カテゴリ:旅行( 19 )

 

台湾旅行(5) 台湾総督府②

新国立競技場の新しい二つのデザイン案が今日公表されました。台湾総督府の建築に関しても同じようなことがありました。

日本統治時代の最高統治機関である台湾総督府(現総統府)に関しては、台湾交流協会のホームページを見ると、とても興味深いことが書かれています。その中から一部ご紹介したいと思います。

東洋随一とうたわれた西洋建築である旧台湾総督府。赤煉瓦と花崗岩の白石を混用して造られ、とても重厚感があります。現在、この建物は中華民国総統府として使用されています。この建物の建築に際してはいろいろと秘話があるようです。

これはわが国における最初のコンペといわれています。そのデザインについては公募という形でプランを募りました。これは時の民政長官・後藤新平自身の発案によるものという説が存在するそうです。1906年(明治39年)に総督府の名で実施され、評審委員には辰野金吾をはじめとする建築界の重鎮が名を連ねていました。審査は二段階となっており、甲賞、乙賞、丙賞を各一名選出することとなりました。第一回目の審査では、外観などの基本デザイン、そして第二回目で細部にわたる部分についての審査が実施されたそうです。一次審査で入選した7名には更に修正案を出させ、約1年後に二次審査が行なわれました。

審査の結果、辰野金吾の愛弟子である長野宇平治の案が一等となりましたが、最優秀案である甲賞は該当なしとされ、長野の作品は乙賞に留まりました。長野は時の台湾総督・佐久間左馬太に異議を申し立てましたが、受け入れられませんでした。彼は銀行建築を数多く手がけ、また日本建築士会(日本建築家協会)の初代会長もめ、明治期における西洋古典様式の若き旗手でした。

台湾総督府の側からは統治機関としての威厳をより強調することが要求され、これを受け、同じく辰野の弟子である森山松之助によって長野案に修正が加えられました。森山松之助は当初は、地上6階建て程度だった中央塔を9階(最頂部分は11 階に相当)にまで引きあげました。これにより中央塔は高さ60 メートルとなりました。そして、現在のデザインが確定しました。

長野はこの前後、わずかな間、台湾総督府の嘱託技師となっていますが、その後は台湾に関わることはありませんでした。一方、森山は総督府庁舎の設計を機に、台湾建築界の重鎮となっていきます。彼が設計した台北、台中、台南の三棟の州庁舎は、いずれも歴史建築として保存対象となっています。

起工式は1912(明治45)年6月1日。敷地面積は2165 坪。当時、台湾で最も大きな建物でした。造営は台湾総督府営繕課が担い、作業員はすべて日本から呼び寄せられました。当初予算は150 万円でしたが、これでは全く足りないということで、後に200 万円に増額され、さらに第一次世界大戦に伴うインフレを受け、最終的には約280 万円という額になりました。

いつの時代も大幅な予算超過となるようですね。

当初からこの建物は永遠に使用されることが前提となっていました。台湾は日本と同様、地震国です。測量は一年近くにも及び、基礎部分を仕上げるのにも、さらに約一年歳月を費やしました。地震対策については、驚くほどの徹底ぶりでした。
用材については、木材は阿里山産のヒノキ材をはじめ、新竹州産のケヤキが多く用いられたということです。また、鉄骨部分に鉄道用のレールを用いたとも言われています。

建物が完成したのは着工から7年後の1919(大正8)年3月でした。
この時の台湾総督は明石元二郎でした。1918(大正7)年6月6日、明石は第7代台湾総督に任命されますが、総督府竣工後、わずか半年あまりでインフルエンザで亡くなりました。明石の遺体は生前に残した遺言に従い、台北市三板橋の日本人墓地に葬られました。日本統治時代の半世紀、19 名の総督がいましたが、明石は唯一、台湾の地に永眠した人物でした。





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by mako-oma | 2015-12-14 17:10 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

台湾旅行 (4)  ー台湾総督府①ー

台湾市立第一女子高級中学を後にした私たちは、目の前にそびえ立つ総統府(旧台湾総督府)に向かいました。重厚な赤煉瓦の建物は、本当に大きくて威厳があり、当時の日本がいかにして国力を誇示するかを考えて建てたかということが良くわかりました。

既にそこには長蛇の列ができていました。私達はその最後尾に並び、1時間が経過しました。ようやくパスポートチェックを受けるところまで来ました。ところがそこで聞かれたのは、「予約をしているか」ということでした「予約はしていない」と言うと、「予約がないと入れない。3日前までに予約が必要」というのです。「そんな!」ガイドブックにそんなこと書いてありませんでした。「グループの場合は予約した方が良い」ということは書かれていましたが、個人に関しては全くそのような記述はなく、ましてや3日前までになんて、ちっとも知りませんでした。何とか入れてもらえないかと、交渉はしましたがダメでした。結局、私達はそのままホテルに戻ることとなりました。



