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年末恒例行事

今年も余すところあと1日になってしまいました。
我が家の年末恒例行事は長女の高校時代の友人たちが集まるクリスマスパーティーです。今年は皆様のご都合で、暮れも押し迫った12月27日に開催されました。

このパーティー、初めは長女の友人たち8人だけでしたが、そのうちに結婚されてご主人も一緒に、そしてお子さんが生まれてファミリーで、と人数も増えていきました。
その一方、ロンドン、パリ、ヨルダン等、海外に行かれる方も増え、ある年は日本在住組は半分になってしまいました。お二人が来られるということだったのですが、一人は途中で具合が悪くなってこられなくなってしまい、結局お一人が双子ちゃんを連れていらしてくださいました。

毎回、皆様何か一品持ってきてくださるので、とっても楽しみです。今年もドライカレー、具材たっぷりのクスクスサラダ、2種のお味の異なる豚肉薄切りメニュー、シンガポールのソースでいただく焼き鳥、ロンドン駐在妻レシピの白菜サラダ、友人のご主人特製の焼きそば等バラエティーに富んだお料理が並びました。そしておいしいシャンペンにヨルダンのワイン!ヨルダンワインSAINT GEORGEは、残念ながら当日は開けそびれてしまい、皆様には飲んでいただけませんでしたが、後日私たち夫婦二人でいただきました。最高に美味しかったです!
私達は、牡蠣のアヒージョと野菜のマリネ、トマトとモッレラチーズのカプレーゼを提供しました。

今年は大人14名子供5名の計19名となりました。
ヨルダンからシンガポールに移られ一時帰国中の方、今年ロンドンから帰国された方も加わり、久しぶりに4人のご主人方が参加され、とてもにぎやかな会となりました。

途中、子供たちはパパたちも一緒に近くの公園に遊びにいきました。帰ってきてからは、6歳と5歳の女の子達4人は飽きもせずにカルタやトランプでひたすら遊び続けていました。

1時から始まった会も6時ごろには記念写真を撮って、お開きとなりました。来年また皆様方にお会いできるのを楽しみにいたしております。


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by mako-oma | 2015-12-30 13:25 | 行事 | Trackback | Comments(0)  

「藤の園」へのご支援ありがとうございました

東日本大震災以来、私がサポートを続けている岩手県の児童養護施設「藤の園」へのご支援をいただいた皆様、ありがとうございました!
先日、皆様から頂いた支援金は全額「藤の園」へお送りいたしました。園長先生のシスター・チェリナからはお礼のメールをいただきましたので、ご報告させていただきます。

2011年3月11日、東北を襲った大震災は、当時1歳から18歳までの約60名が生活していた「藤の園」の建物にも大きな被害を与え、とても住める状況ではなくなり、立て直しが必要となりました。
友人からこの話を聞いて、私に何かできることはないかと考えました。偶然にもそこの園長先生は私の知っているドイツ人のシスターだったのです。

その頃私は義母が遺してくれた大量の古代布を何か役立てられないかと考えていました。義母は古代布を使ってお雛さまなどのお人形を作っていました。お頭は人間国宝級と言われた及川映峰さんから直々に選んでいただいたものを使い、胴体は藁を削って釘を打ち、とにかくこれはもの凄い力仕事だと思っていました。一針一針縫った衣装を何枚も重ねて着せてようやく出来上がります。

そこで、皆様に寄付をお願いし、そのお礼に古代布で作ったクリスマスボールを差し上げようと思いました。

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販売することも考えましたが、皆様の温かいお気持ちに対する私の感謝の気持ちをお伝えしたかったので、1000円のご寄付に対してクリスマスボールを1個差し上げることにしました。

我が家のクリスマスツリーには20個以上のクリスマスボールが飾られています。
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大震災から4年以上が経過し、なかなか寄付をお願いするのも難しい状況になってきましたが、子供達を高校まで出すための教育費のために、微力ですが、お手伝いできればと思っています。

我が家では、2月・3月の2か月間お雛様を飾って皆様にご覧いただいています。今年もこの間、友人をお招きしました。友人達には「手ぶらで来てね。その代わりに「藤の園」の募金箱にコインでもいいから、お気持ちを入れていただければとっても嬉しいわ」と念を押してお招きしました。何人もの方のご協力をいただけて、心から感謝いたします。

毎年、この時期になると「今年もクリスマスボール協力するわ」と言ってくれる友人もいます。先日、彼女と会うために、沢山のクリスマスボールを持って、同級生の経営するすき焼き店に行きました。一つ一つ柄が異なるので、好きな柄を選んでもらっていたら、お店の方が「私にも協力させてください」と言ってくださり、2つ選んでくださいました。とっても嬉しかったです。
友人の家のクリスマスツリーには毎年2個づつ増えていき、今年は8個のボールが飾られています。
本当に感謝です!

今日はクリスマスです。藤の園の子供たちの上に、そして世界中の子供たちの上に、神様の豊かなお恵みがありますように!!










