<   2015年 03月 ( 12 )   > この月の画像一覧

 

⑥昭和の大蔵大臣 (265)

明晰、鮮明な思想、アナグロ型思考の人 齋藤隆夫
                      
昭和59年10月26日
〈三つの特徴〉
齋藤隆夫代議士の、歴史に残る「粛軍演説」とは、前回までに紹介したような内容で、1時間25分を要した熱弁だったという。引用にしては長すぎる、とおもわれたかもしれないが、ただ要旨だけを紹介したのでは、大事な意味、いのちが失われるとおもって、ギリギリに削ったものだったのである。それでは、大事な意味、いのちとは何をいうのか。そのことをもっとも明快に指摘するのが草柳大蔵著『斎藤隆夫かく戦えり』の「いま、なぜ、斎藤隆夫=はしがきにかえて=」である。草柳が斎藤隆夫に取り組んだのは、「《言うべきことを言う》論者の実像をもとめたから」だという。その成果は雑誌『文藝春秋』に半年間連載された。すると、左右両翼から手紙が殺到した。右翼からは、「国民の間にようやくまっとうな防衛論議が起こりつつあるのに、なぜ、反軍思想を紹介するのか」と、頭ごなしに叱責された。左翼からは、「右傾化のいま、よくぞ反戦の政治家を取り上げてくれた」と、手放しの謝辞をうけた。草柳は、両方の手紙を読みながら、「歳月は、かくも実像を変えてしまうものか」という感慨を深めたという。そして書いている。「斎藤隆夫氏は反軍思想家でもなければ反戦政治家でもない。いわば、戦前の”平均的日本人”である。天皇を敬愛し、家族の健康をねがい、いつまでも郷里の但馬を懐かしみ、適当に教育パパで、娘の婚期がおくれるのを心配し、宴会用の歌曲を習い(これは大失敗だったが)、息子たちの学徒出陣の際には《お国の為になるんだぞ》と日の丸の旗を肩にかけてやっているのである」彼の「演説」は、彼の人間的特徴を物語っている。あるいは実証している。(それを見てもらうためにも、ギリギリいっぱいの引用を必要だと筆者はおもったのだ)草柳は、それを三点に要約する。第一は、《明晰さ》への求心力である。「この精神的傾向は、ひとつには同郷の先輩である加藤弘之博士(初代東大総長)の影響によるものと思われるが、そのほかにも若くしてエール大学に法律学を学び論理的訓練を身につけていること、地主的政党であった政友会が圧倒的に強かった選挙区から普通選挙の実現を目指して成長してきたこと等々、様々な要素の結晶と思われる。しかし、問題は斎藤氏の人間形成にあるのではなく、同氏の演説が権力の行使に《明晰さ》を追求し続けることによって、あたかもスタンダールが作品の中に試みた《鏡をおく》作業をもたらしていることである」第二は、思想の設計図が鮮明に読みとれること。つまり、聴く人に政治を進行形のまま理解させることができたことだ。第三は、アナログ型思考の人であったこと。事象を持続の相においてとらえつづけ、考えつづけるタイプである。問題を瞬間的にとらえて批評するデジタル型ではなく、時間軸の上を誘導しながら、その変化と発展の意味をとらえているのである。 (つづく) 

[PR]

by mako-oma | 2015-03-30 15:53 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

⑤昭和の大蔵大臣 (264)