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by mako-oma | 2015-11-21 10:04 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

台湾旅行(4)-台湾市立第一女子高級中学③ー

帰国しネットで調べたところ、この学校は日本統治時代に台北における女子高等教育の拠点として設立されたもので、祖父が台湾にいたころには「台湾総督府台北高等女学校」という名前だったことが解りました。その後「台北第一高等女学校」と改称され”第一高女”と呼ばれていました。現在は「台北市立第一女子高級中学」(北一女)となりましたが、年によっては台湾大学への進学率で男子校トップの建国高級中学を凌ぐほどの名門校として、今も昔もその名を轟かせているということです。全国で唯一のプラネタリウムや、温水プールも設置されていて、学校の設備も教員も全て一流、正に女性のエリートを養成する学校だそうです。

驚いたことに、この学校の歴史は、日本統治時代から中華民国となった現在に至るまで連続しているのです。日本時代の「台北州立第一高等女学校」の卒業生も、「台北市立第一女子高級中学」の卒業生として数えられ、OGとして遇されています。
OG会も盛んだそうです。もしかして、私達が訪れたその日、OG会があったのではないでしょうか? 卒業生の進路はそうそうたるもので、世界中で活躍されているようです。

学校には校史室という学校の歴史に関するものを展示する特別な部屋があり、ここでは日本統治下の1904年に創設されて以来、現在に至るまでの歴史が連続して展示されており、日本時代の歴代校長(第1代~第7代)の写真も戦後の校長(第8代~17代)の写真と共に飾られているそうです。
国が変わっても学校の歴史は連続しているのです。 

私は日本統治下のものはすべて処分されていると思っていたのですが、このような形で保存されていることに驚きました。
同じく日本の統治下にあった中国・韓国と台湾の違いは何なんでしょう。台湾の方々の暖かさも感じました。
この学校のことが解っただけでも、今回の台湾旅行の成果です。

台北第一高等女学校の校歌を見つけました。
何と3番の歌詞の中に、石碑にあった「正しく強く淑やかに」という言葉がありました。これはこの学校の校訓だそうです。

〈台北第一高等女学校校歌〉

作詞:清水儀六  作曲:張 福興

1 すめら御国の南(みんなみ)の ここ蓬莱がうまし島
  島の民草栄えゆく 基つちかうおみなごの
  光栄ある教布かんとて とくひらかれし学び舎、
  これぞ我らが母校なる

2 あした夕べに剣潭(けんたん)の かしこき宮居仰ぎつつ
  月影清き淡水や 旭に匂う大屯の
  姿をしのびたゆみなく 心をみがき身をねりつ
  集うや九百の姉妹(あねいもと)

3 めぐみ豊けき常夏の 島に繁れる草は木は
  常磐のみどり蔭深く 永劫の生命のしるしなる
  我等がそのの撫子も 正しく強く淑やかに
  変わらん操養えや















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by mako-oma | 2015-11-08 08:55 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

台湾旅行(3) -台湾市立第一女子高級中学②ー

その日の予定は、午後から”国立故宮博物館”の見学となっていました。私達は、午前中に台湾市立第一女子高級中学と、総統府に行くこととしました。女学校は、外から写真を撮るだけでも良いと思い、ホテルを出ました。

女学校の門のところに受付があり、一人の男性が座っていました。
私は、「建物の写真を撮ってもよいか」と尋ねました。
彼は、快く承知してくれて、私に「校友証」を差し出しました。
「えっ?」と私は思いました。彼は何か勘違いをしているのだと思いました。そこへ外観の写真を撮っていた夫が来ました。

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彼は夫に「来賓証」を差し出しました。やはり、これは何かの勘違いだと思いました。私達がその場で、「どうしよう」と思っているところに、後ろから何人かの人が来て、受付で札を受け取って校舎の中に入って行きました。何やらその日には特別な行事があるような雰囲気でした。

私は受付の男性に、自分たちはこの学校の卒業生でも何でもなく、ただ写真を撮りたいだけだと言いました。でも彼は、「わかっている。どうぞ中へ入って写真を撮ってください。真っすぐ行って右側です。」と英語で答えました。私達は何が何だかわからないまま、言われた通りに真っすぐ行くと、その右側には裁判所らしき立派な建物が見えました。

