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⑩オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~9日目【6月19日(木)】

9日目【619日(木)】

9時頃ホテルを出発し、シベニクに向かう。シベニクは、クロアチアのアドリア海岸のほぼ真ん中に位置する歴史の古い町である。

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時頃到着し、まず世界遺産に登録されている聖ヤコブ大聖堂を訪れた。ちょうどミサが始まったところだったようで、私達はミサにあずかることができた。なんとラッキーなことだろうと思った。旅行中世界遺産の大聖堂でミサにあずかるのは二度目である。一度目はフランスのシャルトル大聖堂でのことである。10年近く前、長女の友人の結婚式がベルサイユ郊外の教会で執り行われた。その式に参列後、7人乗りのレンタカーを借りて、最初は私達夫婦と長女の3人で、途中から次女夫婦も加わって5人になり、ロワール川流域のお城めぐりをした。確かその初日にシャルトル大聖堂を訪れ、今回同様、たまたまミサにあずかることが出来た。その時、夫と娘はカフェでお茶を飲んでミサの終わるのを待っていたが、今回は夫もちゃんとミサにあずかり、良い体験だったと思う。パイプオルガンの音が教会内に響きわたり、とても荘厳なミサだった。

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シベニクのシンボルでもあるこの大聖堂は、15世紀から16世紀にわたり、建築に100年以上かかったそうだ。祭壇の奥には聖歌隊席があり、さらにその奥には洗礼室があり、祭壇までの距離とその奥の距離が同じぐらいあるのではないかと思われるほど長かった。

教会の外観で特徴的なのは、71人もの人間の頭部の彫刻で、これは建築当時の市民の有力者をモデルにしたと言われている。

また天井の装飾も素晴らしかった。

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海岸沿いにはレストランがたくさん立ち並んでいた。どこに入ろうかと迷ったが、ガイドブックに載っていた有名シェフのお店に決めた。ところが行ってみると、ここもまたお客さんが一人もいないのである。隣には、やはりガイドブックに紹介されているレストランがある。こちらは大盛況である。昨晩のこともあり、お客さんのいないレストランは避けた。昼食はどこに行っても定番メニューであるパスタ、ピザ、リゾットになってしまう。今回は魚のリゾットとグリーンパスタを注文した。

リゾットはシェルの形をした素敵なお皿に乗って出てきた。一口食べて、「美味しい!」グリーンパスタもとっても美味しかった!やはり混んでいるお店は当たりなのだ!


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午後は、シベニクから30分ほど行ったところにあるクルカ国立公園を訪れた。プリトヴィツェ湖畔国立公園と同様、カルストによって造り出された風景が広がる自然公園である。車は上に置いて、バスで下まで下っていく。とてもバス2台がすれ違うことは出来ないほどの狭い道を降りていくので、バス同士は連絡をとりあっていて、2台がすれ違うことはないのだろう、と思ったのだが違った。向こうからバスが来るではないか。信じがたい運転さばきで2台のバスはすれ違った。規模は小さいが、遊歩道を歩きながら、思いっきり自然を満喫できた。

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スプリットでの滞在もこの日が最後だ。夕食はホテル前のレストランでとった。

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前に座ったフランス人家族のテーブルには見慣れたミシュランの赤い本が置かれていた。今回はミシュランのお世話にはならずにホテルを予約したが、残すはあと一つとなった。そのあとお土産を買いに歩いたが、なかなか良いものがみつからない。クロアチア名物の一つにイチジクがあり、イチジクのクッキーもお土産として人気があるようだ。またナッツにお砂糖をまぶしたようなお菓子もわりとどこでもみかけた。やはり何と言ってもチョコレートのお菓子が多いが、夏は避けた方が良いと思った。買うなら専門店の方が美味しいだろうと思い、イチジククッキーと砂糖まぶしナッツをおしゃれなお菓子屋さんで買い求めた。とりあえず、試食してみて美味しかったら皆へのお土産として明日買うことにした。ところが、ホテルに帰り試食してみたところ、クッキーはあまり美味しくなく、ナッツは噛めないくらいに硬かった。歯が折れそうだった。そんな訳でお土産は空港で買うことにした。 (つづく)















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by mako-oma | 2015-01-31 21:06 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

⑨オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~8日目【6月18日(水)】

8日目【618日(水)】

この日は一日、スピリット市内の観光にあてた。運転手さんの休養日である。連日の運転、本当にご苦労様でした。

スプリットは,ローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿がそのまま旧市街となったという珍しい起源をもつ町だ。その特殊な成り立ちと町並みにより、世界遺産に登録されている。


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宮殿の地下には巨大な空間が広がっている。大聖堂は見ごたえのあるものだった。木製の聖歌隊席の彫刻はみごとだった。


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前庭に出ると、ちょうど運良く男性合唱のクラパ(アカペラコーラス)の演奏がはじまるところだった。素敵な歌声にうっとりしてしまった。