齋藤隆夫代議士”2.26”で右翼化を糾弾
                    昭和59年10月27日
〈忍耐には限度がある〉
齋藤隆夫代議士は、日本人の中に外国思想の影響をうけやすい分子があることを指摘した。デモクラシーの思想がさかんになると、われもわれもとデモクラシー。ナチス、ファッショがおきると、これに走る。「思想上において国民的自主独立の見識のないことはお互いに戒めねばならぬことであります(拍手)」左傾といい、右傾という。進みいく道はちがうが、きするところは今日の国家組織、政治組織を破壊しようとするもの。ただ一つは「愛国」の名によって行い、他の一つは「無産大衆」の名によって行わんとしている。危険なことはおなじなのだ。斎藤は、軍部と結びつく政治家をもたたいた。「いやしくも立憲政治家たるものは、国民を背景として、正々堂々と民衆の前に立って、国家のために公明正大なるところの政治上の争いをなすべきである。裏面に策動して不穏の陰謀を企てるごときは、立憲政治家として許すべからずことである。いわんや政治圏外にあるとことろの軍部の一角と通謀して自己の野心をとげんとするにいたっては、これは政治家の恥辱であり、堕落であり(拍手)またじつに卑怯千万のふるまいであるのである。」中国の兵法の六韜(りくとう)三略(さんりゃく)の中に、「怒るべきして怒らざれば奸臣起こる。倒すべくして倒さざれば大賊現る」とある。「私は全国民に代わって軍部当局者の一大英断を希望する者であります(拍手)」斎藤は最後に、この事件に対する「国民的感情」についてのべた。「今回の事件(注、2.26事件)に対しては、中央といわず、地方といわず、上下あらゆる階級を通じて衷心(ちゅうしん)非常に憤慨しております(拍手)」国民的尊敬の的であった高橋大蔵大臣、斎藤内府(内大臣)、渡辺(教育)総監のごとき、温厚篤実、身をもって国に許すところの陛下の重臣が、国を護るべき統帥権のもとにある軍人の銃剣によって虐殺せられるいたっては、軍を信頼する国民にとってはじつに苦痛なのである。「それにもかかわらず、彼等は今日の時勢、言論の自由が拘束(こうそく)せられておりますところの今日の時代において、公然これを口にすることはできない。わずかに私語の間にこれをもらし、あるいは目をもって告ぐるなど、専制武断の封建時代と何の変わるところがあるか(拍手)」「粛正選挙によって国民の総意は明らかに表白せられ(拍手)、これを基礎として政治を行うのが明治大帝の降(くだ)し賜いし立憲政治の大精神であるにもかかわらず(拍手)、一部の単独意思によって国民の総意が蹂躙(じゅうりん)せらるるがごとき形勢が見ゆるのは、はなはだ遺憾千万の至りにたえない(拍手)」それでも国民は沈黙し、政党も沈黙している。しかし人間は感情的動物。「国民の忍耐力には限りがあります。私は異日国民の忍耐力の尽きはつる時の来らないことを衷心希望するのであります(拍手)」   (つづく)



[PR]

by mako-oma | 2015-03-28 14:33 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

④昭和の大蔵大臣 (263)

死刑求刑の軍部側被告は最高禁固15年
                     
昭和59年10月24日
〈民間側被告に極刑〉
斎藤隆夫代議士は、5.15事件の量刑を問題とした。海軍刑法によると、叛乱罪の首魁(しゅかい)は死刑に処す、死刑一点張りであって、選択刑は許されていない。ところが、首魁と見られる三名に対して死刑の要求をした山本検察官に対して、猛烈な反対運動が起きた。監督の上司はこれを抑制する力がない。山本検察官の身に危険が迫って、多数の憲兵がその住宅を取り巻いて保護する。家族は遠方に避難する。「こういう事態のもとにおいて、裁判の独立、裁判の神聖がどうして維持することが出来るか(拍手)」裁判の結果、死刑の要求は13年と15年の禁固となった。軽いのは1年、2年、しかも執行猶予つきである。ところが、おなじ事件に関係した民間側被告は、首魁は無期懲役。もとより犬養総理大臣の殺害に手をくだしたものではない。発電所に爆弾を投じたが、未発におわって何等被害は出ていない。それでこの極刑なのだ。「天皇の御名によって行わるる裁判は徹頭徹尾独立であり、神聖であり、至公至平でなければならないのであります。しかるに人と場所によって裁判宣告にかくのごとき差等を生ずる。これで国家の裁判権が遺憾なく発揮せられたりということができるか、これで刑罰の目的でありますところの、犯罪予防の効果を完全におさめることができるか、軍務当局者は真剣に考えなければならぬところの重大問題であるのであります。(拍手)」斎藤はさらに、本事件関係の青年将校20名のほかに、「これ以外により以上の軍部首脳者にしてこの事件に関係している者は一人もいないであろうか(拍手)」と追及した。山本検察官が法廷で明言したことの中に、この疑問の可能性を示すものがある。「古賀(被告)は某事件に参加したる経験によりまして、今回被告人等の企画しましたる、戒厳にして宣告せらるるの情況に立ちいたれるときは、当然これを収拾してくれる相当の大勢力の存するものであることを知り…」「上司中往々彼等の所見に対し、きわめて曖昧模糊(あいまいもこ)たる態度をとり、彼等をして上司はその行動を認容しおりたるもののごとく誤信せしめたるやの形跡なきにあらず」「上司たる者、下級者を支配するに際し、明かに是は是とし、非はこれを非として、その方向を誤らざらしむるごとく努ることがきわめて必要である」検察官のこういう言葉を列挙したのち、斎藤代議士はいったのだ。「故にかくのごとき疑いをおこすという者は、ただ非国民であるとか、あるいは軍民離間を策する者であるとかいうて一蹴しただけでは国民の疑いははれるものではない(拍手)。もしそういうことがあったならば、これはきわめて重大事件であります。故に事件の跡始末をするについては、まずもってこの方面からして洗い去るにあらざれば、事件の根本的清掃というものは断じてできるものではないとおもうのであります(拍手)」以上を要約すれば、5.15事件の原因は二つということになる。一つは青年軍人の思想問題、もう一つは事前監督および事後に対する軍部当局の態度である。   (つづく)


