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幼稚園ミニミニクラス会

先日我が家で幼稚園のミニミニクラス会をしました。今回は、仲間の寿ちゃんが新春大歌舞伎の舞台を終えたので、お疲れ様会をやろうという俊ちゃんからの提案で開催することになったのですが、寿ちゃん本人は全然疲れていないということで、ミニミニクラス会となりました。皆様お忙しいのに、お返事をくださった方々12名はすべて出席でした。パーキンソン病を患っている新太ちゃんは、富山でのリハビリを調整して来てくれました。主人を入れて総勢13名。我が家のテーブルを囲める最大人数です。今回は、中華のケータリングをお願いしました。母がまだ元気な頃、よく蓼科の中華料理店に行きました。その本店が我が家のすぐ近くにあると知ったのは、母が亡くなった後のことでした。そのお店にケータリングをお願いしました。アルコール類は皆様の持ち込みです。スプマンテのマグナムをはじめとして、各種ワインに日本酒、更には前日苗場で飲んでいたというウィスキーまで豊富にそろいました。中にはお寺ブランドの珍しいワインもありました。結構飲みました。皆さんもう年だから…と思いましたが、元気元気!空いたビンを見て、まだまだこれからと再認識しました。”幼稚園のクラス会”というと、子供の幼稚園の親たちの集まりと思われる方がいますが、いえいえ、65年前に一緒に遊んだ幼稚園仲間なのです。古希を間近にした男女がお互いに”~ちゃん”と呼び合う光景は、はたから見たらきっとおかしいでしょうね。
65年前の姿は、以下のブログをご覧ください。




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by mako-oma | 2017-02-23 15:04 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

新年会ライブ


早いものでもう2月。1月は新年会がいくつもあり、毎日が忙しく過ぎていきました。その中での一番は、1時から6時までお店を借り切って開いた昔の仲間との新年会です。そのお店は、家の近くにあり、普段はカフェをやっているのですが、コンサートにも貸し出していて、ピアノもあり、マイクや音響設備も完備しています。マスターはキングストントリオのコピーバンドをやっています。昔の仲間の一人がPPMのコピーバンドをやっていて、お店の見学に来たことがきっかけで、ここで新年会をやろうということになりました。昨年は、高校卒業以来消息不明だった友人との半世紀ぶりの再会を果たし、お昼から夜までひたすらしゃべって歌って50年の空白を埋めました。


今は仙台に住んでいるその彼も今年の新年会を楽しみにしていて、今回は日帰りで出て来ました。
インドネシア人と結婚した友人も日本に一時帰国して参加してくれました。
今回は、楽器が出来る人は楽器持参ということで、ギターやウクレレ、それにハーモニカとそれぞれ愛用の楽器を持ってきました。私もバイオリンを持って行きましたが、或る事情から弾くことはなく、ご披露だけしました。
その代わりに、ペンダントハーモニカとボーカルで参加しました。歌詞を覚えている数少ない曲の一つをギターの友達が弾き始めたので、私はマイクに向かい、2本のギターをバックに歌いました。なんと贅沢な時間だったことでしょうか。気持ちよかったですね。素敵な仲間との素敵な時間に感謝です。









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by mako-oma | 2017-01-26 14:58 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

この一か月の出来事(2)

帰って来て3日ほど東京におりましたが、その後名古屋方面に車で出かけました。いきなり直行するときついので、途中また山小屋で1泊してから行きました。これは、夫の友人グループ結成50周年の記念旅行で、8組の夫婦とシングル二人の計18名という人数になりました。メンバーの一人が名古屋に住んでいるので、彼の近くということで、メインの宴会は鬼岩温泉になりました。その前にゴルフをやる人は一日早く行って、彼の所有する古民家で、囲炉裏を囲んで飲んだり食べたりで盛り上がりました。翌日のゴルフは、週間予報では雨だったので、もう流れると思っていました。予報通り8時半のスタート時には雨が降っていましたが、ゴルフ場のスタッフは雨雲の動きを見せながら、「9時にはやみます」と断言しました。その言葉通り、9時には雨はやみ、30分遅れでスタートしました。途中霧で何も見えないホールもありましたが、キャディーさんの言う通りに打ったら良いところに落ちてくれました。ここは彼が所有するゴルフ場なので、きっと優秀なキャディーさんがついてくれたのでしょう。一緒に回った方々は、皆さんレベルの高い方々で、私なんかが一緒に回ってはいけないのではないかと思いましたが、そんなこと全然ありませんでした。最高に楽しかったです!   つづく
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by mako-oma | 2016-06-05 14:17 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