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昼食は再び昨夜のお店に行き、スパゲッティーミラネーゼと魚のリゾットをたのんだ。隣の席には赤ちゃん連れの若夫婦がいた。ちょうど歩き始めた頃のとっても可愛い男の子だった。どこから来たのか聞いてみたら、エストニアからだという。バルト三国の一つだが、長女が以前デンマーク在住の折、一人で出張に行ったのは確かリトアニアだったことを思いだした。

食事が終わり、夫はホテルに戻ったが、私は一人で街を散策した。スプリットの旧市街をくまなく歩いた。やはりゆっくり滞在するに値する魅力ある街だ。

ピンクの皮製の素敵なサンダルを見つけたが、買おうかどうしようか迷ったあげく、ちょっと考えることにした。一度ホテルに戻り、やはり買おうと決めて夕食の前に再び靴屋さんに行き、そのサンダルを買った。私はそれをホテルの部屋に置いて戻ってくると、広場の真ん中で夫が知らない人と話をしている。誰かしら?と思ったら、中学の同級生だという。御夫婦でツアーに参加されているとのこと。こんなにも偶然な出会いがあるなんて、世界は狭いと実感した。

夕食は「観光客のこないようなレストランに行こう」、ということになり、中心部から離れたところにあるレストランに入った。クロアチアのレストランのメニューはどこも同じで、ちょっと変わったものを食べたかった。日本食が食べたいとか、中華料理が食べたいとか言っているのではなくて、普通のバルカン料理が食べたいのに何故ないのか?“定番“と、ガイドブックに載っているメニューは一体どこに行ったら食べられるのか? そんな思いを持って1軒のレストランに入った。入口に出ているメニューを見て、もしかしたら…という期待を持っていたのだが…私達の注文はすべて却下された。メニューにはあっても、今日はないそうだ。結局のところ、このお店で食べれるのはシーフードのみ、ということだろう。仕方がないので別のお店を探すことにした。
次に入ったお店はとにかく広い。でもお客さんは誰もいない。少々不安な気持ちで入った。というのは、そのあたりにはもうレストランらしきお店は見当たらなかったからである。年配の男性が注文をとりにきたが、英語はおぼつかない感じだった。とりあえず赤と白のグラスワインをたのんだ。出てきたワインを見て驚いた。なんと両方とも氷が浮いているのである。グラーシュとミンチ料理を注文したが、やはりここでも、メニューに載っているミンチ料理はないが似ているものはある、という。こりゃお料理も期待できないとあきらめたが、グラーシュもミートボールも美味しかった。久しぶりに食感の異なるものを食べることが出来た。お腹がいっぱいになりレストランをあとにしたが、結局お客さんは誰も来なかった。もしかして、その日のお客さんは私達夫婦だけ?  (つづく)


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by mako-oma | 2015-01-30 13:47 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

⑧オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~7日目【6月17日(火)】

7日目【617日(火)】

やはりこのホテルも屋根はついているが、外のようなところでの朝食だった。この日も結構涼しかったが、これから秋冬になったらかなり寒いと思った。

この日は早く起きたので、7時半頃にはもうホテルを出て、再びプリトヴィッツェ国立公園に向かった。天気は雨。8時頃到着し、駐車場に車を入れ、雨が止むのを待ったが、雨足はどんどん強くなるばかり。とても歩ける状況ではなかったので、残念ながら上湖郡を回るのはあきらめた。すぐに車を出したら、駐車料金はとられなかった。

急遽予定を変更し、かつてダルマチア地方の中心として栄えた港湾都市、サダルに行くことにした。途中休憩をとった峠は、車のドアーを開けるのも困難なくらいの強風だった。

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一歩外に出たら、とても立っていられないくらいだ。吹き飛ばされないよう、気をつけて歩いて建物内のカフェでお茶を飲んだ。

激しい雨も内陸部を出たら、すっかり良いお天気になっていた。

サダルは思ったよりもかなり大きな町だった。町の起源は紀元前
9世紀までさかのぼり、中世にはヴェネツィア共和国と競うほどの勢力を誇っていたそうだ。観光客も大勢来ていて、車を止めるのに苦労した。立派な正門をくぐり旧市街に入った。

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聖ドナト教会、聖ストシャ大聖堂、フランシスコ会修道院など教会関連施設はクロアチア屈指の充実度を誇るそうだ。
クロアチアは隠れた巡礼地というのもうなずける。



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海岸にあるシー・オルガンは、風が吹くと地面に埋められた装置が反応してメロディーを奏でる仕組みだそうだ。

