青年会OB・OG会


今年もまた恒例のOB・OG会が開催されました。半世紀前、私達はカトリック高輪教会の青年会で共に青春時代過ごしました。その仲間達が、一年に一回、懐かしい高輪の地に集まると、あっという間に50年前にタイムスリップしたような気持ちになります。その頃青年会の皆から"ママ"と呼ばれていたおば様も、92歳になられましたが、今年もお元気で参加されました。当時聖歌隊の指導をしてくださった先生も、91歳というお歳とは思えない相変わらずの張りのあるしっかりとしたお声でご挨拶されました。例年御ミサをあげてくださるのは、当時主任司祭でいらして、青年会の活動に積極的に参加してくださったお二人の神父様でしたが、今年はそのお一人であるアメリカ人の神父様は函館にいらしてしまったので、残念ながら参加されませんでした。今回、初めてこの会に参加された私と同じ名前のM子さん。おそらく何十年とお会いしていなかったと思いますが、長い髪にクリクリっとした目は昔のままでした。この再会は驚きの再会でした。彼女の息子さんはもう20年以上もドイツ・デュッセルドルフ在住で、奥様はドイツ人。3人のお子様がいらっしゃり、M子さんは、毎年そのお孫ちゃんに会いにデュッセルドルフに行かれるとのこと!何と懐かしいデュッセルドルフ!彼女はスマホを取り出し、何枚もの写真を見せてくれました。ライン川沿いの懐かしい景色に感激です。息子さんは二十歳の時にドイツに行かれたそうです。行ってすぐに、彼は幼稚園時代にお世話になり、その後ドイツにわたられたシスターを訪ねたそうです。私とM子さんは確か同じ歳だったと記憶しています。おそらく息子さんも我が家の娘たちと同じくらいの年齢かな?と思いました。37年前、私達がドイツに旅立った時は、まだ直行便はなく、アンカレッジで一端飛行機を降りました。その時、何人かのシスターのお姿が目にとまり、お話させていただきました。皆様これからデュッセルドルフで幼稚園の運営に携われるとのことでした。何と、長女がこれからお世話になる幼稚園だったのです。あらかじめ日本で決めていたカトリックの幼稚園は、それまで運営されていた修道会がその年度で終わ
り、新たな修道会のもとに運営されることになったのです。飛行機でご一緒したシスター方は、その新しい宮崎カリタス会の皆様だったのです。不思議なご縁を感じました。長女も次女もこの聖母幼稚園で本当にお世話になりました。6年間のデュッセルドルフ在住中、4年間幼稚園の送り迎えをしました。中でもシュヴェスター(独語)・ウベルティーナとの思い出は子供たちにとって忘れられないものになっています。毎年クリスマスカードのやり取りだけですが、いつも子供たちのことを気にかけてくださいます。何と、そのシュベスター・ウベルティーナが、M子さんの息子さんが真っ先に訪ねたシスターだったのです!M子さんもデュッセルドルフに行くときには、シスターにもお会い
になるそうです。息子さんが幼稚園時代にシスターと一緒に写っている写真を見せてくださいました。37年前、子供達が幼稚園時代のお顔です!私たちがドイツから帰国して既に31年。今はケルンですが、シスターはずっとドイツです。シスターも私とほぼ同年齢だと思います。いろいろと大変だと思います。いつか、シスターとM子さん、そして私の3人でお会いしたいです。
懐かしい写真を探しました。
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# by mako-oma | 2017-10-10 09:33 | 交流 | Trackback | Comments(0)  

開東閣

しばらくブログをお休みしてしまいましたが、下書き一覧に入っていてそのままになっている記事がいくつもあり、その一つを、ちょっと季節は変わってしまったのですが、ご紹介したいと思います。

新緑の5月は、気候も良いので、1年に1回開催される会が続き、忙しく過ぎていきました。その一つ、同じ時期ロンドンに住んでいた方たちが集まる会もありました。毎年懐かしい顔に会えるのでとても楽しみにしていますが、今年は特別でした。それは、開催場所が開東閣だったからです。開東閣というのは、旧岩崎家高輪別邸です。敷地面積は11,200坪。明治22年、岩崎久弥(3代目)が伊藤博文からこの土地を譲り受けました。明治33年、これを岩崎弥之助(2代目)が譲り受け、明治41年、ジョサイア・コンドル設計による洋館が建てられました。現在は三菱グループの倶楽部として使われていますが、一般には公開されていないので、なかなかここに入ることはできません。私は幼いころ、ここの前を通って品川駅まで行きました。子供の足ではどこまで行っても、開東閣の長い石垣が続いているようで、中は高くそびえる大木がうっそうと茂っていて、外からは全く何も見えません。子供心にここは一体何なんだろう、どんな人が住んでいるんだろう、と思っていました。大人になり、何度かここに入る機会に恵まれました。それはいつもゴールデンウィークの頃でした。ちょうど藤の花が満開となる頃で、見事な藤棚でした。最後にお庭に入ってからもう50年近く経つのではないかと思います。久しぶりの開東閣、しかもバラの時期というので、私はその日を心待ちにしていました。正面入り口から洋館までは緩やかな坂が続きます。樹齢何年になるんだろうと思われる大木が茂っています。洋館の右手がバラ園になっています。800株以上あるといわれるバラは見事に咲き誇っていました。これだけの広さのお庭をわずか5人の庭師でやっていると聞き驚きでした。洋館の内部はクラシック調で、素敵なバーカウンターもありました。昔から開東閣はバラの季節が良いと聞いていたので、いつかはバラの咲くころに来てみたいと思っていました。今回それが実現し幸せでした。
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# by mako-oma | 2017-07-21 16:39 | 行事 | Trackback | Comments(0)  