横浜日独協会

そもそも東京都民の私がなぜ横浜日独協会の会員になったのかをお話したいと思います。
2011年7月2日、横浜日独協会設立記念音楽会がフェリスホールで開催されました。
その4か月前、東日本大震災が起こりました。岩手県一関市にある児童養護施設「藤の園」も建物や地面に亀裂が入り、とても住めるような状況ではなくなりました。
そこの園長先生は私の知り合いのドイツ人シスターでした。私は周りの友人・知人に呼びかけ、建物再建のためのご寄付をお願いしました。横浜日独協会でもこれにご協力をいただき、この日のコンサートの売り上げから「藤の園」へのご寄付をいただきました。その後例会にシスターをお呼びして、被災地のその後を伺う機会もあり、そんなご縁から私も横浜日独協会のお仲間に入れていただくことになりました。

横浜日独協会の活動はとても活発です。特に若い人を育てようという取り組みは、素晴らしいことだと思っています。フランクフルト独日協会との交流により、高校生作文コンテストを開催し、最優秀者2名をドイツに派遣し、ドイツからも2名の高校生を受け入れています。横浜日独協会ヤングクラブが設立され、先日、日独ユースフォーラムが開催されました。日独の若者41名が参加して、日本とドイツの教育や就職、また恋愛事情などについて語り合いました。また、横浜ーフランクフルト両地域の中小企業ニーズへの支援協力プロジェクト等の活動もしています。ハンブルク独日協会との協力プロジェクトもあり、ハンブルク桜の女王来日の際にはハンブルク独日協会会長も同行されました。
これらの取り組みは、会長はじめ役員の方々のご尽力のたまものです。すごいことだと思っています。



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by mako-oma | 2016-04-26 22:51 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

ハンブルク桜の女王 

4月15日(金)ハンブルクからの桜の女王を迎える会が横浜日独協会で執り行われました。
横浜市とハンブルク市は同じ港町として姉妹港提携を結んでいます。約50年前、両港の親善を記念して日本から桜の苗木が贈られました。それ以来ドイツからは「桜の王女(プリンセス)」日本からは「桜の女王(クウィーン)」が一年おきに相互訪問していました。昨年からドイツ側の呼び名が"Prinzessin(王女)から"Königin"(女王)に変わったため、今回は「第1回ハンブルク桜の女王」ということになりました。初代桜の女王に選ばれたLaura Gräwert さんは、1年間日本の大学に留学経験があり、見事な日本語でご挨拶をされました。その後、懐かしいドイツの歌"Ein Prosit"を合唱し、"Ein zwei drei super!"の掛け声で”Prosit!" そして歓迎会が始まりました。会員のソプラノ歌手の方が、ドイツの歌、日本の歌、素敵な歌声を聞かせてくださいました。最後には、桜の女王と一緒にハンブルクから来られたドイツ人男性が飛び入りで、"Trink, Trink, Brüderlein trink"を歌われ、いつの間にか出席者の皆様一緒に腕を組み、大きな一つの輪になっていました。








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by mako-oma | 2016-04-25 13:50 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

第17代市村家橘後援会

The seasons may come and go, but friends last forever.
Make new friends, but keep the old.
One is silver, one is gold.

これは、「半世紀ぶりの再会」でご紹介した詩です。
今日は、半世紀より更に前の60数年前、初めての社会生活を共にした仲間のことをお話したいと思います。

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その幼稚園は伊皿子にありました。
今は、紺のブレザーに水色のチェックのスカート・ズボンという可愛い制服ですが、当時制服はまだなく、全くの私服でした。
幼稚園のお人形を家に持って帰り、母が洋服を縫ってくれたこともありました。とても家庭的な幼稚園でした。

ある時からこの仲間たちが不定期に集まるようになりました。
作曲家の俊ちゃん、歌舞伎役者の寿ちゃん、オペラ歌手の由子ちゃん等々クラスメートには多才な方々がいます。
今でも集まると昔と同じに「何々ちゃん」と呼び合います。
60代後半、既に高齢者の仲間入りをした人達です。
毎回仲良しメールでクラス会のご案内をします。