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by mako-oma | 2015-12-25 09:47 | ボランティア | Trackback | Comments(0)  

我が家のクリスマス(4)

毎年我が家で飾るクリスマスデコレーションをご紹介します。

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これは、私の手作りの天使です。




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by mako-oma | 2015-12-24 15:47 | クリスマス | Trackback | Comments(0)  

我が家のクリスマス(3)

我が家の子供たちにとって、一番の楽しみはアドベントカレンダーでした。12月に入ると、毎日一つづつ小さなプレゼントがあります。
このアドベントカレンダーは、私が作ったものです。

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ポケットに数字を書いた紙を入れ、その番号のプレゼントを大きな白い袋の中から取り出します。プレゼントを24個用意するのは大変です。今は、隣に住む孫娘が毎日やってきます。12月になるのを心待ちにしていました。今年は封筒と便箋のお手紙セットが多かったです。というのは、2月末、娘たちファミリーは長野県に移住してしまうからです。孫娘からのお手紙を期待して用意したものです。果たしてちゃんと使ってくれますことやら…

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by mako-oma | 2015-12-23 17:16 | クリスマス | Trackback | Comments(0)  

我が家のクリスマス(2)

我が家のクリスマスデコレーションは、ほとんどは亡くなった母が作ったものです。母は、多くのお弟子さんに手芸を教えていました。
教会のバザーでは中心になって手作り商品を製作していました。

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毎年この時期になると、母のことを思いだします。


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by mako-oma | 2015-12-23 17:12 | クリスマス | Trackback | Comments(0)  

我が家のクリスマス(1)

明日はクリスマスイヴです。我が家では11月に入るとクリスマスを迎える準備が始まります。やはり、6年間住んでいたドイツでのクリスマスが忘れられません。2m40cmのクリスマスツリーを飾りつけ、家中、クリスマスのデコレーションでいっぱいになります。

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玄関の扉にはクリスマスリースを飾ります。

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玄関にはアドベントクランツが置いてあります。
アドベント(Advent)とはドイツ語で、到来を意味するラテン語の Adventus に由来します。
キリストの降誕を待ち望むクリスマスの準備期間という意味で、クリスマス前の4週間のことを言います。日本語では「待降節」とよびます。

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アドベントクランツには4本のロウソクが立っています。
クリスマス前の4回の主日(日曜日)に、1本づつロウソクに火を灯していきます。第一の主日には1本、第二の主日には2本、第三の主日には3本、そして第四の主日には4本のロウソクすべてに火が灯ります。
それぞれに意味があり、1本目は希望、2本目は平和、3本目は喜び、4本目は愛を意味します。





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by mako-oma | 2015-12-23 17:04 | クリスマス | Trackback | Comments(0)  

台湾旅行(5) 台湾総督府②

新国立競技場の新しい二つのデザイン案が今日公表されました。台湾総督府の建築に関しても同じようなことがありました。

日本統治時代の最高統治機関である台湾総督府(現総統府)に関しては、台湾交流協会のホームページを見ると、とても興味深いことが書かれています。その中から一部ご紹介したいと思います。

東洋随一とうたわれた西洋建築である旧台湾総督府。赤煉瓦と花崗岩の白石を混用して造られ、とても重厚感があります。現在、この建物は中華民国総統府として使用されています。この建物の建築に際してはいろいろと秘話があるようです。

これはわが国における最初のコンペといわれています。そのデザインについては公募という形でプランを募りました。これは時の民政長官・後藤新平自身の発案によるものという説が存在するそうです。1906年(明治39年)に総督府の名で実施され、評審委員には辰野金吾をはじめとする建築界の重鎮が名を連ねていました。審査は二段階となっており、甲賞、乙賞、丙賞を各一名選出することとなりました。第一回目の審査では、外観などの基本デザイン、そして第二回目で細部にわたる部分についての審査が実施されたそうです。一次審査で入選した7名には更に修正案を出させ、約1年後に二次審査が行なわれました。

審査の結果、辰野金吾の愛弟子である長野宇平治の案が一等となりましたが、最優秀案である甲賞は該当なしとされ、長野の作品は乙賞に留まりました。長野は時の台湾総督・佐久間左馬太に異議を申し立てましたが、受け入れられませんでした。彼は銀行建築を数多く手がけ、また日本建築士会(日本建築家協会)の初代会長もめ、明治期における西洋古典様式の若き旗手でした。

台湾総督府の側からは統治機関としての威厳をより強調することが要求され、これを受け、同じく辰野の弟子である森山松之助によって長野案に修正が加えられました。森山松之助は当初は、地上6階建て程度だった中央塔を9階(最頂部分は11 階に相当)にまで引きあげました。これにより中央塔は高さ60 メートルとなりました。そして、現在のデザインが確定しました。

長野はこの前後、わずかな間、台湾総督府の嘱託技師となっていますが、その後は台湾に関わることはありませんでした。一方、森山は総督府庁舎の設計を機に、台湾建築界の重鎮となっていきます。彼が設計した台北、台中、台南の三棟の州庁舎は、いずれも歴史建築として保存対象となっています。

起工式は1912(明治45)年6月1日。敷地面積は2165 坪。当時、台湾で最も大きな建物でした。造営は台湾総督府営繕課が担い、作業員はすべて日本から呼び寄せられました。当初予算は150 万円でしたが、これでは全く足りないということで、後に200 万円に増額され、さらに第一次世界大戦に伴うインフレを受け、最終的には約280 万円という額になりました。

いつの時代も大幅な予算超過となるようですね。

当初からこの建物は永遠に使用されることが前提となっていました。台湾は日本と同様、地震国です。測量は一年近くにも及び、基礎部分を仕上げるのにも、さらに約一年歳月を費やしました。地震対策については、驚くほどの徹底ぶりでした。
用材については、木材は阿里山産のヒノキ材をはじめ、新竹州産のケヤキが多く用いられたということです。また、鉄骨部分に鉄道用のレールを用いたとも言われています。

建物が完成したのは着工から7年後の1919(大正8)年3月でした。
この時の台湾総督は明石元二郎でした。1918(大正7)年6月6日、明石は第7代台湾総督に任命されますが、総督府竣工後、わずか半年あまりでインフルエンザで亡くなりました。明石の遺体は生前に残した遺言に従い、台北市三板橋の日本人墓地に葬られました。日本統治時代の半世紀、19 名の総督がいましたが、明石は唯一、台湾の地に永眠した人物でした。





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by mako-oma | 2015-12-14 17:10 | 旅行 | Trackback | Comments(0)