斎藤隆夫にみる真の政治家(12)~粛軍演説~

『粛軍演説』の反響は大きかった。翌日の各新聞は大見出しをつけて演説の一部を掲載し、歴史的大演説だとほめあげた。東京日日(今の毎日)新聞標題。「斎藤氏熱火の大論陣、国民の総意を代表し今事件の心臓を衝く、軍部に一大英断要望」元海軍士官で評論家の水野広徳は、「誠叫ぶ舌三寸の力には弾丸もつるぎも及びこそすれ」という歌を、また尾崎行雄は、「正しきを践みて怖れす君独り時に諛る人多き世に」という歌をそれぞれ斎藤におくっている。演説がここまで国民的歓迎を受けるとは、斎藤自身全く予想していなかった。彼はその回顧録に、これが永くわが国憲政史上に残ると思えば、実に政治家としての一大責任を果たした心地がした、と書いている。演説から斎藤の人間的特徴を表すものとして、次の三つを挙げたい。
①”明晰さ”への求心力。彼の演説は、権力の行使に”明晰さ”を追求することで”鏡をおく”作業をもたらしている。②思想の設計図が鮮明に読み取れること。つまり聴く人に政治を進行形のまま理解させることができる。③アナログ型思考の人であったこと。問題を瞬間的にとらえて批判するのではなく、時間軸の上を誘導しながら、その変化と発展の意味をとらえている。以上を集約した上で、彼は「反軍家」「反戦家」というより、「正論家」であるということがわかる。「正論家」が国を動かすことは少ないが、「正論家」を無視した国の経営がうまくいったためしはない。」「正論家」とは行為者にとって前に置かれた鏡なのである。行為者はその鏡によって自分の等身大の姿を知り、ゆがんだ行為を修正し、希望的観測や情念からくる錯誤から免れることができる。彼は、その政治家としてのイメージで、現代の政治に対しても「鏡」の役割を果たしていると言えるだろう。

以上、今から20年以上も前、一人の女子高生が書いたレポートでした。国会図書館に何度も足を運び、古い新聞記事を探したり、何冊もの本を読んでまとめあげたものです。今でいうコピペ部分もかなりありますことをご了承いただきたいと思います。彼女の卒業式の折には、このレポートを読まれた来賓が祝辞の中で、「私も燃ゆる思いでこの演説を聞きました」とおっしゃってくださいました。
斉藤隆夫除名のきっかけとなった『支那事変処理に関する質問演説』については、あらためて掲載したいと思います。

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# by mako-oma | 2017-06-02 20:22 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

斎藤隆夫にみる真の政治家(11)~粛軍演説~

斎藤は最後に、今回の2.26事件にたいする「国民感情」について述べた。国民的尊敬の的だった高橋大蔵大臣、斎藤実内大臣ら、誰が見ても温厚篤実な重臣が、国を守るために授けられた軍人の銃剣によって虐殺されたのだ。むろん国民は非常に憤慨し、また心を痛めている。それにもかかわらず、言論の自由が拘束されている今日の時代において、彼らは公然とこれを口にすることはできない。わずかに私語の間にこれをもらすか、あるいは目くばせで伝える。これでは、専制武断の封建時代となんの変わりがあるのか。「一部の単独意思によって、国民の総意が踏みにじられる形勢が見られるのは、はなはだ遺憾千万の至りにたえない」それでも国民は沈黙し、政党も沈黙している。しかし、人間は感情的動物。「国民の忍耐力には限りがあります。私は、その忍耐力が尽きる時の来ないことを、心から希望するのであります」  (つづく)


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# by mako-oma | 2017-06-01 21:04 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

斎藤隆夫にみる真の政治家(10)~粛軍演説~

さらに、5.15事件に関係した青年将校20名のほかに、「これ以外に、より以上の軍部首脳者にしてこの事件に関係している者は一人もいないのであろうか」と追及した。山本検察官の論告の中に、この疑いの可能性を示すものがある。簡単に挙げると、①被告は、戒厳が宣告されそうになったらどこからか大きな勢力が現れて、当然これを収拾してくれるだろうと確信していた。②部下指導における上司の態度はきわめて曖昧で、彼らの行動を上司は認容していたかのようにみえる。このようにして斎藤は、軍部秘密所に言論の刃を突き刺した。以上、要約すると、5・15事件の原因は、次の二つということになる。一つは青年軍人の思想問題、もう一つは事前監督および事後に対する軍部当局の態度である。そこで一転して、それでは軍部以外の政治家はどうなのか。立憲政治家たるもの、正々堂々と国民の前に立ち、公明正大に政治上の争いをするべきである。裏で策動して陰謀を企てるなど、許すべからざること。まして、政治圏外にある軍部の一角と通謀し、自己の野心を遂げようとするに至っては、これは政治家の恥であり堕落であり、卑怯千万のふるまいである。斎藤は暗に、軍部がのさばるのは立憲政治家の側に軍部に乗せられるところがあるからだと指摘しているのだ。「私は全国民に代わって軍部の一大英断を希望する者であります」   (つづく)
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# by mako-oma | 2017-05-31 21:13 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)