見所もたくさんあり、来て良かったと思った。


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サダルの町をあとにして、一路スプリットを目指して高速道路を走った。ちょうど高速を降りるところが車線規制で一車線になっていた。そこで事故があったようで、反対車線は遥かかなたまで渋滞の列が続いていた。こちらの車線でなくて良かった。高速を走っている車のナンバープレートを見ると、ドイツ、チェコなどEU圏が多い。皆よそ者である。それなのにかなりのスピードを出して走っている。普段あまり抜かれない夫の運転だが、どんどん追い越して行く車が多いのにはビックリした。

スプリットはアドリア海最大の港町である。町の中に車は入ることができない。港の駐車場に車を止めて、スーツケースをゴロゴロ引きずってホテルを探したがなかなか見つからなかった。ようやく見つけたホテルは、メインの広場に面した観光にはとても便利な場所にあった。
レセプションは2階で、ここもまたエレベーターなし。チェックインをするために上って行ったら、イケメン青年が割安の駐車場に案内してくれ、荷物も上げてくれた。ホテルの女主人は日本に住んでいたこともあるようだ。先ほどの青年は海洋大学に通っている息子で、将来は船乗りになりたいそうだ。彼女に美味しいお店を尋ねたら、近くのレストランを教えてくれた。その店のシェフもまた日本に行ったことがあるそうだ。 スプリットは大きい町なので、中華料理とかインド料理のお店があるのではないかと聞いてみたが、ないと言う。世界中くまなく進出していると思っていた中華料理もここにはないらしい。夕食はその店でラムステーキと子牛のコトレットを注文した。           (つづく)


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by mako-oma | 2015-01-29 09:27 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

⑦オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~6日目【6月16日(月)】

6日目【616日(月)】

ホテルの朝食は8時だった。室内でもなく室外でもないベランダのようなところが朝食をとる場所だった。冬はどうするのかと思った。

9時頃ホテルを出発、目的地であるプリトヴィッツェ湖畔国立公園に向け車を走らせた。途中山を越えると天気がガラっと変わった。確かにアドリア海に沿った地域は地中海性気候であるのに対し、内陸部は大陸性気候であるのだと実感させられた。風がとても強く、初めて車のハンドルを取られるという経験をした。もちろん運転手は夫だけなので、私は助手席で座っているだけだが、それでも怖かった。

12時半頃目的地に到着し、ハンバーガーとポテトでお腹を満たし、早速歩き始めた。プリトヴィッツェ湖畔国立公園は大小16の湖と92箇所の滝をもつ国立公園で、1979年世界遺産に登録された。エメラルドグリーンがなんともいえない美しさを放っていた。想像をはるかに超えた規模の滝には圧倒された。

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ビューポイントではたくさんの観光客がカメラのシャッターをきっていた。気温はかなり低く、みな上着やジャンパーを羽織っている。湖は透明感があり、たくさんの魚の群れが泳いでいた。やはり、ドブロブニクから遠いが、来る価値はあると思った。


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この日は下湖郡だけしか見ることが出来なかった。上湖郡は翌日にまわすことにした。出発しようと思ったとき、夫はタブレットのないのに気がついた。窓口で駐車料金の支払いをするとき、台の上に置いたのだ。急いで探しに戻ったところ、幸いにも保管してくれていた。このタブレットがなければ動きがとれないくらいに、我々にとっては何よりも大事なものを、何で忘れるか!と思った。とにかく無事に戻ってきて安心した。


この日はプリトヴィッツェから30分ほど車で走ったところにある小さな村、スルニに宿をとった。夫婦でやっているとても小さなホテルだ。ここは友人のお勧めで、町の中に川が流れていて、小さな滝もある。なんとも不思議な町だ。

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夕食は、歩いてRASTOKEにあるPETROというレストランに行った。

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席はすべて屋外である。周りを水に囲まれ、川の流れる音を聞きながら、マスのグリルと燻製をいただいた。まじめで働き者という印象の若いウェイターが、ちょっと離れたところにあるキッチンと客席との間を忙しそうに何度も何度も往復していた。何でそんなに離れているのだろうか? 雨が降ったらどうするのだろう? 何で外だけなのか? 夏は良いが、秋冬になったら寒すぎるのでは? いろいろな疑問が浮かんだが、料理はとっても美味しかった。
                        (つづく)


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by mako-oma | 2015-01-28 21:01 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

⑥オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~5日目【6月15日(日)】

5日目【615日(日)】

朝からものすごい雨。おまけに雷もひどい。この悪天候の中、9時ごろホテルを出発した。めざすは北へ300キロ近くいったところにあるトロギールという町だ。途中国境を越え、ボスニア・ヘルツェゴビナに入り、ネウムという町で休憩をとった。後から聞いた話だが、ここは物価がとても安いのだそうだ。とは言っても、現地通貨での買い物はめんどうだ。とりあえず私達は足を踏み入れ、コーヒーを飲んで、トイレを借り、ボスニア・ヘルツェゴビナをあとにした。