[PR]

by mako-oma | 2015-03-26 20:34 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

③昭和の大蔵大臣 (262)

青年軍人の行動を闇から闇に葬るな 齋藤隆夫
                    
昭和59年10月23日
〈純真、しかし単純〉
『「軍人勅諭」も「憲法義解」にも、「陸軍刑法」「海軍刑法」も、現役軍人に対しては、選挙権も被選挙権も認めていない。「これはなぜであるか」と斎藤隆夫は言った。それは、陸海軍が国防のために設けられたものであるからだ。軍人はつねに天皇の統帥権に服従し、国家に事あるとき、身命を賭して戦争に従わねばならない。その故に、軍人の教育課程はもっぱらこの方向に集中される。政治、外交、税制、経済などは、軍人の知識経験の外にあるのである。その上、もし軍人に政治運動を許すと、政争の結果、武力にうったえて自己の主張を貫徹するに至るのは自然の勢い。ことここにいたれば、立憲政治は破壊し、国家動乱、武人先制の端を開くものであるから、「軍人の政治運動は断じて厳禁せねばならぬのであります。(拍手)ことに、青年軍人の思想は、純真ではあるが、また単純である。その故に彼等が政治に干渉するということは、きわめて危険性をもっている。「私は前年かの5.15事件の公判筆記を読み、また自ら公判を傍聴いたしまして、痛切にその感を深くした者であるのであります」 しかるに彼等が無責任にして誇張的な言論機関の記事論説を読み、怪文書を手にする。一部の不平家、一部の陰謀家の言論に耳をかたむけ、処士横議(しょしおうぎ)の士と交わり、世の流言飛語(りゅうげんひご)を信じて、どういう考えをおこすかというと、「今日の政党、支配階級はことごとく腐敗堕落している。これをこのままに放任しておいたならば国家は滅亡してしまう。これを救うにはかの大化の改新になろうて、日本国家の大改造をやるよりほかに途(みち)はない。従来の外交は軟弱である。ロンドン条約は屈辱で或る。天皇親政、皇室中心の政治を行わねばならぬ。これがためには軍人内閣をこしらえねばならぬ。直接行動にうったえねばならぬ。犯罪の動機は何であるかと問われると、権藤某(注、成卿)の自治典範を読んで感動した。朝日某(注、平吾。安田善次郎を刺殺)の斬奸状を読んで刺激された。その思想の単純であることは思い知らるるのであります」「かくの如くして、軍人教育を受けて忠君愛国の念にこり固まっておりまするところの直情径行の青年が、一部の不平家、一部の陰謀家等の言論をそのまま鵜(う)のみにして、複雑せる国家社会に対する認識を誤りたることが、この事件を惹起(じゃっき)するにいたりたるところの大原因であったのであります。(拍手)」さらに斎藤は、こういう青年軍人の思想が、陰謀となり、直接行動となって現れたことに対する軍部当局の態度を問題として、「これを闇から闇に葬ってしまって、少しでも徹底した処置をとっておられないのであります(拍手)」とたたいた。およそ禍(わざわい)は初めに断ち切ることは容易であり、将来の禍を防ぐ唯一のみちである。それなのに、これを曖昧(あいまい)のうちに葬って、将来の禍根を一掃出来るを思う者があれば、それは非常なあやまりだ。  (つづく)

