斎藤隆夫にみる真の政治家(2)~斎藤隆夫という人~

明治3年(1870年)兵庫県但馬郡出石に生まれる。東京専門学校(現早稲田大学)を卒業、弁護士となり、渡米してエール大学に学ぶ。1914年以降、衆議院議員当選13回。2・26事件直後の臨時国会で粛軍演説を行い、また昭和15年(1940年)2月、支那事変(日中戦争)に関する質問演説を行って大陸政策を批判し、そのため議員を除名される。戦後は第一次吉田内閣、片山内閣の国務大臣となる。昭和24年(1949年)10月死去、79歳。

五尺そこそこの小男。若いときアメリカで結核にかかり、肋骨を7本も取る大手術をした。そのため、身体が右後方によじれていて、それが演説するときの独特のポーズになっている。斎藤は、それが癖の、首をフラフラと振りながら、議会の壇上に立つ。演説原稿というものはかつて持ったことがない。演説の数日前に草稿を完成し、庭を散歩しながら暗唱するのである。彼は、原稿と首っぴきの政治家を「何たる醜態か、自分のものになっていないものをよく口にできるものだ。」と軽蔑している。登壇した斎藤をとらえた、ある雑誌の記事には、次のように書かれている。「およそ風采の振わないといってこれくらい振るわないのも珍しい。形容枯槁、これ以上痩せようはないという顔つきで、天下の不景気を一人で背負っているかのようだ。しかも一度口を開けば、さすがに千軍万馬の名将、提げて起つは得意の憲法論、満場うならざるをえない。」ところが、議事壇上から降りるや否や無類の話し下手になる。親分子分をつくらない。資金活動をしない。選挙区のために働かない。酒もたばこもやらず、宴会では居眠りばかりしている。それでいて、当時の政界にこれくらい存在感のある政治家はいなかったという。  (つづく)

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by mako-oma | 2017-05-22 20:34 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

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