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時頃トロギールのホテルに到着した。建物自体はアンティークの香りのする家族経営の小さなホテルだ。エレベーターはない。女主人は3階の部屋まで軽々と荷物を運んでくれた。部屋はクラッシックな雰囲気で気に入った。トロギールは周りを城壁に囲まれた小さな島で、本土とは橋で結ばれている。町の起源はギリシャ時代にまでさかのぼる。昼食をとりがてら、街に出かけていった。

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ここの見所は何といっても世界遺産である聖ロブロ大聖堂だ。
13世紀初頭から建築が開始され、完成したのは17世紀になってのことだ。そのため、教会内にはさまざまな建築様式が組み合わされている。

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一度ホテルに戻り休憩をとった。
夜になり再び街に出て、夕食は
“Konoba”とよばれるレストランで食べることにした。ダルマチア風のシーフードレストランをコノバというらしいが、そろそろシーフード料理も飽きてきたので、シュバインシュニツェルと牛肉料理を注文した。お味は最高だった。
                     (つづく)





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by mako-oma | 2015-01-27 14:09 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

⑤オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~4日目【6月14日(土)】

4日目【614日(土)】

8時半頃ホテルを出発し、ドブロブニクの北西35kmにあるストンという小さな町に向かった。

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ここにはヨーロッパ第2位の長さを誇る長大な城壁がある。最長はイギリスのハドリアンウォールだ。そこを訪れたのはもう15年も前になるが、娘たちの記憶にも鮮明に残っているようだ。かなりインパクトが強かったようである。

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ストンの城壁は隣町のマリ・ストンまで続いている。
1416世紀にかけて作られたそうだが、城壁を上がってみて、よくぞこんなにも長い間保存状態も良く残っているものだと思った。

昼食をとるためにマリ・ストンに移動した。ここでは牡蠣の養殖が行われている。生牡蠣はちょっと遠慮したいので、サイドディッシュでカキフライを注文した。メインはやはりシーフード料理だ。それにエビの生パスタトマトソースも頼んだ。どれも美味しかった。

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ホテルに戻った後、海岸沿いに細い道を突端まで散歩した。

のんびりとした一日だった。  (つづく) 




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by mako-oma | 2015-01-26 13:42 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

④オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~3日目【6月13日(金)】

3日目【613日(金)】

時差のせいで早朝に目が覚めてしまったが、まだ起きるわけにもいかず、しばらくベッドの中で時間が経つのを待った。

7時頃朝食、9時頃ホテルを出て昨日同様旧市街に向かった。旧港からはさまざまなクルーズ船が出ていて、私達は10時発の船でロクルム島へ行くことにした。出発まで時間があったので、私は昨日から気になっていたことを確かめるべく、再度聖母被昇天大聖堂に行った。何故ここに小さき花のテレジア像があるのか、昨日見かけたシスターに聞いてみたかった。だが残念ながらシスターはおられず、そこにいた方に聞いてみたが、ここでは花の祭があるということ以外はわからなかった。”小さき花のテレジア”と”花の祭”、何か関連があるのかもしれない。そのあと、昨日訪れることが出来なかった聖イグナチオ教会に行った。石造りの祭壇が見事だった。

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10時になり、船はゆっくりと動き始めた。約1時間でロクルム島に到着した。船を降り、私達は皆が行く方向とは異なる方向へ足を進めた。手に持ったタブレットがこれ以降大活躍するのである。地図のアプリだけを頼りにこの島を1周した。


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ベネディクト会修道院跡には孔雀のファミリーが住んでいた。

植物園の中にあるレストランでランチをすることにした。ミックスピザにホットサンドウィッチ、野菜のグリルも美味しかった。ここの孔雀達は近寄ってきて、観光客から食べ物をねだるのだ。始めはあげてよいものやら・・・と躊躇したのだが、他のテーブルでも皆あげているのを見て、ピザの端っこをあげたら喜んで食べた。彼らの世界も生存競争が激しいようで、メスのある1羽にあげたら横から来たのに持っていかれてしまった。かわいそうなのでまたあげたら、また持っていかれた。やっとのことで、口にすることができたときはホッとした。緑に囲まれ、とても静かでのんびりとしたひと時だった。

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帰りの船の出発までまだ時間があったので、お茶を飲んで一休みした。

それにしてもタブレットの地図はすぐれものである。現在地を赤い矢印で教えてくれるので、それを頼りに無事にロクルム島を一周することが出来た。

夕食は、朝の散歩で見つけた海沿いの素敵なお店に行った。リブステーキに子牛のエスカロペを注文し、この地域のダルマチアワインを1本たのんだ。海を眺めながらのお食事は最高だった。(つづく)


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by mako-oma | 2015-01-25 17:34 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

③オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~2日目【6月12日(木)】

2日目【612日(木)】

朝5時に目が覚めてしまったので、散歩することにした。ホテルのまわりには子供向けの公園があり、その奥にはプライベートビーチがあった。このあたりはラパドとよばれる地域で、昔ここにはルネッサンス様式の夏の別邸がたくさんあったそうだ。海沿いの細い道はどこまでも続いているようだった。