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???私達はとりあえずその建物の写真を撮って、キョロキョロあたりを見回していると、受け付けの男性が手を振って私達を呼び寄せていました。彼が立っている場所に行くと、そこには石碑がありました。その石碑には「正しく強く淑やかに」と日本語で刻まれていました。創立30周年記念に作られた石碑でした。

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彼は私達が日本人だということをわかっていました。もしかしたら、その日の朝、フロントの男性が電話してくれて、私達が訪れることを知っていたのではないかとも思いました。
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私達はゆっくりと写真を撮らせていただき、台湾の方の暖かい歓迎に心から感謝して、女学校を後にしました。






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by mako-oma | 2015-11-07 15:46 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

台湾旅行(2) ー台北市立第一女子高級中学ー

翌朝、ホテルでの朝食を済ませたあと、私はフロントに行き、早速いろいろ聞いてみました。総統府のはす向かいにある女学校の名前、住所、電話番号などです。どうしてそれを知りたいのかについても、説明しました。でも、彼は日本語も英語も堪能というわけではなく、こちらの言っていることがわかっているのか、いないのか・・・私は桐の箱に書かれていた、その贈り物をくださったと思われる人物の名前を示したかったのですが、その字が読めずに私の頭の中では、「○川○之さん」でした。ですから、そのまま彼が差し出したメモ用紙に書きました。彼はすぐに自分でその女学校に電話してくれました。そして話をしてくれました。しかし残念ながら情報は得られませんでした。私は彼に感謝し、その女学校の名前、「台北市立第一女子高級中学」と住所、電話番号の書かれたメモをもらい、部屋に戻りました。 
   つづく

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by mako-oma | 2015-11-02 09:02 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

台湾旅行(1)ー鉄道ホテルー

これまでに世界23か国を訪れましたが、まだアジアの国には一度も行ったことがありませんでした。今回初アジアで台湾に行って来ました。3泊4日の短い日程でしたが、とても充実した思い出に残る旅となりました。今回は主人の学生時代からの友人達と一緒の団体旅行でした。このグループが結成されて来年で50年になるということで企画されました。メンバーの一人のお嬢さんが宮崎で地鶏のお店をやっていらして、その支店を台北に出されたということで、6組の夫妻+1の総勢13名という大所帯での旅行となりました。

私の中で台湾はアジアの中で一番行ってみたい国でした。というのは父方の祖父が1917年から1922年までの5年間、台湾総督府で仕事をしていました。祖父が台湾を離れるときに台湾の女学校の方からいただいたと思われる贈り物が、以前からとても気になっていました。桐の箱には漢字がずらっと並んでいて、読めませんがなんとなくわかる部分もあります。祖父と女学校の関係を解き明かしたいという思いがありました。父は1941年(昭和16年)2月に台湾を訪れ、台湾旅行記を書いています。戦争の始まる10か月前です。これは、父から祖父に宛てた手紙の形式をとっています。今回自由行動の時間が十分にあったので、私達夫婦は父が訪れたところを回ってみました。今回は台北だけでしたが、父が訪れたところはほぼ制覇できました。

父は戦前の台湾で一番といわれた鉄道ホテルに宿泊していました。この場所にはなんと現在新光三越のビルが建っていました。私達の泊まったホテルのすぐ近くにも新光三越がありましたが、私にとって意味のあるのは台北駅前の新光三越なのです。
25年ほど前、新光三越のオープンに関係した仕事をしていた夫は、何度も出張で台湾を訪れていました。その第一号店が今立っているところが、昔、鉄道ホテルがあったその場所なのです。

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初日、松山空港でガイドさん付きのバスが待っていてくれました。
私達はそれに乗って、忠烈祠→龍山寺→総統府→中正記念堂→と台北市内をめぐりました。総統府はバスの中から見ただけでしたが、その時ガイドさんが交差点を挟んではす向かいにある女学校のことを何か話してくれました。一瞬のことだったので、何を話されたのかは記憶していませんが、とにかくそこに女学校があることがわかりました。私は祖父と関係のあった女学校はここだと確信しました。  つづく




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by mako-oma | 2015-10-30 15:15 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

⑬オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~12日目【6月22日(日)】

12日目【622日(日)】

到着予定時間よりも早めに成田着。久しぶりのレガシーは、やはり抜群。コルト君もがんばってくれたけれど、高速を走るならやはりレガシーだ。

12日ぶりの我が家はいつもどおりに私達を迎えてくれた。庭の草木も枯れることなく、勢いよく茂っているものもあった。オーマとジージのクロアチア大冒険旅行は無事に終了した。
                     (おわり)


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by mako-oma | 2015-02-03 13:47 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