[PR]

by mako-oma | 2015-03-23 14:27 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

②昭和の大蔵大臣 (261) 

厳しく律していながらも〝越権〟して…
                     昭和59年10月2日
(軍人の政治干渉〉

『斎藤隆夫代議士は、「国家改造」を唱える声がやかましい情勢をふまえて広田首相にたずねるのだ。「国家改造を唱えるが、いかに国家を改造せんとするのであるか。昭和維新などということを唱えるが、いかにして維新の大業を果たさんとするのであるか。国家改造を唱えて国家改造の何たるかを知らない。昭和維新を唱えて昭和維新の何たるかを解しない。ひっきょうするに生存競争の落伍者、政界の失業者ないし一知半解の学者らの唱えるところの改造論に耳を傾ける何ものもないのであります(拍手)」「私の目ざすところは広田首相が抱懐せられているところの革新政治、その内容をきかんとする者であります。便宜のために政治革新の方法を二つの方面よりおうかがいいたします。第一は政治機関の改革である。すなわち立法、行政、司法この三機関の構成に関するところの改革であります。第二はこれらの機関によって運用せらるるところの実際政治に対するところの改革であります。」斎藤がついたのは、行政改革ということは永い間かされてきたが、「今日までそれが実行せられた例はないのであります」という点だ。これは今日において特に注目すべきことで、要するに日本では、戦前も戦後も、行革の実現など内閣の宣伝だけだ、ということになるかもしれない。斎藤は、この実行遅延のことから、さらに深くえぐった。「問題は制度の改革というよりか、むしろこの制度を運用する人である(拍手)。人が役にたたねばいかに制度の改革をしたところが、決してその実績は上がるものではないのであります(拍手)」斎藤の演説は、学制改革、裁判権の運用など、「実際政治の改革に関すること」を追求していくが、226事件に触れ、軍人の政治関与を論ずる段にいたって俄然生彩を加えるのだ。彼は行った。明治1514日、明治天皇が軍人に賜った「軍人勅論」の中には、「軍人たる者は、世論に惑わず、政治に拘わらず只々一途に己が本分(ほんぶん、その人の守るべき本来の分限、義務)たる忠節を守れと仰出(おおしい)だされている」 また帝国憲法の起草者伊藤博文の「憲法義解」では、「軍人は軍旗の下にありて軍法軍令を恪守(かくしゅ)し専ら服従を持って第一義務とす。故に本章に掲ぐる権利の条規にして軍法軍令と相抵触(あいていしょく)する者は軍人に通行せず。すなわち現役軍人は集会結社して軍制又は政事を論ずることを得ず。政事上の言論著述印行および請願の自由を有せざるの類これなり」とのべている。また「陸軍刑法」「海軍刑法」は、軍人の政治運動を禁じ、犯した者には禁固三年以下の刑を想定している。さらに、「衆議院議員選挙法」「貴族院多額納税議員互選規則」は、現役軍人に対して、選挙権も、被選挙権もあたえていないのである。これは一体、どういう理由によるものか。』    (つづく)


[PR]

by mako-oma | 2015-03-22 08:26 | 斎藤隆夫  

①昭和の大蔵大臣(260) 

