックにも載っていないこの小さな町は、友人のお勧めである。

このようにして、行きたいところを決めていくうちに、ホテルの数も増えていってしまった。そして、小さな町には五つ星ホテルなど存在しない。この段階でデラックスホテルの話も消えた。そうなると、はじめに予約したホテルが、やけに高く感じるようになった。私が希望するようなこじんまりとしたクラシックなホテルとは程遠い、何百室もあるプール付き、スパ付きのタワーホテルに、高額を出して泊まりたくもない。そんな訳で、既に予約を入れていたホテルはキャンセルして、再度取り直しということになった。

私がこのような作業をしている間、一緒に行く夫は何をしているかといえば、これまた大変な作業をしていたのである。まず、クロアチアの道路地図を手に入れようとしたのだが、やはり売っていない。そこで考えたのが、アプリである。タブレットを購入し、クロアチアの道路地図のアプリを買ってダウンロードした。もう一つは、グーグルのストリートビューである。すごい時代になったものだ。いまや、現地に行かなくても、道路の様子がわかるので、ホテルまでの行き方を念入りに調べていた。せっかく調べ上げたのに、そのホテルはキャンセルである。新たに五つのホテルの行き方を調べなければならなくなった。

夫はこんなことをずっとしていたので、行く前からもう既に行った気になっていた。

ホテルが決まれば、あとはレンタカーである。夫婦二人だけなので、そんなに大きな車はいらない。ヨーロッパのレンタカーは殆どがマニアル車である。オートマもないわけではないが、数は少なく高い。はじめは、ドイツのレンタカー会社にメルセデスを頼んだのだが、何やら訳のわからない理由で、こちらの希望には応じられないという。それではとVWに変えてみたが、それでもだめだった。一体どういうことなのか? ドイツのレンタカー会社は旧東側に行くことをいやがるのではないか、という友人もいた。修理等になった場合にいろいろ面倒なことになるというのがその理由だが、正確なところはわからない。仕方がないのでエイビスでVWのゴルフを予約した。ちなみに夫の免許証は35年前に取得したドイツの免許証である。イギリスの免許証は年齢制限があり、70歳で終了してしまった。ドイツの免許証は一生有効である。一応私も持ってはいるが、国内ですら地域限定・期間限定のドライバーである。国外で運転するなんてことは一生ないだろう。

すべて準備は整った。ところがその後、何年ぶりかに歯が痛み歯医者さんに行ったところ、虫歯になっていて、それもかなり深いので神経を抜かなければいけないかもしれない、ということだった。出発まで日にちもないので、とりあえず神経はそのままにして治療してもらった。鎮痛剤を処方され持参するよう指示された。そんな中、隣に住む娘が体調を崩し、夕飯は我が家で一緒に取るようになった。夫婦二人だけの食事とは全然違う。私達がいない間どうするのだろうと思い、冷凍できる料理を何品か作り置いた。疲れがたまると腰にくるのだが、不運にも出発前その腰痛が襲って来た。2日前に整形外科に飛び込み、湿布と鎮痛剤をもらい、ひどくならないことを祈りつつ病院をあとにした。(つづく)


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# by mako-oma | 2015-01-18 09:09 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

マクーマの部屋へようこそ

2015年1月、ついにブログを立ち上げました。旅行のこと、アンティークのこと、そして斎藤隆夫のこと…いろいろお話したいと思います。どうぞお気軽にお立ち寄りください。
"Better late than never." (リヴィウス)
(遅れてしまったからやらないというのではなく、やはり遅れてもやらないよりやった方が良い。あきらめずに事にあたろう。)
という訳で遅ればせながらブログデビューいたしました。
どうぞよろしくお願いいたします。


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# by mako-oma | 2015-01-18 09:05 | その他 | Trackback | Comments(0)