1940年という年

またもや北朝鮮がミサイルを打ち上げました。今回は成功したようです。 何を考えているのでしょうか。不気味です。先日のTBS報道特集を見ていてキャスターの「今の状況は1940年の頃ととても良く似ている。」という発言に思わずドキッとしました。1940年というのは昭和15年、斎藤隆夫が2月2日に「「支那事変処理に関する質問演説」をした年です。この演説が聖戦を冒瀆するものだとして、議長により演説後段の三分の二を議会速記録から削除されました。斎藤は懲罰委員会にかけられ、3月7日の本会議で、出席者303名のうち賛成296票で除名が可決されました。反対票を投じたのは、政友会久原派の芦田均、牧野良三、名川侃市、宮脇長吉、丸山弁三郎の五氏、民政党の岡崎久次郎氏、第一議員倶楽部の北浦圭太郎氏のわずか7名だけでした。斎藤を擁護する者の多くは、欠席または棄権144票の中に含まれていました。
斎藤除名直後の1940年3月10日、社会大衆党は、採決に欠席した片山哲、西尾末広ら8人を除名するなどして党分裂に至ります。政友会久原派、民政党でも反対・欠席者の処分を巡って混乱しました。一方、斎藤除名を積極的に推進した各党有志代表百余人は3月25日、聖戦貫徹議員連盟を結成しました。6月に近衛文麿が一国一党の強力な指導体制の確立をもくろんで新体制運動を掲げると、その夏各党は一斉に解党し、10月に発足した大政翼賛会に組み込まれていきます。帝国議会開設50周年のこの年、議会から政党が亡くなりました。議会政治を自ら否定した政党はここに崩壊し、本格的な戦時指導体制を確立した日本は翌年太平洋戦争へと突入していきます。

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by mako-oma | 2017-05-14 13:17 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

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