今日からしばらく、昭和59年夕刊フジに連載された、小島直記さんの書かれた「昭和の大蔵大臣」から抜粋して、斎藤隆夫に関連する記事をご紹介したいと思います。

「政治は宣言ではなくして事実である」 民政党・斎藤隆夫粛軍演説
                           
 昭和59年10月19日
〈斎藤隆夫〉

『前略…陸軍の政治干渉はいよいよはげしくなっていく。組閣に文句をつけ、吉田茂など五人の入閣あるいは重要ポスト就任に反対した。結局、官僚を中心に、政友、民政両党代表二名が入閣して挙国一致内閣の形で成立したが、これで満足して矛(ほこ)を収める陸軍ではなかった。これに対して、広田は無抵抗、馬場は積極的協力という基本的姿勢である以上、内閣のロボット化は必然的である。これに対して、毅然と立ち向かう政治家が皆無だったわけではない。昭和11年5月1日、2・26事件による戒厳令下の緊張のもとで招集された第69特別議会で、民政党斎藤隆夫代議士が5月8日に行った「粛軍演説」がそれである。斎藤は兵庫県出身。東京専門学校(のちの早大)を出てアメリカのエール大学に留学し、帰国後弁護士となった。大正元年42歳で衆議院議員に当選してから、ひきつづき議席にあり、このとき66歳。すでに浜口内閣や斎藤内閣で内務政務次官や法制局長官を歴任している。斎藤演説の前日、5月7日には政友会の浜田国松も演説している。彼が「腹切り問答」で注目をあびるのは翌12年1月21日のことで、このときは斎藤の方がフットライトをあびたのである。彼は、国政の改革、画策の樹立、これを唱(とな)えることはきわめてやさしいが、「政治は宣言ではなくして事実である。百の宣言ありといえども、一の実行なき所において政治の存在を認めることはできない」といって拍手を浴びた。』    (つづく)


[PR]

by mako-oma | 2015-03-20 08:59 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

お雛様

我が家では毎年2月・3月の2か月間お雛様を飾り、皆様にご覧いただいています。今年も1年ぶりの再会をした友人が何人かいます。我が家のお雛様は、義母の手作りの親王飾りセットが3組、その他にも木目込みのお雛様や衣裳人形、そして骨董屋さんで手に入れたお道具類など、とにかく沢山あるので、出すのは大変, しまうのはもっと大変なので2か月間飾っているのです。義母のお雛様は古代布を使って、一針一針縫った着物を着せます。私の親王飾りの下には骨董店で買い求めた三人官女、五人囃子、右大臣左大臣もいます。飾り段は主人の手作りです。お道具は私が集めたアンティークです。長女の親王飾りと次女の親王飾りは京都の人形師のお頭でとてもふくよかな良いお顔をしています。今年から更にとても存在感のあるお道具が増えました。
先日はドイツ人の方が二人来てくださいました。一人は来日間もない方で、もう一人は6週間日本に滞在中の方でした。一昨日はダブルさちこちゃんとダブルまさこちゃんが来てくださいました。4人は60年以上も前同じ幼稚園に通っていた幼馴染みです。一部の方には私が東日本大震災以来サポートしている岩手の児童養護施設「藤の園」への寄付をお願いしました。ちょうど岩手からドイツ人の園長先生が東京に出て来られたので、我が家のお雛様もご覧いただけました。皆様に心から感謝いたします。ありがとうございました!
「藤の園」については、また改めて書きたいと思います。
義母は5人姉妹だったので、お雛様を盛大にお祝いしたようですが、
最近ではお雛様のお祝いをすることも少なくなったのではないでしょうか。こうして一年に一回お雛様を出してあげ、皆様に見ていただいて、きっと義母も喜んでいると思います。



[PR]

by mako-oma | 2015-03-17 12:34 | その他 | Trackback | Comments(0)  