⑫オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~11日目【6月21日(土)】

11日目【621日(土)】

朝食は、やはり敷地内の別の建物でのビュッフェだった。行ってみると、そこは予約したホテルの名前のある建物だった。そのホテルはちゃんとあったのだ。どういうこと?と思ったが、まぁ朝からたっぷり、美味しいものをいただいて、満足満足。楽しかった旅行もとうとう帰国の日を迎えてしまった。

チェックアウトを済ませ、ドブロブニク空港へと向かった。まずはレンタカーのお店に行って、三菱コルト君に別れを告げた。

ワイパーのゴーゴーいう音は、今にも壊れるのではないかと心配したが、最後まで故障することなく、よくぞ1500キロ近くもの距離を走ってくれたものだ。

空港ロビーには、同じ飛行機を待つ日本人ツアー客が何組かいた。やはり今、クロアチアは人気なのだと実感した。目の前のソファーに目をやると、年配の男性が横たわっていた。そばには心配そうに見つめる女性がいた。ツアーに参加されている御夫婦のようだ。青白い顔をしたその男性は、添乗員と思われる若い男性に付き添われ、車椅子に乗って、一足先に搭乗口の方に向かって行った。これから日本への長いフライトが無事でありますようにと祈った。

空港でお土産を探したが、やはり同じようなものしかなかった。クロアチア以外のヨーロッパのお菓子は大体が家の近所のスーパーで買えるものばかりであったが、その中で唯一ベルギーのお菓子が目に止まった。これに決めていくつか買い求めた。後日、友人に渡した際、「日本にも同じものがある」と言われた。硬くて食べれないと思われた砂糖まぶしナッツは、妹の所に持っていったら、ちっとも硬くない、と言われた。食べてみたら本当にあの硬さは無くなり、美味しかった。イチジククッキーは、娘婿が、美味しい、好きな味、と言って食べてくれた。本当にお土産というものは難しい。

天候の影響か、あるいは空港の大きさの関係かはわからないが、飛行機に乗り込むまでに蒸し暑い階段でかなり長く待たされた。夫は後ろのアメリカ人と雑談を始めた。私も前の日本人女性と会話を交わした。これ以上待たされたら具合の悪くなる人が出るのではないかと思われるほどの蒸し風呂状態から抜け出し、ようやく搭乗できたときにはほっとした。

予定時間を少し遅れ、私達の乗った飛行機は、ヘルシンキに向けて飛び立った。   (つづく)
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by mako-oma | 2015-02-02 15:02 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

⑪オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~10日目【6月20日(金)】

10日目【620日(金)】

9時過ぎにホテルを出て、港の駐車場までまたゴロゴロとスーツケースを転がして行った。入れ替えた駐車場はそこよりも更に遠くなので、私は荷物と共に港で待つことにした。たまたま私が待っていたところに、町全体の立体地図のようなものが置かれていたので、次々と観光客がやってきた。結構フランス人ツアーが来ているようだ。ヨーロッパ人は個人旅行が多いのかと思っていたが、初日にはドイツ人ツアーと一緒になったし、結構ツアーで来る人もいることがわかった。なかなか夫が現れないので、少々不安になっているところに、ようやく車が来た。

高速道路に乗る道を間違えるというハプニングもあったが、無事に高速に乗り、スプリットの町をあとにした。途中トルコ人のやっているカフェでトルココーヒーを飲んで休憩をとった。すると一組の家族がやってきて、トイレだけ借りて去って行ってしまった。ストンを通って行くので、昼食はまたマリ・ストーンのレストランに行くことにした。レストランに着いてみたら、なんとさっきの家族がいるではないか。マリ・ストーンは本当に静かな素敵な町だ。このレストランのウニの前菜は絶品だ。

ゆっくりした後、ツァヴタットに向けて車を走らせた。ここは、ドブロブニクにほど近い小さな港町だが、町の歴史は古く、紀元前6世紀にはギリシャ人によって既に都市が築かれていた。


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雨が降ってきたので、残念ながら早々に引き上げ、プラトの予約したホテルに急いだ。夫がグーグルで散々探したがわからなかったというホテルだ。住所の場所に来て見て、そばにいる人にそのホテルを尋ねた。その人は、そこだ、と言って近くの建物を指差した。だがそのホテルの名前はなかった。レセプションに行くと確かに私達の予約は入っていた。しかし私達が案内されたのは、敷地内に立つ別の名前の建物だった。経営が変わって名前が変わったのだろうか?とか色々考えたが、訳が解らなかった。でもとにかく泊まるところがちゃんと確保されていて安心した。敷地内を散歩すると、すぐに浜辺に出た。夕方の海岸は素敵だ。しばし砂浜に座り、静かなアドリア海を見納めた。



