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台湾旅行(1)ー鉄道ホテルー

これまでに世界23か国を訪れましたが、まだアジアの国には一度も行ったことがありませんでした。今回初アジアで台湾に行って来ました。3泊4日の短い日程でしたが、とても充実した思い出に残る旅となりました。今回は主人の学生時代からの友人達と一緒の団体旅行でした。このグループが結成されて来年で50年になるということで企画されました。メンバーの一人のお嬢さんが宮崎で地鶏のお店をやっていらして、その支店を台北に出されたということで、6組の夫妻+1の総勢13名という大所帯での旅行となりました。

私の中で台湾はアジアの中で一番行ってみたい国でした。というのは父方の祖父が1917年から1922年までの5年間、台湾総督府で仕事をしていました。祖父が台湾を離れるときに台湾の女学校の方からいただいたと思われる贈り物が、以前からとても気になっていました。桐の箱には漢字がずらっと並んでいて、読めませんがなんとなくわかる部分もあります。祖父と女学校の関係を解き明かしたいという思いがありました。父は1941年(昭和16年)2月に台湾を訪れ、台湾旅行記を書いています。戦争の始まる10か月前です。これは、父から祖父に宛てた手紙の形式をとっています。今回自由行動の時間が十分にあったので、私達夫婦は父が訪れたところを回ってみました。今回は台北だけでしたが、父が訪れたところはほぼ制覇できました。

父は戦前の台湾で一番といわれた鉄道ホテルに宿泊していました。この場所にはなんと現在新光三越のビルが建っていました。私達の泊まったホテルのすぐ近くにも新光三越がありましたが、私にとって意味のあるのは台北駅前の新光三越なのです。
25年ほど前、新光三越のオープンに関係した仕事をしていた夫は、何度も出張で台湾を訪れていました。その第一号店が今立っているところが、昔、鉄道ホテルがあったその場所なのです。

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初日、松山空港でガイドさん付きのバスが待っていてくれました。
私達はそれに乗って、忠烈祠→龍山寺→総統府→中正記念堂→と台北市内をめぐりました。総統府はバスの中から見ただけでしたが、その時ガイドさんが交差点を挟んではす向かいにある女学校のことを何か話してくれました。一瞬のことだったので、何を話されたのかは記憶していませんが、とにかくそこに女学校があることがわかりました。私は祖父と関係のあった女学校はここだと確信しました。  つづく




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by mako-oma | 2015-10-30 15:15 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

サロンコンサート つづき

サロンコンサートの会場となった喫茶店は、我が家から歩いて5~6分のところにあります。マスターがサイフォンで美味しいコーヒーを入れてくださいます。実はこのお店のマスターと私は遠い親戚になるということがわかって驚きました。

このお店がオープンしたころ,従妹が遊びに来て、彼女のご主人の従妹が私の家の近くにお店を開いた、というので聞いてみたら、このお店だったのです。
つまり従妹夫婦の妻の従妹が私、夫の従妹がマスターの奥様ということです。しかも我が家と名字が同じというので、またビックリしました。

私も気になるお店だったので、既に行ったことがありました。その後、ソプラノ独唱をされたご近所のTさんからピアノコンサートのお誘いを受けたりして、何度かお邪魔しています。このTさんのご主人と、デュッセルドルフの"Music Freunde am Rhein"の友人Aさんが、なんと大学時代オーケストラで一緒だったのです。お二人とも私の先輩です。私は高校までで、大学のオーケストラには入りませんでしたが、そのまま大学でも続けた友人に、「デュッセルドルフでAさんのお隣で弾いていた」と話したところ、「そんな、恐れ多い」と言われてしまいました。とても私のようなレベルの者がお隣には座れないようです。帰国されて入られたアマチュアオーケストラでもコンサートマスターをされていました。

