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問われるべきは「政治の質」


点評               
     1992年 日付不明 新聞社不明

粟屋憲太郎立教大教授の「昭和の政党」(小学館)は、「粛群演説」などで、議会史にさん然とした地位を占めている民政党の斎藤隆夫衆院議員の活躍を冒頭に取り上げることで、軍国主義の風潮に流されていった戦前の議会人の姿を描いている。
斎藤は、政党もマスコミも軍部批判を自粛するようになった1930年代後半も節を曲げず、40年2月の「反軍演説」で除名される。しかし、斎藤を除名した議会は結局、翼賛政治への道を転がり落ちていった。この本で、特に感動的なのは粟屋教授が斎藤の選挙区、兵庫県但馬地方を歩いたフィールド・ノートを元に齋藤と支持者の関係を描いているくだりだ。斎藤の選挙はすべて法定費用内でまかなわれ、普段の政治活動は年一、二回選挙区に帰り演説会を開くだけだった。演説会といえば今も変わらぬ地元への利益誘導的内容が多かった中で、斎藤は自分の政見に熱弁を振るい、演説に感動した支持者は手弁当で斎藤のために走り回った。除名の二年後、激しい選挙干渉にもかかわらす斎藤が議会に再帰できたのは、政治信条で結び付いた支持者たちがいたためだ。同著には斎藤の政治資金の内訳は紹介されていない。が、政治姿勢、権力・右翼の干渉を考えると、資金面でも清廉でつましかったことがうかがえる。このほど自民党の「政治改革を実現する会」が発表した衆参国会議員29人の昨年一年間の政治活動集資金によると、一人平均1億3378万円のカネが出入りしたという。巨額の資金調達の方法、収支の透明性も問題だが、同時に問わなければならないのは何を「政治活動」と見るかだ。支出の36%は秘書などの人件費で、活動費30%のうちの政策活動費は9%だけ。残りは後援会活動費と冠婚葬祭費だという。そこには飲食、旅行など派手な後援会活動と、後援会の面倒を見たり、カネ集めに奔走する大勢の秘書陣の姿が浮かび上がってくる。政治活動の規制は論外だが、その質にも目を向けなければならないだろう。供応まがいの活動を支えるために、献金、パーティー、派閥から年間1億円前後の資金を調達しなければならないとしたら、議員はまず”資金源”の顔色を見るようになる。「見返りのない献金をすれば背任。見返りのある献金は贈賄」といわれるが、同会の発表した収支からはカネが議員を毒している構造が見える。議員はカネ集めの理由にカネのかかる選挙をあげ、近く国会に提案される政治資金規正法改正案でも企業・団体献金の抜本見直しは見送られる。しかし、斎藤のように政治信念で有権者をつなぎ留められない不足分をカネで補うことが当然視されてはならない。「政治活動」を問うとき、斎藤は今なお一つの手本を示している。(原文通り)



by mako-oma | 2015-05-16 08:49 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

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