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先へ先へと歩いていくと、突然、素敵なレストランが現れた。こんなところに?と思ったがおそらく正門は上の方にあるのだろう。ホテルにもなっているので、ここの入口は、海水浴客のためのビーチへの降り口のようだ。

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ホテルに帰りそろそろ朝食の時間だと思い、行ってみたのだが、あとまだ1時間あるというのである。私の時計は確かに7時なのだが、まだ6時だという。一体どういうことなのか? 部屋に戻り、テレビをつけてみたが、どうやらまだ6時らしい。ということは、ヘルシンキ時間とクロアチア時間の間には1時間の時差があるということである。

朝食は、パンやシリアル、コーヒーや紅茶のほかに、ジュース、ヨーグルト、ハム・チーズ・ソーセージ、ゆで卵、果物程度の軽いものだった。

ドイツ人のツアー客が同じホテルに宿泊していた。どこから来ているのか尋ねてみたら、ハンブルグからだという。ホテルのスタッフもドイツ語がわかるようである。以前デュッセルドルフに住んでいたと話したら、彼女は行ったことがあるという。良い街だと言い、特に高級店が立ち並ぶケーニヒスアレーは大好きだと話した。私も大好きだ。買い物をしなくても、ただブラブラと歩くだけでも気持ちの良い通りである。なんだかとてもなつかしい気分になった。

9時頃には行動開始。まずは、3日間のドブロブニクカードというものを買い求めた。これを持っていると市内のバスや施設の入場料が無料になる。旧市街までは10分ぐらいであろうか。結構込み合っていた。ほぼ全員同じところで降りた。ドブロブニクは「アドリア海の真珠」と称えられ、高くて重厚な城壁に囲まれている。私達は2キロにわたる城壁の上を歩いた。旧市街は世界遺産に登録されている。オレンジ色の瓦屋根とアドリア海の青い色のコントラストはどこから見ても絵になる光景だ。



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オノフリオの大噴水を見て、そのあと聖母被昇天大聖堂に入った。そこで私達を迎えてくれたのは、なんと私のクリスチャンネームである小さき花のテレジアの像だった。今まで数多くの教会を見てきたが、テレジアの像に出会ったのは初めてだ。素敵な旅の始まりを感じた。


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次に、ドブロブニクの守護聖人、聖ヴラホの名を冠した聖ヴラホ教会を訪れた。
教会の主祭壇には銀製の聖ヴラホの像があり、その手にはドブロブニク旧市街の模型を載せている。


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そのあとドミニク会修道院とフランシスコ会修道院を訪れたが、私は修道院の中庭が大好きだ。とても落ち着く。フランシスコ会修道院内にはヨーロッパで3番目に古い薬局が今も営業を続けている



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旧市街の目抜き通りプラツァ通りにはショップやカフェが並び、沢山の観光客が行き交っていた。お昼時になり、どこで食べようかと思っていたら、ちょうど目の前に、ガイドブックに載っていたお店の名前が目に入ったので、迷うことなくそこに入った。マスのグリルとスパゲッティーを頼んだが、値段の割にはたいしたことはなかった。隣の安いお店が結構にぎわっているのが気になった。


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昼食後、ロープウェイでスルジ山の頂上まで行った。ここからは旧市街を一望することができる。素晴らしい景色を堪能し、山を降りた。

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2時半頃にはもう今日の観光は終了し、ホテルに戻ることにした。とにかくものすごい暑さだった。何しろ朝5時から行動しているので、もう十分だった。

好きなように行動できるのは、個人旅行の最も良いところである。

帰りもまたバスで帰った。バス停を降りたら目の前にメガネショップがあった。

今日一日、何が困ったかと言えば、とにかくメガネとサングラスを交互につけたりはずしたりして、今どちらをかけているのかが、判らなくなるぐらいだった。一年中サングラスが手放せない私にとって、サングラスは必須である。メガネチェーンを忘れたのがいけなかった。それが運良く目の前にメガネショップがあるではないか。直ぐに中に入り、選択肢はなくそこにあった唯一のヒモ状のものを買った。これで、メガネを首からかけられるようになり、旅行中大いに助かった。これがなければ、メガネかサングラスかいずれかを落としたり壊したり失くしたりしただろう。ドイツ旅行の時、向こう岸まで船で渡るということがあった。こちら側に車を置いて船に乗ったのだが、その時点ですぐにサングラスがないのに気がついた。向こう岸について、私だけ直ぐに折り返し戻って探したが、既に車につぶされて無残な姿になっていた。

その時も直ぐにメガネショップを探した。こんな小さな村にあるのだろうかと思ったのだが、あったのだ。夫に、「メガネショップがあったら車止めて。」と言ったその瞬間にメガネショップを見つけたのだ。本当に不思議だ。

