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皆様は「齋藤隆夫」という名前をご存じだろうか?

広辞苑を引くと、『政治家。兵庫県生まれ。イェール大学に学ぶ。弁護士から政界に入る。民政党に属し、226事件直後に粛軍演説で陸軍を批判、1940年日中戦争処理に関する質問演説のため議員除名。第二次大戦後、進歩党の結成に当る。(1870~1949)』とある。
おそらく昭和史に詳しい方はご存じだろうが、一般にはあまり知られていないのではないかと思う。

齋藤隆夫は私の母方の祖父である。祖父は亡くなる数か月前の1949年7月22日まで、毎日日記をつけていた。これは、「斎藤隆夫日記(上)(下)」として中央公論新社から2009年に出版されている。昭和24年3月27日のところを見ると、「午后七時愛子女子を分娩す。先づ安心す。」とある。祖父のノートには赤線が引かれていた。叔父の話では、出産直後ちょくちょく顔をのぞきにきてくれたようだ。当時祖父は国務大臣をしており、私はその官邸でお産婆さんの手によって生まれてきた。半年後、祖父は亡くなる。

私は昨年65才になり、高齢者の仲間入りをした。祖父が亡くなり既に65年が経っているのである。没後60年の年には出身地の出石で記念行事が執り行われた。私も東京から参加したが、60年経ってもこのようなことをやっていただけることへの感謝の気持ちは、言葉では言い表せない。
常日頃、出石の方々には本当に心から感謝申し上げている。
だがなかなかその気持ちを表す機会がなかったので、今回ブログを立ち上げることにした。
齋藤隆夫に関する新聞記事など私の手元にある資料を公開し、一人でも多くの方に齋藤隆夫を知っていただけるよう、協力させていただきたいと思った。
これらの新聞記事は両親が集めたもので、両親の友人・知人が送ってくださったものもある。両親共亡くなり、そんなこともなくなってしまった。今回ブログを立ち上げることによって、皆様から情報がいただけたら嬉しいと思っている。

新聞記事は、年月日不詳のもの、新聞社のわからないものも沢山ある。
折に触れ齋藤隆夫の名前が新聞紙上に登場する。従ってそこにある政党名や個人名はもう過去のものであるので、当時の時代背景を思いだしていただければと思う。
日本が置かれている環境も複雑かつ微妙で、難しくなってきた現在、現役の政治家の皆様、これから政治家を志す皆様にもぜひご覧いただきたいと思っている。






by mako-oma | 2015-02-05 13:37 | 齋藤隆夫 | Trackback | Comments(5)  

Commented by 大学生 at 2015-04-26 03:13 x
現在斎藤隆夫を主題として卒業論文を制作しようと考えている大学生です。
記事の公開は非常にありがたいので、今後もよろしくお願いします。
Commented at 2015-04-28 21:10
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by sidehaouse at 2019-04-14 15:29
初めまして。
私、この五月に斎藤隆夫を主人公に「秋霜に生きる」サブタイトル孤高の政治家斎藤隆夫を出版します。
その本が今手元にありますが、送りさせていただきましょうか。
もちろん、寄贈ですが。
わたくしも斎藤隆夫を広く世間の人々に知ってもらいたい一人であります。
よろしければご連絡ください。
     横家伸一
Commented at 2019-04-15 22:27
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2019-05-11 13:58
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

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