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交友抄 東北のぬくもり

 1992年(平成4年)3月4日 日本経済新聞  矢島欽次

墨絵のような空から今にも降ってきそうな日であった。「やあ、どうも遅くなりまして」と言いつつ、草柳大蔵さんが入って来られた。その瞬間、対談のための部屋は、パァッと明るくなったような気がした。草柳スマイルのなせるわざであろうか。これは、仙台放送の毎日曜午前10時から始まる「ごきげんよう草柳です」のテレビ出演時の光景である。この番組は、始まってからかれこれ、20年、現在も続いている。東北6県と新潟県だけにしか放映されていないのが残念だ。草柳さんはこの番組に毎回、工夫をこらしている。対談中は一切CMを入れないとか、四季折々の詩歌を冒頭に掲げて季節のこころを序章とする。私は出演のたびに草柳さんの番組に対する繊細な心くばりに驚いている。草柳さんとの交友は何十年にも及ぶ。あうんの呼吸というか、リズムがよほど合うのであろう。そもそも草柳さんと私との出会いには、東北電力副社長の小林智夫さんが仲人役の任に当たった。3人そろい踏みをすると話は尽きない。確か草柳さんと晩秋の東北路を旅していたときだと記憶している。前の晩、国政の乱れを憂えていた草柳さんに、文才のない私になり代わって斎藤隆夫伝なるものを書いていただきたい、もう斎藤隆夫のことを知る日本人はほとんどいないではないかと懇請した。戦時中、軍部がわが世を謳歌していたとき、文には文の職分あり、軍には軍の職分がある、されば軍は軍の職分に専念し、政治に口出しするなという「粛軍演説」を国会で堂々とブチ上げた男がいた。それが斎藤隆夫である。今の自衛隊論議とはまったく関係ない。草柳さんは黙して語られなかったが、その後、私の期待する以上の傑作「斎藤隆夫かく戦えり」(文芸春秋)なる立派な書を公刊された。草柳さん、小林智夫さんは私の心の友である。東北は吹雪の中でも温かい。人情の古里であり、傑作を発酵させる場でもあるから。(やじま・きんじ=青山学院大学教授)




by mako-oma | 2015-05-11 22:49 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

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