帰りがけにスーパーに寄って買い物をしてホテルに戻った。

夕食は7時頃、ホテル直営のレストランでムッシェルとシーバス、サラダ、ポテトなどを頼んだ。ウェイターのおじさんは船乗りだったようで、日本にも行ったことがあると言った。

早々にベッドに入ったが、夜、にぎやかな音で目が覚めた。この日はサッカーワールドカップの開幕戦、ブラジル対クロアチア戦が行われていたのである。

歓声と悲鳴が聞こえてきた。結果、3対1でクロアチアは負けてしまった。 (つづく)



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by mako-oma | 2015-01-22 20:08 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

②オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~初日【6月11日(水)】~

初日【611日(水)】

このような経過をたどり、6月11日当日を迎えた。

予定時刻を少々遅れて飛び立った飛行機だが、順調に飛行を続けていた。私達の席は、真ん中4列の左2席である。前は壁なので、足は自由に伸ばせ、出入りも自由なので何よりだ。隣の2席には親子と思われる外国人女性が座った。おそらく体重は私の3倍近くあるのではないかと思われる二人にとっては、この席以外には座れないのではないかと思われた。シートベルト着用のサインが消えると、いつものようにイヤーホンを耳にし、映画のプログラムを見るが、興味を引くものはなかった。大体音が悪すぎる。持ってきた本を広げ、しばらくは読書することにした。

もう何時間が経過したのだろうか?と思っていたところに、一人の日本人女性が気分が悪くなった様子でやってきた。顔色は真っ白である。まともに歩けないようである。私達のすぐ脇で控えていたキャビンアテンダントはすぐさま酸素吸入器を取り出し、その女性に取り付け、機敏に対応していたようである。その後ウトウトしていたら、突然のアナウンスに起こされた。急病人発生。乗客の中に医師はいないか、というものだった。

私の斜め後方に座っていた一人の日本人男性が前に進み出た。どうやら患者は前の壁を隔てた向こう側にいるようだ。その男性は、フィンランド人のキャビンアテンダントと何やら会話している。おそらく英語は堪能だと思われる。

しばらくして動きがあわただしくなった。点滴をするようである。飛行機内は既に睡眠時間に入り、電気も消され、皆静かに目を閉じている。ちょうど私の位置からドクターの姿が見えるので、気になって眠れなかった。しばらくすると、ドクターは自分の席に戻った。しかしその後も度々様子を見に行っている。そして点滴ははずされた。その時には若い男性が手伝っているようだった。医学生なのだろうか。私はいろいろ考えてしまった。飛行機の中で、急病人が出て、医師の呼び出しがあるということは、よく聞く話である。しかし、実際に乗り合わせた医師の中に果たして何人の人が名乗り出るのであろうか。患者の国籍もわからない、どういう状況なのかもわからない、たとえ病状がわかってもそこは空の上である。一体どういう処置をするというのか。また逆に私が患者の立場だったらどうだろうか。言葉も通じない国の人が医師だと言われて現れても、かえって不安になるのではないだろうか。でもその時の日本人ドクターのような人だったら、どんなに心強く安心した気持ちになることだろう、と心の底から思った。本当にすごいと思った。降りる際、患者は先ほどの酸素吸入をしていた日本人女性であることがわかった。顔色も良くなり、元気を取り戻した様子だった。本当に良かった。

そんな訳で殆ど眠らないうちに、飛行機は着陸態勢に入った。フィンエアーの最も良い点は、飛行時間が短いということである。普通ヨーロッパに行くには12時間かかるところ、ヘルシンキまでは10時間30分だった。最後の2時間がつらいので、この速さは魅力である。ヘルシンキから乗り換えてクロアチアのドブロブニクまで行くのである。空港内を歩いていたら、なんと偶然に友人夫妻と会ってしまった。オランダから川くだりのクルージングツアーだそうだ。私達よりも長い二週間以上のツアーということで、既にリタイアーされたと思われる御夫婦での参加が多いように見受けられた。世界は狭い!

ここで、私は腕にはめている時計の針を現地時間に合わせた。 1655分の予定時刻をかなり過ぎて1720飛行機はドブロブニクへ向け飛び立った。そして、2時間ほどで着いた。空港を出たあとレンタカーのお店に行ったのだが、用意されたのはVWではなく、三菱コルトだった。どうなっているの?と思ったが仕方がない。受付にいたのはアルバイトの男の子で、手続きにえらく時間がかかった。お店の人は夫と何やらおしゃべりをしている。

サッカーワールドカップの開幕戦、ブラジル対クロアチア戦はまさにちょうどその日だった。みんな待ち遠しいようで、最高に盛り上がっていた。クロアチアの旗をつけた車も行き交っていた。

