斎藤隆夫にみる真の政治家(12)~粛軍演説~

『粛軍演説』の反響は大きかった。翌日の各新聞は大見出しをつけて演説の一部を掲載し、歴史的大演説だとほめあげた。東京日日(今の毎日)新聞標題。「斎藤氏熱火の大論陣、国民の総意を代表し今事件の心臓を衝く、軍部に一大英断要望」元海軍士官で評論家の水野広徳は、「誠叫ぶ舌三寸の力には弾丸もつるぎも及びこそすれ」という歌を、また尾崎行雄は、「正しきを践みて怖れす君独り時に諛る人多き世に」という歌をそれぞれ斎藤におくっている。演説がここまで国民的歓迎を受けるとは、斎藤自身全く予想していなかった。彼はその回顧録に、これが永くわが国憲政史上に残ると思えば、実に政治家としての一大責任を果たした心地がした、と書いている。演説から斎藤の人間的特徴を表すものとして、次の三つを挙げたい。
①”明晰さ”への求心力。彼の演説は、権力の行使に”明晰さ”を追求することで”鏡をおく”作業をもたらしている。②思想の設計図が鮮明に読み取れること。つまり聴く人に政治を進行形のまま理解させることができる。③アナログ型思考の人であったこと。問題を瞬間的にとらえて批判するのではなく、時間軸の上を誘導しながら、その変化と発展の意味をとらえている。以上を集約した上で、彼は「反軍家」「反戦家」というより、「正論家」であるということがわかる。「正論家」が国を動かすことは少ないが、「正論家」を無視した国の経営がうまくいったためしはない。」「正論家」とは行為者にとって前に置かれた鏡なのである。行為者はその鏡によって自分の等身大の姿を知り、ゆがんだ行為を修正し、希望的観測や情念からくる錯誤から免れることができる。彼は、その政治家としてのイメージで、現代の政治に対しても「鏡」の役割を果たしていると言えるだろう。

以上、今から20年以上も前、一人の女子高生が書いたレポートでした。国会図書館に何度も足を運び、古い新聞記事を探したり、何冊もの本を読んでまとめあげたものです。今でいうコピペ部分もかなりありますことをご了承いただきたいと思います。彼女の卒業式の折には、このレポートを読まれた来賓が祝辞の中で、「私も燃ゆる思いでこの演説を聞きました」とおっしゃってくださいました。
斉藤隆夫除名のきっかけとなった『支那事変処理に関する質問演説』については、あらためて掲載したいと思います。

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# by mako-oma | 2017-06-02 20:22 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

斎藤隆夫にみる真の政治家(11)~粛軍演説~

斎藤は最後に、今回の2.26事件にたいする「国民感情」について述べた。国民的尊敬の的だった高橋大蔵大臣、斎藤実内大臣ら、誰が見ても温厚篤実な重臣が、国を守るために授けられた軍人の銃剣によって虐殺されたのだ。むろん国民は非常に憤慨し、また心を痛めている。それにもかかわらず、言論の自由が拘束されている今日の時代において、彼らは公然とこれを口にすることはできない。わずかに私語の間にこれをもらすか、あるいは目くばせで伝える。これでは、専制武断の封建時代となんの変わりがあるのか。「一部の単独意思によって、国民の総意が踏みにじられる形勢が見られるのは、はなはだ遺憾千万の至りにたえない」それでも国民は沈黙し、政党も沈黙している。しかし、人間は感情的動物。「国民の忍耐力には限りがあります。私は、その忍耐力が尽きる時の来ないことを、心から希望するのであります」  (つづく)


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# by mako-oma | 2017-06-01 21:04 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

斎藤隆夫にみる真の政治家(10)~粛軍演説~

さらに、5.15事件に関係した青年将校20名のほかに、「これ以外に、より以上の軍部首脳者にしてこの事件に関係している者は一人もいないのであろうか」と追及した。山本検察官の論告の中に、この疑いの可能性を示すものがある。簡単に挙げると、①被告は、戒厳が宣告されそうになったらどこからか大きな勢力が現れて、当然これを収拾してくれるだろうと確信していた。②部下指導における上司の態度はきわめて曖昧で、彼らの行動を上司は認容していたかのようにみえる。このようにして斎藤は、軍部秘密所に言論の刃を突き刺した。以上、要約すると、5・15事件の原因は、次の二つということになる。一つは青年軍人の思想問題、もう一つは事前監督および事後に対する軍部当局の態度である。そこで一転して、それでは軍部以外の政治家はどうなのか。立憲政治家たるもの、正々堂々と国民の前に立ち、公明正大に政治上の争いをするべきである。裏で策動して陰謀を企てるなど、許すべからざること。まして、政治圏外にある軍部の一角と通謀し、自己の野心を遂げようとするに至っては、これは政治家の恥であり堕落であり、卑怯千万のふるまいである。斎藤は暗に、軍部がのさばるのは立憲政治家の側に軍部に乗せられるところがあるからだと指摘しているのだ。「私は全国民に代わって軍部の一大英断を希望する者であります」   (つづく)
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# by mako-oma | 2017-05-31 21:13 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

斎藤隆夫にみる真の政治家(9)~粛軍演説~

5.15事件においては、軍人が一国の総理大臣を銃殺したわけで、その罪の重大であることは言うまでもない。海軍刑法によれば、叛乱罪は死刑一点張りで、選択刑は許されていない。よって、死刑の要求が下った。ところが、その判決に反対運動が起こり、軍の上層部はこれを抑止せず、山本検察官の身に危険が迫ったため、多数の憲兵が彼を保護する、家族は遠方に避難…このような状態で、裁判の独立が維持できるはずがない。裁判の結果は、死刑の要求は13年と15年の禁固となり、軽いのは1,2年、しかも執行猶予つきとなった。ところが、同じ事件に関係した民間側被告の主犯は、無期懲役に処せられている。ある発電所に爆弾を投じたけれども未発に終わり、何の被害も出さなかった、それなのに、この極刑である。民間人であり、普通裁判所に属する者だから。一方では、実際に犬養首相の殺害に手を下したにもかかわらず、その人が軍人であり、軍事裁判所に属したため、はるかに軽い刑ですんでいる。人と場所によって、ここまで差別が生れる。天皇の御名において行われる裁判は、徹頭徹尾独立であり神聖であり、公平でなければならない。これで国家の裁判権が遺憾なく発揮されたということができるか。斎藤は、そのように軍を質し、5.15事件の主体的構造を解明することによって、2.26事件との連続性に強烈な光を当てている。 (つづく)
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# by mako-oma | 2017-05-30 21:20 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)  

斎藤隆夫にみる真の政治家(8)~粛軍演説~

斎藤は首をふりふり核心に入る。事件のもう一つの原因として、青年軍人の直接行動に対する軍部当局の態度を挙げている。昭和6年の3月事件、10月事件は、5.15事件および今回の反乱事件(2.26事件)と性質を同じくするものだが、この両事件に対し、軍部はどう処置したかというと、少しも徹底した処置をとっていない。「寸にして断たざれば尺の憾みあり、尺にして断たざれば丈の憾みあり、たとえ一木といえども、その根が深く地中に蟠踞するに至っては、これを倒すことは容易ではない」 軍部当局が事件を「闇から闇へ葬る行為」をくり返したこと、さらに、いくつかの不祥事件を起こしながら、立憲政治への介入を継続させたこと、この二点が演説の中に展開する。    (つづく)
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# by mako-oma | 2017-05-29 21:50 | 斎藤隆夫 | Trackback | Comments(0)