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クロアチア旅行最後のディナーは、夕日の美しい浜辺で、ギターデュオの生演奏を聞きながらの思い出に残るものとなった。


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                          (つづく)



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by mako-oma | 2015-02-01 13:43 | 旅行 | Trackback | Comments(0)  

⑩オーマとジージのクロアチア大冒険旅行~9日目【6月19日(木)】

9日目【619日(木)】

9時頃ホテルを出発し、シベニクに向かう。シベニクは、クロアチアのアドリア海岸のほぼ真ん中に位置する歴史の古い町である。

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11
時頃到着し、まず世界遺産に登録されている聖ヤコブ大聖堂を訪れた。ちょうどミサが始まったところだったようで、私達はミサにあずかることができた。なんとラッキーなことだろうと思った。旅行中世界遺産の大聖堂でミサにあずかるのは二度目である。一度目はフランスのシャルトル大聖堂でのことである。10年近く前、長女の友人の結婚式がベルサイユ郊外の教会で執り行われた。その式に参列後、7人乗りのレンタカーを借りて、最初は私達夫婦と長女の3人で、途中から次女夫婦も加わって5人になり、ロワール川流域のお城めぐりをした。確かその初日にシャルトル大聖堂を訪れ、今回同様、たまたまミサにあずかることが出来た。その時、夫と娘はカフェでお茶を飲んでミサの終わるのを待っていたが、今回は夫もちゃんとミサにあずかり、良い体験だったと思う。パイプオルガンの音が教会内に響きわたり、とても荘厳なミサだった。

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シベニクのシンボルでもあるこの大聖堂は、15世紀から16世紀にわたり、建築に100年以上かかったそうだ。祭壇の奥には聖歌隊席があり、さらにその奥には洗礼室があり、祭壇までの距離とその奥の距離が同じぐらいあるのではないかと思われるほど長かった。

教会の外観で特徴的なのは、71人もの人間の頭部の彫刻で、これは建築当時の市民の有力者をモデルにしたと言われている。

また天井の装飾も素晴らしかった。

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海岸沿いにはレストランがたくさん立ち並んでいた。どこに入ろうかと迷ったが、ガイドブックに載っていた有名シェフのお店に決めた。ところが行ってみると、ここもまたお客さんが一人もいないのである。隣には、やはりガイドブックに紹介されているレストランがある。こちらは大盛況である。昨晩のこともあり、お客さんのいないレストランは避けた。昼食はどこに行っても定番メニューであるパスタ、ピザ、リゾットになってしまう。今回は魚のリゾットとグリーンパスタを注文した。

リゾットはシェルの形をした素敵なお皿に乗って出てきた。一口食べて、「美味しい!」グリーンパスタもとっても美味しかった!やはり混んでいるお店は当たりなのだ!


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午後は、シベニクから30分ほど行ったところにあるクルカ国立公園を訪れた。プリトヴィツェ湖畔国立公園と同様、カルストによって造り出された風景が広がる自然公園である。車は上に置いて、バスで下まで下っていく。とてもバス2台がすれ違うことは出来ないほどの狭い道を降りていくので、バス同士は連絡をとりあっていて、2台がすれ違うことはないのだろう、と思ったのだが違った。向こうからバスが来るではないか。信じがたい運転さばきで2台のバスはすれ違った。規模は小さいが、遊歩道を歩きながら、思いっきり自然を満喫できた。

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スプリットでの滞在もこの日が最後だ。夕食はホテル前のレストランでとった。

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前に座ったフランス人家族のテーブルには見慣れたミシュランの赤い本が置かれていた。今回はミシュランのお世話にはならずにホテルを予約したが、残すはあと一つとなった。そのあとお土産を買いに歩いたが、なかなか良いものがみつからない。クロアチア名物の一つにイチジクがあり、イチジクのクッキーもお土産として人気があるようだ。またナッツにお砂糖をまぶしたようなお菓子もわりとどこでもみかけた。やはり何と言ってもチョコレートのお菓子が多いが、夏は避けた方が良いと思った。買うなら専門店の方が美味しいだろうと思い、イチジククッキーと砂糖まぶしナッツをおしゃれなお菓子屋さんで買い求めた。とりあえず、試食してみて美味しかったら皆へのお土産として明日買うことにした。ところが、ホテルに帰り試食してみたところ、クッキーはあまり美味しくなく、ナッツは噛めないくらいに硬かった。歯が折れそうだった。そんな訳でお土産は空港で買うことにした。 (つづく)















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by mako-oma | 2015-01-31 21:06 | 旅行 | Trackback | Comments(0)