久しぶりに11名の仲間+1名(市村家橘さん奥様)が集まりました。
今回の目的は、我等が仲間の寿ちゃん(市村家橘《かきつ》さん)の後援会立ち上げの話し合いでした。

7歳で初舞台をふみ、今年芸歴60年を迎える彼を応援しようと、仲間たちが動き始めました。家橘さんは過去に病気で倒れたこともありましたが、厳しいリハビリを乗り越え、現在は心身共に充実して、良い演技を見せてくれています。
私達に何が出来るか、どんな事をやるのか、皆で意見を出し合いました。

これからオリンピックに向け、日本の伝統芸能である歌舞伎をより多くの人に知ってもらうためにも、今、彼には大きな役目があるのではないでしょうか。60年歌舞伎の世界でやってきて、芸風は、白塗りの二枚目から、色悪、さらに三枚目がかった役どころも、女形も、老人役も、難なくこなし、芸域が広く、どんな役でもこなせる腕達者と言われています。 所作が凛とし、静止している姿も美しいと好評です。

第17代市村家橘後援会「かきつ会」立ち上げプロジェクトがスタートしました。
皆様方にもぜひ市村家橘を応援していただきたいと思います。
ホームページをご覧いただき、ご入会いただければ嬉しいです。どうぞこちらへ





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by mako-oma | 2016-01-15 20:26 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

半世紀ぶりの再会

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明けましておめでとうございます。

2016年最初のブログは、50年前の写真でスタートいたします。
女の子二人に挟まれた真ん中の彼と50年ぶりの再会をしました。
この時皆高校生。青春真っ只中でした。
この写真は50年経っても皆の記憶に残る最高の写真です。

時は1960年代後半、日本は高度成長時代。ブラザースフォアー、ジョーン・バエズ、PPMなどのフォークソング全盛時代でした。まわりを見渡すと、ギターを抱えた友人たちが沢山いました。
仲間が集まると必ず誰かがギターを弾いて、皆で歌いました。
当時ベトナム戦争に反対する反戦歌もいろいろ歌われました。
私達はほとんど毎週末顔を合わせていました。
しかし、いつの頃からか彼は来なくなり、その後彼の消息は途絶えてしまいました。
そして、50年の歳月が流れました。

昨年末、突然彼の消息がわかりました。現在仙台在住とのこと。
すぐに連絡を取り、この日の再会となりました。
彼の希望により、たっぷりの時間をとりました。
午後1時から6時まではカラオケルームを、そしてその後は居酒屋さんを。

この日集まったのは、インドネシア在住の女性を含め、7人。
私達は自由が丘で待ち合わせました。
50年ぶりの彼の姿はかなり貫禄がついたようでしたが、顔は昔の面影が十分に残っていました。
カラオケルームに入った私達は再会を祝って乾杯しました。
そしてその後は50年の空白を埋めるのに時間はかかりませんでした。それぞれの50年を語ったあとは、ギター持参の友人の伴奏で、次から次へと昔を思い出しながら、歌っていきました。

今回の準備はすべてこのギターを弾く彼がやってくれました。
彼の作ってくれた歌集には全部で27曲ありました。
6時間のうちでは歌いきれない曲も沢山ありました。
それでも半分以上は歌いました。

あのころ彼はギターも持っていませんでした。ですからもちろん1曲も弾けませんでした。でも現在、彼はお客様の前で弾くレベルになり、リクエストは何でも弾いてくれます。1時から6時までカラオケルームを借りてただの1曲もカラオケをかけませんでした。
こんなお客さんっているのでしょうか?

その後は、居酒屋さんで時が経つのも忘れて飲んで食べてしゃべって笑って楽しいひと時を過ごしました。
最後に今日の主賓のご希望でスイーツを食べに行きました。
これは彼のおごりでした。ごちそうさまでした!

こんなに素敵な仲間がいる私は本当に幸せ者です。
今は亡き写真上段右端の彼はきっと天国から私達のことを見ていることでしょう。
改めて彼の存在は大きかったのだと感じました。

最後に私の大好きな詩をご紹介します。

The seasons may come and go, but friends last forever.
Make new friends, but keep the old.
One is silver, one is gold.



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by mako-oma | 2016-01-14 23:42 | 交流 | Trackback | Comments(0)