奇弁

                         昭和58年 朝日新聞 夕刊

26日に開かれる自民党大会で採択される予定の「昭和59年運動方針」に、次のようなくだりがある。己が反省し、自粛する、これが倫理である。…格好の例は戦前の斎藤隆夫議員の除名問題である。粛軍演説をした同議員を、帝国議会は新聞や世論、軍部に迎合して除名し、戦争への道を開いた事実を忘れてはならない。つまり、田中元首相への辞職勧告決議案は数による圧迫であり、繰り返してはならない過ちだというのである。これは、解散前、中曽根首相がしきりに強調していた理屈でもある。除名問題のあらすじはこうだ。民政党の長老、斎藤隆夫は昭和15年2月2日、代表質問の中で「聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、国家百年の大計を誤るようなことがあれば、政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできない」などと、政府・軍部を批判した。当時、日中戦争は泥沼化し、政治は軍部が支配していた。斎藤の演説に驚いた小山松寿衆議院議長は、職権で演説の後半部分をすっぱり削除してしまう。さらに民政党は斎藤を離党させるが、政府と軍部の怒りはやまず、議長職権で懲罰委員会にかけられ、3月7日の衆議院本会議で除名が決定する。民政党はもちろん政友会(久原派)や社会大衆党にも除名反対論が根強く、分裂騒ぎも起きるが、この事件で戦前の政党政治は命脈が尽きた。たしかに、これは数で議員の身分を奪い、言論を圧迫した事件であり、ニ度とあってはならないことである。だが、よく考えてみると、この事件と田中問題を同一視することは、筋違いもはなはだしい。第一に、斎藤は反軍演説をしたのに、元首相は外国企業から賄賂(わいろ)を受け取った容疑で有罪判決をうけた刑事被告人である。第二に、斎藤は時の権力、体制に抗したのに対し、元首相は権力を利用し、多数党から保護されている。第三に、当時の一般国民は斎藤演説の内容を知ることすらできなかったが、いま、国民の眼前でロッキード裁判が続けられている。問題の形式が似ていることを利用して、中身や背景を無視するこじつけの論を、奇弁という。』


[PR]

by mako-oma | 2015-03-14 20:42 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

回顧70年

〈嫌った「カネ」「派閥」〉はいかがでしたか?
斎藤隆夫がどんな人物だったかお分かりいただけましたでしょうか。齋藤隆夫をもっと知りたいと思われた方には以下の本をおすすめ致します。

回顧70年  斎藤隆夫著  (中公文庫)
斎藤隆夫かく戦えり  草柳大蔵著 (文藝春秋)
評伝 齋藤隆夫-孤高のパトリオット 松本健一著(岩波現代文庫)
齋藤隆夫 立憲政治家の誕生と軌跡 大橋昭夫著 (明石書店)

「回顧70年」は某ゼネコンに勤めていた友人が、人事担当をしていた当時、「内定式で入社前に是非読んでおいて欲しい本として学生に薦めていた。」というのです。
「え~っ!?なんで?」と聞いたところ、これから社会人としてやっていく上で、いろいろ参考になることが書かれているそうです。
もう1度読み返してみたいと思っています。



[PR]

by mako-oma | 2015-03-11 20:42 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

嫌った「カネ」「派閥」⑤

68歳まで借家に

斎藤は地元の演説会でも聴衆に迎合せず、憲法や国際法が政治に必要なことを訴え、「僕の演説は砂をかむような話である」といって降壇した。対立陣営からは、「地元の利益にならない代議士」と攻撃されることもあったが、斎藤票は揺るがなかった。こうした斎藤像について、運動員の一人だった谷村惣一(75)はこう言う。「円山川の治水や、出石鉄道(出石町ー日高町間。戦時中の物資供出で撤去)の建設など、地元に必要な事業は黙っていてもきちんとやってもらえた。」そして、斎藤は「己の立脚地を定めずして他人の後を追って走るが如きは、独立人にあらずして一種の奴隷である」として、親分、子分が結びつく派閥を嫌った。68歳まで借家住まいを続け、自家用車や別荘は持たなかった。たばこも酒も飲まず、宴会での居眠りがただ一つの楽しみであった。

政党および代議士に対しては常に監督の責任を忘れてはならない。これが国民の政治道徳である。選挙人を裏切るよう代議士であれば、必ず落選せしめる。この考えがなくてはならん。しかるに、今日の国民がこれらの考えを有しているかどうか、これが問題である(阿部真之助との対談から)

この発言はとりわけ重みを持つ   (おわり)


[PR]

by mako-oma | 2015-03-08 15:11 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)