ようやくコルトに乗って出発したのは、9時を過ぎていた。今の季節、まだ明るいが、暗くなってしまったらホテルにたどり着けないのではないかと気が気ではなかった。しかし道を間違えてしまい、なかなか見つからなかった。そのとき1台の観光バスが止まっているのが目に入った。ヒマそうな運転手さんに聞いてみた。彼は片言のドイツ語で一生懸命教えてくれた。こんなところでドイツ語が役立つとは・・・10時頃、予約を入れたホテルに到着した。しかし部屋に落ち着くにはまだ時間が必要だった。ホテルの前はプロムナードになっていて、車は入れない。離れたところにある駐車場から荷物をゴロゴロ引いてこなければならなかった。しかしまだエレベーターがあるだけ良かったのである。とにもかくにもクロアチア旅行の初日は無事に終わった。(つづく)


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by mako-oma | 2015-01-20 15:18 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

①オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~出発まで~

オーマとジージのクロアチア大冒険旅行

~5段シフトマニアル車で走った1500km



2014611日(水)、雨上がりの成田空港をフィンエアーAY0074便はクロアチアへ向かって飛び立った。この日成田までの道のり、頭上には暗雲立ち込め、ワイパーに打ち付ける雨は激しさを増していった。こんな気象条件の中を飛び立たなければいけないのかと、少々不安な気持ちになったが、幸い出発時刻11時の頃には雨も上がっており、一安心。

思い起こせば15年前、イギリス在住中に知り合ったリタという女性が毎年バカンスはクロエイシアに行くというのである。英語でクロエイシアと言われても私にはどこにあるのかさえも全くわからなかった。

彼女は90歳を超えた今でも健在で、娘さんファミリーと一緒に生活をしており、旅行にも出かけているようである。

帰国し、しばらくすると、日本の旅行会社の広告でもクロアチア旅行を目にするようになり、ここ数年特に人気が出てきたように感じていた。

私は今年から前期高齢者の仲間入りをした。このところ同級生の訃報が相次いだ。お正月早々、小学校生活6年間を一緒にすごしたクラスメートが亡くなった。私はいろいろなことを考えさせられた。

夫と私は7歳違いである。二人揃って元気に旅行できる今を逃したら、もう一生クロアチアには行けないと思った。人生最後の海外旅行のつもりで、飛行機はビジネスを、ホテルは五つ星を、ぐらいの勢いで、旅行計画をたてることにした。

クロアチアという国は、1990年代には戦争をしていた国である。旧東というと、やはり個人で行くのは大丈夫なのだろうかと思った。通常私達の旅行は、まず安いフライトチケットをとり、ホテルを探し、レンタカーを予約して回るというのが、今までのやり方である。でも今回はツアーに参加した方が良いのではないかと考え、旅行会社のパンフレットを手当たり次第集めて検討した。その結果、見て回るところはほぼ同じ、日数やホテルのランクなどにより、値段の違いがあるようだった。クロアチアとスロベニアが一緒になっているツアーが多いようだ。隣国ボスニア・ヘルツェゴビナやモンテネグロを含むものもある。最近は高齢者向けにゆとりのある旅を売りにしている企画も目立つ。ある旅行会社の説明会に行ってみた。来ているのはほぼ全員60歳以上と思われる。

過去にこの会社のツアーに参加し、スタッフとも顔なじみの様子があちこちで見受けられる。どうやら高齢者にとっては至れり尽せりのツアーのようである。

ヨーロッパ有数の規模を誇るスロベニアのポストニア鍾乳洞はどのツアーにも必ず含まれている。内部へはトロッコ列車で入って行き、スリル満点だという。温度は8度程度になるので、上着は忘れないようにとの指示がある。

ちょうどその頃、私は録画した番組を整理していて、偶然、「女子アナ絶叫!ポストイナ鍾乳洞」というのを見つけた。それはテレビ局に入社した娘の小学校時代のクラスメートがレポートしている番組だった。それを見て、やはり私は鍾乳洞はパスだと思った。以前オーストリアの鍾乳洞で、見終わると電気が消されるようになっており、私は列の後方にいて結構怖いと思った。元来、暗いところや寒いところは苦手である。そうなるとやはりツアーはいろいろと制約があり、好きな時に起きて、その日の天気や気分で行動できる個人旅行は捨てがたい。結局方針変更を決めた。