今回の演奏会は、Aさんからも、Tさんからもご案内をいただきました。ついでに、最近まで知らなかったのですが、このお店の息子さんと、Tさんのご長男、そして我が家の長女は帰国して6年生で入った公立小学校の同級生でした。卒業式の時、娘は転校生だったので、クラスの一番最後に呼ばれ、隣のクラスの一番最初に呼ばれたマスターの息子さんと、同じ名字が続けて呼ばれたそうです。
さらにTさんのご次男と我が家の次女は同級生で、今、彼らの子供達は同じ保育園に通っています。
また素敵なソプラノを聴かせてくださったTさんは、私の幼馴染みと大学時代同じコーラス部ということもわかりました。
更には父の遺品を整理していて、大学時代のオーケストラ部の名簿にAさんのお父様の名前を見つけました。同時期一緒に演奏していたんですね。

つくづく「人と人との繋がりってすごいなぁ」と感じています。

我が家は父はバイオリン、母はピアノ、と二人とも音楽が大好きでした。私はバイオリン、妹はピアノを習っていましたが、二人とも音楽の才能はなかったようです。まだ幼い頃、父に連れられ「朝日ジュニアオーケストラ」に通ったことが、懐かしく思い出されます。


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by mako-oma | 2015-10-15 22:03 | 音楽 | Trackback | Comments(0)  

バイオリン

サロンコンサートのご案内をくださった懐かしい友人夫妻のことについてお話ししたいと思います。
もうかれこれ30年も前、私たちはドイツ・デュッセルドルフで”Music Freunde am Rhein”というアンサンブルのグループで一緒に音楽を楽しんでいました。メンバーは、日本人学校の先生、駐在員の方、そして私のような主婦等いろいろで、場所は日本人学校の一室を借りて練習していました。

私は友人から「一緒にアンサンブルやらない?」とお誘いを受けました。彼女はバイオリンを、そしてご主人は日本人学校の先生でフルートをされていました。私は、とにかくバイオリンが大嫌いだったので、もうニ度と弾くことはないと思っていました。小さい頃からやっていたので、やめるにやめられずに器楽部やオーケストラで細々と続けていましたが、高校3年の定期演奏会でアンコールに南太平洋を演奏して、これが最高でした。「もうこれで思い残すことはない」と思い、バイオリンは実家の物置に放り込んだきりになっていました。

とにかく大嫌いだったので、家では全く練習しませんでした。ですから上手くなるはずもありません。子供達にもバイオリンだけはやらせたくないと思い、長女はピアノを、次女はリコーダー(後にフルート)を習わせました。バイオリンのことなんてすっかり忘れていました。既に15年以上も経っていて、おそらくもう楽譜も読めないと思っていました。私は彼女の再三のお誘いを断り続けていましたが、ある時「バイオリン貸してあげるから弾いてみたら?」と言われ、2台持っていたうちの1台を貸してくださいました。私が昔弾いていたのとは全く違う良いバイオリンです。

久しぶりにバイオリンを手にし、弾いてみたら、やはり小さい頃からやっているということは、体が覚えているんですね。「やってみようかなぁ」という気持になり、彼女に付き合ってもらって、デュッセルドルフとケルンの楽器屋さんをくまなく回って、気に入ったバイオリンを手に入れました。それからは、”Music Freunde am Rhein"のメンバーとして、生まれて初めてバイオリンを楽しむことが出来ました。それは、私のデュッセルドルフでの生活を豊かにしてくれました。

帰国し、何十年ぶりかでプライベートレッスンの先生につきました。でもその後、母の介護やなにやらと忙しくなり、しばらくは私の宝物のバイオリンは押入れに眠ったままでした。思いだしたように取り出してみては、異常がないかをチェックするだけでした。

でも今私は、時間があればバイオリンの練習をしたい、と思うくらいに、バイオリンが大好きになりました。
今年になって突然知り合った遠縁のR子先生のお陰です。ひと月に一度我が家に来て教えてくださいます。私は、コンサートに行くと必ず演奏者の右手に目が行くのです。弓を持っている手の、何と柔らかく美しいこと!私はそれが出来ないのです。でも先生のご指導のお陰で何かつかめたような気がします。

練習すれば練習するほど上手くなる、という当たり前のことが、やっと最近わかってきました。主人は結婚以来私がバイオリンを弾いているところを見たことがないので、本当に弾けるのかどうか疑っていましたが、今は私の雑音にも耐えてくれているようです。

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by mako-oma | 2015-10-05 17:09 | 音楽 | Trackback | Comments(0)