個人で行くのに、クロアチアとスロベニアの両方は無理である。

何しろ南北に非常に長いので、とても運転手一人で運転して回れる距離ではない。ホテルを2ヶ所ぐらいとって、そこを中心に回る計画をたてることにした。

まずネットでフライトチケットを調べてみた。ところが、もう既に時期遅しという感じで、6月の便を見て驚いた。飛行時間が20数時間もかかる便が多いのである。クロアチアまでの直行便はないので、ヨーロッパのどこかで乗り換えないと行かれない。それでも15時間ぐらいのものだと思っていた。2度乗り換えや、空港で9時間待ちとかになると、20時間を越えるフライトとなる。12時間のヨーロッパ便が年々苦痛と感じている私にとっては、20時間なんて、とんでもない話である。とにかく一番早く到達できるのがフィンエアーだとわかり、日程は611日(水)から22日(日)までの12日間とすることにした。行きは6月11日成田1100発ヘルシンキ経由1855ドブロブニク着、帰りは21日(土)ドブロブニク1100発ヘルシンキ経由翌22日(日)855成田着である。この段階でビジネスという話はなくなった。幸い前が壁で足の伸ばせる席が取れたのである。往復共この席が取れたことは本当にラッキーだった。

その後はホテルである。フランスやドイツを旅したときは、まずミシュランの本を買ってきて、静かな環境にある、あまり大きくないクラシックなホテルを探した。庭があって、バスタブもあり、美味しいものも食べられるとあれば、決定である。星は多くても、プールやスパ付きのモダンなタワーホテルは避けたい。ところが、今回クロアチアの本が見つからなかった。おそらく売れないのだろう。仕方がないので、ネットで探した。ホテルの数は、限りなくあるのだが、その中から選ぶのは至難の技である。ようやく何とかドブロブニクとトロギールの二つの町に4泊ずつとり、最後の日は飛行場の近くに1泊とった。

その後、クロアチア旅行経験者の話を聞き、世界遺産のプリトヴィッツェ湖畔国立公園ははずせないとわかった。ドブロブニクからトロギールまでは300キロ近くあり、トロギールからプリトヴィッツェまでも250キロはあるのだ。とても日帰りで行かれる距離ではないので、スルニという町にホテルをとった。ガイドブックにも載っていないこの小さな町は、友人のお勧めである。

このようにして、行きたいところを決めていくうちに、ホテルの数も増えていってしまった。そして、小さな町には五つ星ホテルなど存在しない。この段階でデラックスホテルの話も消えた。そうなると、はじめに予約したホテルが、やけに高く感じるようになった。私が希望するようなこじんまりとしたクラシックなホテルとは程遠い、何百室もあるプール付き、スパ付きのタワーホテルに、高額を出して泊まりたくもない。そんな訳で、既に予約を入れていたホテルはキャンセルして、再度取り直しということになった。

私がこのような作業をしている間、一緒に行く夫は何をしているかといえば、これまた大変な作業をしていたのである。まず、クロアチアの道路地図を手に入れようとしたのだが、やはり売っていない。そこで考えたのが、アプリである。タブレットを購入し、クロアチアの道路地図のアプリを買ってダウンロードした。もう一つは、グーグルのストリートビューである。すごい時代になったものだ。いまや、現地に行かなくても、道路の様子がわかるので、ホテルまでの行き方を念入りに調べていた。せっかく調べ上げたのに、そのホテルはキャンセルである。新たに五つのホテルの行き方を調べなければならなくなった。

夫はこんなことをずっとしていたので、行く前からもう既に行った気になっていた。

ホテルが決まれば、あとはレンタカーである。夫婦二人だけなので、そんなに大きな車はいらない。ヨーロッパのレンタカーは殆どがマニアル車である。オートマもないわけではないが、数は少なく高い。はじめは、ドイツのレンタカー会社にメルセデスを頼んだのだが、何やら訳のわからない理由で、こちらの希望には応じられないという。それではとVWに変えてみたが、それでもだめだった。一体どういうことなのか? ドイツのレンタカー会社は旧東側に行くことをいやがるのではないか、という友人もいた。修理等になった場合にいろいろ面倒なことになるというのがその理由だが、正確なところはわからない。仕方がないのでエイビスでVWのゴルフを予約した。ちなみに夫の免許証は35年前に取得したドイツの免許証である。イギリスの免許証は年齢制限があり、70歳で終了してしまった。ドイツの免許証は一生有効である。一応私も持ってはいるが、国内ですら地域限定・期間限定のドライバーである。国外で運転するなんてことは一生ないだろう。

すべて準備は整った。ところがその後、何年ぶりかに歯が痛み歯医者さんに行ったところ、虫歯になっていて、それもかなり深いので神経を抜かなければいけないかもしれない、ということだった。出発まで日にちもないので、とりあえず神経はそのままにして治療してもらった。鎮痛剤を処方され持参するよう指示された。そんな中、隣に住む娘が体調を崩し、夕飯は我が家で一緒に取るようになった。夫婦二人だけの食事とは全然違う。私達がいない間どうするのだろうと思い、冷凍できる料理を何品か作り置いた。疲れがたまると腰にくるのだが、不運にも出発前その腰痛が襲って来た。2日前に整形外科に飛び込み、湿布と鎮痛剤をもらい、ひどくならないことを祈りつつ病院をあとにした。(つづく)


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by mako-oma | 2015-01-18 09:09 | 旅行 | Trackback | Comments(0)